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しばやんの日々

Index

631: 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を置いていただいている図書館リスト

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630: 応仁の乱勃発地の上御霊神社から、義満が史上最大の七重塔を建てた相国寺を訪ねて

室町幕府第三代将軍足利義満は、明徳三年(1

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629: 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』に新聞書評がでました

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628: 高知県士族九名に襲われた岩倉具視はいかにして難を逃れることができたのか

以前このブログで征韓論争のことを書いた。

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627: 岸和田城周辺散策とだんじり祭り

久しぶりに岸和田に行ってきた。上の画像は

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626: 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』7月書店配本リストのご案内

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625: 種子島に鉄砲が伝来した記録を読む

薩摩藩の南浦文之(なんぼぶんし)和尚が慶長

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624: 新しいブログ立ち上げのご案内と今後の本ブログの運営について

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623: 日露戦争の巨額の戦費を外債発行で調達した明治政府と高橋是清の苦労

帝国書院のホームページに、戦争別戦費の一

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622: リリエンタールやライト兄弟より前に動力付き飛行機の模型を飛ばした二宮忠八

二宮忠八は慶応二年(1866年)に伊予国宇和郡

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621: 桜の咲く時期に盛岡を訪ねて~~報恩寺、石割桜、盛岡城跡、盛岡八幡宮、らかん公園

岩手旅行の三日目は盛岡に向かった。最初の

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620: 奥州市の正法寺、黒石寺、駒形神社から遠野市のふるさと村、福泉寺を訪ねて

岩手旅行の2日目に最初に訪れたのは、奥州

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619: 桜の咲く季節に奥州平泉の中尊寺、毛越寺、達谷窟、巌美渓を訪ねて

伊丹空港からいわて花巻空港に行き、レンタ

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618: わが国ではじめて石油を製造した石坂周造の物語と、国産石油製造の重要性

わが国の石油消費量のほとんどは中東などか

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617: 政府が欧風化を推進した文明開化の時代に、国産品を奨励した僧侶・佐田介石

技術進歩の激しい時代には、新技術をいち早

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616: 完成したばかりの巡洋艦『畝傍』が日本に向かう処女航海で行方不明となったこと

明治十九年(1886年)にフランスで建造された

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615: 西洋流の立身出世主義教育を憂いた明治天皇と教育勅語

「文明開化」の名のもとに、明治初年のわが

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614: 欧化主義者の伊藤博文に楯突いて鹿鳴館外交を終わらせた谷干城

明治政府が採用した欧化政策のなかで、最も

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613: 初めての著書の配本書店リストとその他入手方法について

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612: 暦を太陽暦に急に変えたことに対する国民の反応と、政府が改暦を強行した経緯

明治の文明開化のことをいろいろ書いてきた

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611: はじめての著書出版の御案内

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610: 郵便事業を創始した前島密は飛脚屋の失業対策まで考え抜いていた

前回記事で明治時代の電信業の始まりの苦労

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609: 電信工事に対する民衆の妨害活動や流言飛語に手を焼いた明治政府

前回の記事で、嘉永七年(1854年)にペリーが

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608: 反対勢力との戦いに孤軍奮闘し、東京横浜間に蒸気機関車を走らせた大隈重信

嘉永七年(1854年)にペリーが二度目の来日を

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607: 大日本帝国憲法が発布された日に初代文部大臣・森有禮が暗殺された事情

森有禮(もり ありのり)は弘化四年(1847年)

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606: 鹿鳴館時代に検討されていた条約改正案は欧米に媚びる内容で世論の大反対を受けた

前回の記事で、明治の初期から極端な欧化政

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605: 極端な欧化主義でわが国の伝統文化や景観破壊を推進した政治家は誰なのか

文芸評論家の高須梅渓が大正九年に上梓した

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604: 『文明開化』施策という極端な欧化主義政策と日本の伝統文化破壊

前回の記事で、歴史学者・徳重浅吉が、明治

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603: 『文明開化』で旧来の制度や習慣を西洋化しようとした政府と、それに抵抗した人々

【丁髷(ちょんまげ)を嘲笑した外国人】かつ

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602: 『文明開化』における新旧風俗の大混乱

前回の記事で、戊辰戦争が一段落したあと大

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601: 大倉喜八郎が事業を発展させたきっかけと、儲けた金の使い方

