Welcome to my blog

明治初期、廃絶の危機にあった東本願寺

4 0
Category廃仏毀釈・神仏分離
明治の廃仏毀釈によって、全国で10万ケ寺あった寺院が5万ケ寺に減ったという記事を読んだことがある。その中で、浄土真宗は明治維新直後の廃仏毀釈の影響をあまり受けなかったと言われているが、いったいどういう経緯があったのか。

西本願寺は江戸時代を通じ朝廷に忠誠を誓っており、明治に入っても巨額の寄付をしてきた経緯から、政府も手を出さなかったことは理解できる。

ところが東本願寺は文久3年(1863)には徳川幕府に1万両の軍資金を提供したり、元治元年(1866)年の蛤御門の変で堂宇が類焼した後慶応2年(1866)には逆に幕府から5万両の寄進を受けている。慶応3年(1867)の大政奉還の後も、末寺の門徒、僧侶による軍隊を編成して、幕府の指揮下に入ることを申し出ているなど、一貫して佐幕派であったが、さすがに、戊辰戦争がはじまった頃には時代の潮流を感じたか、当時の厳如上人は朝廷に一札を入れて勤王方に着き、御所の警護や討幕運動の資金調達に奔走し、多額の軍費や兵糧米を献納したようである。

しかし永年徳川幕府と親密であっただけに、慶応4年の年始に行われた宮中会議においては、東本願寺を焼き打ちにする案が出されたことがあった。その時は「叛意がない」旨の誓書を朝廷に提出して事なきを得たが、その後廃仏毀釈で全国の寺院がいくつも廃絶されるにおよび、東本願寺も薩長勢力を中心とする明治政府から冷遇、あるいは弾圧される危機を強く認識していたのである。

   この難局を乗り切るために、東本願寺がとった方策は、明治政府に平身低頭し、ひたすら忠誠を尽くすことであった。

一方、成立して間もない新政権にとってみれば当時ロシアの南下政策の脅威に対抗するために、北海道の開拓と移民の入植が急務であったが、その資金と労働力の調達が困難であった。

本願寺09204

そこで、東本願寺は北海道の開拓に協力することを自ら申し出て、新政府に協力する意思表示をするのだが、実態は明治政府からの圧力により協力させられたのだと思う。

明治2年(1869)9月に、政府は東本願寺に北海道の開拓を命じ、明治3年(1870)2月に、当時19歳の新門跡現如上人を筆頭に、僧侶や信徒178人が京都を出立し、悲願の旅が始まる。 一行は信者の寄進を呼び掛けつつ、越中、越後、酒田と北上し、「廃仏思想」の根強い秋田は船で進んで青森に上陸するなど苦労しながら、函館にようやく7月に到着している。

本願寺09205

東本願寺一行は尾去別(おさるべつ:現在の伊達市長和)を起点とし、洞爺湖の東側、中山峠を通り平岸(ひらぎし:現在の札幌市豊平区)を結ぶルートの道路建設を開始し、この道路は後に「本願寺道路」と呼ばれた。工事は、明治3年7月から明治4年10月にかけて行われ、長さは約103kmで、これが現在の国道230号の基礎となったと言われている。

本願寺道路地図

当時はもちろんショベルカーやダンプカーや電動機具のようなものはなく、すべて人力で土を掘り、石や土を運び、木を切り、根こそぎ掘るなどの作業がなされたことは言うまでもない。オオカミ等にも襲われながら大変な苦労をして出来上がった道路である。

現如上人像

上の写真は工事の最大の難所と呼ばれた中山峠に立つ、現如上人の銅像である。
実は、北海道の開拓はこの時期に東本願寺だけが協力させられたのではなかった。
佐伯恵達氏の「廃仏毀釈100年」によると、政府は、東本願寺だけでなく明治2年9月17日に増上寺にも北海道静内郡および積丹等の土地の開拓を命じている。また12月3日には、仏光寺に北海道後志、石狩の地の開拓を命じている。

つまり明治政府は、廃仏毀釈で廃寺になるかも知れない寺院の危機をしたたかに利用し、寺院や信者の寄進による金で、北海道の開拓をはじめたということだ。

その後廃仏毀釈が下火になると、明治政府も寺院の協力を得ることができなくなり、その後は囚人やアイヌに過酷な労働をさせて北海道の開拓が進められることになる。

明治政府がこれだけ北海道の開拓を急いだのは、前述したとおりロシアの南下政策に対抗して国土を守るためにやむを得なかった背景がある。ロシアは1860年の北京条約により沿海州の一部を清から割譲され、極東を征服する準備を整えていたのである。明治政府が何もしなければ、北海道は容易にロシアに占領されていただろう。(沿海州の最大の都市「ウラジオストク」の名はロシア語で「極東を征服せよ」の意)

通史を読んでもこれらの史実はほとんど書かれていないが、昔の人々がこんなに苦労して歴史ある寺院を現在に残していることや、国土を開拓した背景や努力は、いつまでも忘れるべきではないと思う。その先人の思いが理解できなければ、いつまでも我が国の文化や伝統を守ることも、ひいては国土を守ることも容易ではない。
**************************************************************
ブログパーツ

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
    ↓ ↓         


にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ




このエントリーをはてなブックマークに追加

【ご参考】
今月1日からのこのブログの単独記事別のアクセスランキングです。毎月末にリセットされています。






関連記事
廃仏毀釈東本願寺現如上人
  • B!