前回の記事で大倉喜八郎は幕府の動きや黒船

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600: 大倉財閥の祖・大倉喜八郎が鰹節屋の小僧から独立し巨富を得た経緯

明治期に大倉財閥を築き上げた大倉喜八郎は

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599: 2019年新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。【椿自然

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598: 明治政府の薩長対立の中を生き抜いた藤田伝三郎の人脈と藤田コレクション

前回の記事で藤田伝三郎が西南戦争を機に大

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597: 奇兵隊に参加し失明した藤田伝三郎が大富豪となるきっかけとなった人物との出会い

前回の記事で、長州の豪商白石正一郎が奇兵

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596: 攘夷や倒幕に突き進んだ長州藩の志士たちの資金源はどこにあったのか

はじめて明治維新を学んだ際に若い青年が時

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595: 日露戦争・旅順港閉塞作戦に協力した右近家から敦賀に向かう……越前の歴史散策4

河野浦の北前船主の館・右近家の旧本宅の庭

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594: 瀧谷寺から越前海岸の景勝地と北前船で栄えた河野浦を訪ねて~~越前の歴史散策3

翌朝、お世話になった三国の民宿をチェック

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593: 継体天皇ゆかりの足羽山から紅葉名所の大安禅寺へ ~~越前の歴史散策2

昼食のあと福井市の足羽山(あすわやま)に向

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592: 越前和紙で栄えた地域の歴史と文化と伝統の味を楽しむ~~越前の歴史散策1

越前市は品質、種類、量ともに全国一位の和

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591: 明治政府にとって「徴兵制」のハードルは高かった

教科書などでは、明治4年(1871)の「廃藩置

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590: 明治時代の自虐史観と、「開発」行為による文化・景観破壊

慶応四年(1868)三月十四日に、明治天皇は京

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589: 甲賀の総社・油日神社、平安仏の宝庫・櫟野寺などを訪ねて~~甲賀歴史散策その2

甲賀流忍術屋敷を楽しんだのち、油日(あぶ

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588: 現存する唯一の忍術屋敷を訪ねて~~甲賀歴史散策その1

滋賀県の甲賀と言えば「忍びの里」を思い浮

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587: わが国史上最大の火山災害である「島原大変」の被害者の大半は津波で死亡した

前回の記事で大規模な山の崩壊や地盤の崩壊

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586: 平家滅亡のあと畿内を襲った元暦2年7月の大地震

元暦2年(1185)3月に壇ノ浦の戦いで栄華を誇

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585: 戦国時代の歴史を動かした天正地震

4年前に白川郷方面に旅行した際に、帰雲城(

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584: 敗戦後の混乱期に日本列島を襲った「昭和南海地震」

以前このブログで「軍部が情報を握りつぶし

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583: 地震がなかったにもかかわらず三陸海岸を中心に日本列島を襲った大津波~~チリ津波

今年の台風や地震の規模も被害も半端なもの

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582: 由良要塞の一部である深山砲台の跡地と淡島神社などを訪ねて~~加太の歴史散策

和歌山市に所用ができたので、早めに自宅を

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581: 紀伊国屋文左衛門がみかん船で大儲けしたという話は真実か

紀伊国屋文左衛門は元禄時代の豪商で、荒天

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580: 江戸時代に大阪が商業の中心地として栄えた理由と、豪商・淀屋の闕所処分を考える

徳川家康が江戸に幕府を開いた以上は、徳川

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579: 綱吉の治世後半を襲った相次ぐ大災害の復興資金を、幕府はいかに捻出しようとしたか

前回は徳川五大将軍綱吉が出した『生類憐み

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578: 徳川綱吉の『生類憐みの令』を悪法とする通説が見直されているのはなぜか

徳川五大将軍綱吉が出した『生類憐みの令』

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577: 鳳来寺の神仏分離と日本の百名洞・乳岩峡などを訪ねて

旅行の二日目は少し早起きして、食事の時間

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576: 長篠の戦の武田勝頼公本陣跡から満光寺庭園、阿寺の七滝などを訪ねて

設楽原歴史資料館の駐車場から医王寺(新城

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575: 長篠城址と長篠の戦いの決戦の地を訪ねて

毎年梅雨が明けた頃に車で旅行することにし

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574: 満州国にわが国が莫大な投資をして築き上げたインフラを掠奪した中国

前回の記事で関東軍が満州の匪賊を討伐した

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573: 満州の民衆が関東軍を敵視しなかったのはなぜなのか

昭和6年(1931)9月18日の柳条湖事件から始

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572: 満州に関東軍が駐留していた背景を考える

教科書などでは満州事変については、関東軍

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571: 満州人が各地で独立運動を起こしていたことが教科書などで書かれないのはなぜか

前回の記事で、『リットン報告書』の内容は

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570: リットン調査団と国際連盟を利用してわが国を孤立化させた列強は何を狙っていたのか

前回の記事のなかで、昭和6年(1931)9月の

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569: 関東軍が満州を制圧し満州国が建国されたことを当時の世界はどう見ていたのか

昭和6年(1931)9月18日の柳条湖事件に端

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568: 満州事変の当時、満州のわが国の権益を狙っていた国はどこだったのか

「満州」という言葉は、もともとは地名では

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565: 関東軍が「暴走」したと描かれる背景を考える

前回の記事で、ソ連の赤化工作がかなりわが

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562: 関東軍は昭和の初期からソ連の工作活動の重要な対象であった

以前このブログで、昭和3年(1928)6月4日の

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561: 仏教伝来から神仏習合に至り、明治維新で神仏分離が行われた経緯を考える

前々回の記事で竹生島弁財天のことを書いた

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560: 日本三大山車祭の一つ、長浜曳山祭の歴史と子ども歌舞伎

竹生島から長浜港に戻って、ホテルにチェッ

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559: 神仏習合の聖地であった竹生島で強行された明治初期の神仏分離と僧侶の抵抗

長浜市の湖岸から6kmほど先に、周囲2km、面

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558: 滋賀県に残された神仏習合の景観などを楽しんで~~邇々杵神社、赤後寺他

以前このブログで、神社の境内の中に塔が残

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557: 旧幕府の軍艦で脱走を図り、明治政府とは別の政権を誕生させた榎本武揚とその後

慶応四年(1868)三月から四月にかけて、江戸

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556: 厳寒の痩せ地に移住した会津藩士たちの飢餓との戦いとその後

会津戊辰戦争の敗戦の後、藩主・松平容保は

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555: 会津籠城戦と鶴ヶ城落城後の動き

慶応四年(1868)八月二十三日午前十一時頃に

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554: 白虎隊悲話と会津藩士家族の相次ぐ殉死~~~会津戊辰戦争

慶応四年(1868)七月に二本松城を落とした新

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553: 暴れ川として知られる吉野川の流域を豊かにした阿波藍と徳島の伝統文化

ドイツ村公園のすぐ近くに四国霊場第二番札

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552: 鳴門市とドイツとの100年を超える友好関係のきっかけを作った会津人

重たいテーマを書き続けているうちに、少し

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551: 激戦となった「二本松の戦い」と、二本松少年隊のこと

前回の記事で慶応四年(1868)の「白河口の戦

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550: 兵力で優位にあったはずの列藩同盟軍は、何故「白河口の戦い」で大敗したのか

仙台藩や米沢藩を通じた恭順嘆願も奥羽鎮撫

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549: 東北諸藩は薩長の新政府を嫌い、別の国を作ろうとしたのではないか

前回記事で、仙台藩が慶応4年(1868)閏4月19

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548: 仙台藩ほか東北諸藩は、なぜ「朝敵」とされた会津藩を助けるために薩長と戦ったのか

慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が

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547: 西郷隆盛は明治新政府の初期の腐敗ぶりに涙した

岩波文庫に『西郷南洲遺訓』という本がある

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546: 戊辰戦争で官軍は東北地方で乱暴狼藉を繰り返した

前回の記事で戊辰戦争の奥羽列藩同盟の全軍

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545: 攘夷論者が、実行できないことがわかっていながら「攘夷」を唱え続けた理由

戊辰戦争の奥羽列藩同盟の全軍の士気を鼓舞

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544: 明治新政府の創成期は兵力も財力も権威も乏しく、いつ瓦解してもおかしくなかった

前回記事で『維新前後の政争と小栗上野の死

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543: 大政奉還したあとの旧幕府勢力に薩長が内乱を仕掛けた理由

前回は石川県の「不平士族」が大久保利通を

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542: 2018年新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。旧年中は

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541: 大久保利通を暗殺した石川県の不平士族らは何を求めていたのか