4Comments

つねまる  

開拓まで…

こんばんは。いつもお世話になっております。また、いつも過去記事にお邪魔してごめんくださいませ。

北海道の開拓まで仏門の方々に命じたとは存じませんでした。静内は淡路島の洲本の稲田家も開拓を命じられた所ですね。伊達市の伊達家資料館では、ボロボロの調度品や具足でも大切に保管されていて、先人のご苦労に泣けてきました。

北海道の開拓は網走の人と夢を持って渡った人が頑張りました、としか知らなかった無知なので、何度も通っている…あの国道が、東本願寺さんにより作られたとは衝撃です。

伊達市訪問の後に行ったアイヌ資料館で「日本人はこんなひどいことをした」と国内なのに日本人と呼ばれて、正直、へこみました。このときの旅行は、しょぼん、としてました。

しばやん様のおかげで今日もひとつお利口さんになれた気がします。ありがとうございます。


2014/09/08 (Mon) 21:03 | EDIT | REPLY |   

しばやん  

Re: 開拓まで…

つねまるさん、懐かしい記事にコメントを頂きありがとうございます。

佐伯恵達さんの『廃仏毀釈百年』という本を読んで私も衝撃を受けて、自分なりに調べて書きましたが、こういう史実はもっと多くの人に知ってもらえれば、今も残されている文化財の貴重さが理解していただけるではないかと思います。

これからも時々覗いてみてください。

2014/09/08 (Mon) 23:57 | EDIT | REPLY |   

つねまる  

本願寺道路

こんにちは。ご無沙汰してます。

北海道@現実逃避の旅で、伊達市から中山峠まで辿りました。
伊達市では大きな葉が開き花も咲いていたフキが、中山峠ではまだ、フキノトウとツクシが初々しい状態でした。

それほど、高低差がありました。

あ、何でもアスパラガスの栽培発祥の地とかで、白銀に輝くモニュメントがおりましたよー。

実際に走って感じた素人の目ですが、洞爺東側は山々の間の平地をうまく通りますが、洞爺湖北岸からは延々と上り、車がひーひー言うような坂もあり。

何で伊達市起点なん?とまず、思いました。

噴火湾の北端、室蘭から長万部に至る地域は貝塚の存在やチャシ跡等、また特に南部藩陣屋跡等からわかるように非常に重要な地域だったようです。

ムロラン(モロラン)南部藩陣屋跡の史跡は、近くに砲台跡もあり、設置場所の意義とその遺構の非常に現実的な備えに驚きました。淡路島や友ヶ島には及びませんが、控えの詰所の遺構がしっかりと残り、びっくりです。

陣屋跡では、あれほどの土塁が備えられているとは、と、正直、なめていた自分を反省です。甲賀の城跡に匹敵する素晴らしいものでした。

しばやん様の記事を念頭に走りまくった国道の旅は、羊蹄山の素晴らしさと秘められた歴史にじんわり、と、致しました。

旅を楽しくさせてくださるしばやん様の記事に感謝です。

2017/06/25 (Sun) 16:27 | EDIT | REPLY |   

しばやん  

Re: 本願寺道路

つねまるさん、お久しぶりです。お元気ですか。

北海道の歴史散策ですか。この季節の北海道は緑にあふれて、美味しいものがいっぱいありそうで羨ましいです。

北海道へは高校時代の夏休みに長めの旅行をしましたが、それからは9年ほど前に札幌の雪まつりを見に行ったくらいです。
会社勤めをしていては、遠いところへはなかなか行けないですね。いずれ会社をリタイアして、私も日本各地をゆっくり旅行したいです。その時は、ブログを書くのもお休みするしかないですね。

この記事は廃仏毀釈に興味を覚えたころに、東本願寺を調べて驚いた気持ちを伝えようと思って書いた記事で、とても懐かしいです。古い記事を読んで頂くだけでもありがたいのに、旅程にまで入れていただいてとても嬉しいです。

羊蹄山が綺麗に見えて良かったですね。あの山は地元の人でも綺麗な姿を見ることが出来ることは少ないと、バスガイドさんが話しておられたのを覚えています。つねまるさんに良いことがありますように。

2017/06/25 (Sun) 17:11 | EDIT | REPLY |   

Add your comment