明治9年(1876)の第2次府県統合の後の地図を

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540: 廃藩置県で明治政府は県の名前や県庁の場所をどういう基準で決めたのか

子供の頃に「1都1道2府43県」と覚えて、全

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539: 「鳥取県」の消滅から再置以降の時代と鳥取の不平士族の動き

前々回の記事で明治9年(1876)になって鳥取

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538: 鳥取砂丘から若桜町、『日本三大投入堂』の一つ不動院岩屋堂を訪ねて

鳥取旅行の2日目はあいにく雨になった。お

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537: 陸軍に破壊された鳥取城の城跡から神話の舞台となった白兎海岸へ

前回記事で、明治時代の初めに因幡東照宮(

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536: 鳥取の紅葉名所・智頭町の諏訪神社と鳥取東照宮の神仏分離

毎年紅葉の季節になると、古い寺や神社を巡

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535: 吉田松陰はペリーを暗殺するためにポーハタン号に乗り込んだのか

嘉永七年(1854)三月二十七日ペリーの二度目

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533: ペリーの再来航と日米和親条約

ロシアのプチャーチンが長崎を去った八日後

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532: 嘉永6年に行われたわが国とロシアの領土談判とプチャーチンの残した警告

前回の記事で、アメリカのペリーが来航した

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531: ペリーが江戸を離れた翌月に4隻の艦隊を率いて長崎に来航したロシアのプチャーチン

前回まで2回に分けて嘉永6年(1853)6月3日

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530: ペリーが持参した米国大統領の国書と、有力諸藩大名が幕府に提出した意見書を読む

前回の記事で、徳川幕府の老中首座阿部正弘

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529: ペリー来航の目的と、その後幕府の権威が急速に失墜した経緯を考える

前回の記事で、江戸幕末に米の相場以上に生

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528: 江戸幕末期にお金で武士身分を獲得する相場が存在した背景を考える

菊池寛の『大衆維新史読本』という本を電子

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527: 後醍醐天皇を支えた武将・楠木正成にまつわる南河内の史跡を訪ねて

富田林寺内町の散策を終えて、滝谷不動(富

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526: 天誅組河内勢に関わる史跡と富田林市寺内町の美しい町並みを訪ねて

大阪府の富田林市とその周辺は先史時代より

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525: 幕府瓦解後に進行した江戸の荒廃と、政府転覆を目論む勢力の拡大を食い止めた東京遷都

以前このブログで、明治2年(1869)に『遷都

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524: 貧家に生まれた岩崎彌太郎が三菱財閥を創業した経緯

「スリーダイヤ」の三菱のマークを知らない

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523: 尼港事件の大惨事を教科書やマスコミはなぜ伝えないのか

前回の記事で、ソ連が「世界革命を推進」す

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522: コミンテルンの工作活動を我が国の当時の新聞はどう報じていたのか

1917年にロシア革命が起こり史上初の社会主

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521: 長崎の原子爆弾の「不発弾」を、ソ連に差し出そうとした大本営参謀の話

シベリアの抑留を体験し、帰国後に全国抑留

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520: 飯田市の観光を楽しんだのち、「満蒙開拓」とは何だったのかを考える

南信州旅行の3日目は、月下美人の精算を済

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519: 養命酒駒ヶ根工場見学ののち、秘境・遠山郷の素晴らしい文化と絶景を楽しんで

翌日の望岳荘の朝は快晴で、美しい日本アル

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518: ヒカリゴケが群生する光前寺から飯島陣屋跡、西岸寺を訪ねて

熱田神社から31kmほど走って、次の目的地で

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517: 伊那市の古い寺社と、250年以上続いた中尾歌舞伎のこと

久しぶりに信州に行きたくなって、先日伊那

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516: 日露戦争後に朝鮮半島を訪れた荒川五郎の『最近朝鮮事情』を読む

前回の記事で、この時期に朝鮮半島を訪れた

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515: 日露戦争の頃から日本軍に好意を示した韓国民衆がかなり存在した

前回の記事で、わが国が日清戦争で勝利して

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514: わが国はどういう経緯で朝鮮半島を統治することになったのか

前回の記事で、第二次大戦後に韓国が、朝鮮

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513: なぜ韓国はいつまでたっても「反日」をやめられないのか

前回の記事でわが国政府や民間企業が、朝鮮

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512: 日本統治時代に近代国家に生まれ変わった韓国

日露戦争でロシアに勝利した5年後の明治43

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511: 古代からの景勝の地であり和歌の聖地である和歌の浦近辺の歴史を訪ねて

『続日本紀』によると、神亀元年(724)2月に

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510: 蒲生氏郷が毒殺されたという説を考える

蒲生氏郷を郷土の誇りとして顕彰するために

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509: 蒲生氏郷が生んだ日野商人の豊かさ

前回の記事で、馬見岡綿向神社(うまみおか

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508: 藤の咲く季節に、日野町の歴史と文化を楽しんで

先日、滋賀県蒲生郡日野町に行ってきた。日

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507: 刀狩令の後も村に大量の武器が残されていながら、村を平和に導いた秀吉の智慧

前回の記事で、天正十六年(1588)七月に出さ

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506: 農民たちが帯刀していた時代と秀吉の刀狩令

前回の記事で、凶作と飢饉が相次いだ戦国時

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504: 戦国時代がこんなに長く続いたのはなぜか

以前このブログで、応永27年(1420)以降に凶

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503: 桜の咲く季節に京北の歴史と春を楽しんで

常照皇寺と黒田百年桜は残念ながら美しい桜

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502: 京北の常照皇寺と山国隊の歴史を訪ねて

毎年10月に行われる京都の時代祭を参観され

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501: 源平両軍の兵士による掠奪から民衆は如何にして食糧や家財を守ろうとしたのか

前回の記事で、平氏軍も源氏軍も兵粮が不足

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500: 大飢饉の西日本で平氏や源氏はどうやって兵粮米を調達したのか

前回の記事で、源頼朝や木曽義仲が平氏打倒

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499: 源頼朝が挙兵後約2ヶ月で南関東を制圧し、その後争いが鎮静化した理由を考える

前回の記事で天長8年(831)から桜の花見が天

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498: 万葉集で桜を詠った作品が少ないのはなぜか

桜が楽しめそうな季節が近づいてきたが、最

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497: 室津の歴史と、その古い街並みを楽しむ

前回の記事で室津は古来より天然の良港とし

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496: 梅の咲く季節にシーボルトが絶賛した賀茂神社を訪ねて

たまには古い街並みを歩きたいと思って、兵

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495: イギリスとフランスにとっての戊辰戦争

前回の記事で、西郷隆盛の命を受けて東征軍

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494: 江戸無血開城の真相を追う

慶応4年(1868)1月の鳥羽伏見の戦いに幕府軍

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493: 洋服に陣羽織入り乱れる鳥羽伏見の戦い

前回の記事で、江戸の幕府軍が何度も繰り返

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492: 武力解決派の挑発に乗ってしまった徳川幕府

前回の記事で、慶応3年(1867)12月9日の『王

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491: 王政復古の大号令の出た直後に京都が戦火に巻き込まれてもおかしくなかった

前回の記事で1867年(慶応3)年12月9日に岩倉

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490: 大政奉還のあと討幕派はいかにして王政復古に持ち込んだのか

前回の記事で徳川慶喜が1867年(慶応3)年10

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489: フランスの指導により近代的陸軍を整えながら徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか

前回の記事で、フランス公使ロッシュの献策

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488: 薩長を支援したイギリスに対抗して江戸幕府に接近したフランス

元治元年(1864)3月にフランスの新公使ロッ

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487: 江戸幕末におけるイギリスの対日政策と第二次長州征伐

前回の記事で江戸幕末期におけるイギリスの

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486: なぜ資力の乏しい長州藩が、グラバーから最新鋭の武器を大量に入手できたのか

先日このブログで、慶応元年(1865)に幕府が

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484: 2017年 新年のご挨拶

あけまして おめでとうございます 旧年中

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485: 旧メインブログBLOGariのサービス終了と、全記事のFC2ブログ置き換え後のURLリスト

旧メインブログで使用していたBLOGariのサ

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483: 薩摩藩・長州藩の討幕活動に深く関わったグラバー商会のこと

前回の記事でトーマス・グラバーが薩摩藩の

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482: 長州藩が攘夷の方針を改めた経緯

文久2年(1862)に公武合体策の一環として和

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481: 名勝猿尾滝から但馬・丹波の名工の彫刻が残されている古社寺を訪ねて

大乗寺の観光を終えて、但馬三名瀑の一つに

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480: 香住にある国指定重要文化財を楽しんで~~~帝釈寺、大乗寺を訪ねて

香住の宿をチェックアウトし、干物などの海

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479: 明治維新の魁(さきがけ)とされる生野義挙のこと

旧生野鉱山職員宿舎から西に400mほど歩くと

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478: 紅葉を訪ねて播州清水寺から生野銀山へ

紅葉の美しい季節となったので、今年も紅葉

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477: 無人のキスカ島に上陸した米軍に多くの死傷者が出た事情……『キスカ戦記』を読む9

昭和18年7月29日、濃霧の中でキスカ島守備

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476: 艦隊乗艦員の手記によるキスカ島守備隊撤退作戦……『キスカ戦記』を読む8

前回はキスカ島守備隊の兵士たちの手記を中

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475: キスカ守備隊員の手記による奇跡の完全無血撤退作戦成功……『キスカ戦記』を読む7

前回の記事で、キスカ島守備隊の兵士たちは

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474: キスカ島を目前にして撤収部隊は北千島に引き返していった……『キスカ戦記』を読む6

前回の記事で、潜水艦によるキスカ守備隊の

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473: 潜水艦によるキスカ島守備隊撤収が途中で中止された理由…『キスカ戦記』を読む5

前回の記事で書いた通り5月20日にキスカ守

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472: 補給に苦しみながら敵の上陸を許さなかったキスカ島の兵士たち…『キスカ戦記』を読む4

キスカ島の防衛のためには、航空戦力が不可

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471: キスカ上陸後、すぐに米軍の反撃が始まった~~『キスカ戦記』を読む3

前回は昭和17年(1942)6月7日に日本軍がキス

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470: ミッドウェー海戦大敗後、キスカ島上陸に意味はあったのか~~『キスカ戦記』を読む2

アリューシャン列島の西部にあるキスカ島、

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469: アッツ島、キスカ島を占領する目的はどこにあったのか~~『キスカ戦記』を読む1

京都にいる親しい友人から、近所に「キスカ

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468: 白壁と蔵に囲まれた五箇荘の近江商人屋敷めぐり

今回の旅行の計画を練っている時に、現在の

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467: 誰が安土城を焼失させたのか~~安土城跡と近隣散策記

近江八幡の中心地の観光を終えて安土城跡(

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466: 近江八幡の歴史と文化を楽しんで

しばらく重たい話題が続いたので、気分転換

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465: 室町幕府の弱体化を招いた『応仁の乱』はなぜ起こったのか

前回まで2回に分けて応永27年(1420)以降に

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464: 飢饉がありながら、応仁の乱の10年間に土一揆の記録がないのは何故か

前回の記事で応永27年(1420)以降に凶作や飢

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463: 応仁の乱の前に何度も土一揆がおきた背景を考える

前回の記事で、1420年頃から太陽活動が極端

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462: 戦国時代に多くの農民が大名の軍隊に加わった理由

学生時代に、応仁の乱ののち下剋上の風潮が

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461: キリスト教国を相手に開国したわが国がキリスト教を禁止し続けた矛盾

江戸時代の末期に、わが国は米国からの要求

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460: 明治6年に越前の真宗の僧侶や門徒はなぜ大決起したのか~~越前護法大一揆のこと

前回は明治政府の強引な宗教政策に反対して

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459: 浄土真宗の僧侶や門徒は、明治政府の神仏分離政策に過激に闘った…大濱騒動のこと

前回の記事で、あまりにも強引な明治政府の

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458: 白峰地区の林西寺に残された白山下山仏と、破壊された越前馬場・白山平泉寺

旅行の二日目は思いのほか良い天気だったの

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457: 白山信仰の聖地を訪ねて加賀禅定道を行く

石川県白山市と岐阜県大野郡白川村にまたが

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456: 後南朝の歴史は、なぜ闇に葬られたのか

前回は、奈良県吉野郡川上村で匿われていた

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455: 後南朝の皇子にまつわる川上村の悲しい歴史と土倉庄三郎

松尾芭蕉の門弟の支考が吉野を詠んだ句に、

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454: 吉野の山村から明治という時代を動かした、森林王・土倉庄三郎を振り返る

明治40年(1907)に大阪朝日新聞社から出版さ

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453: 織田信長が「桶狭間の戦い」に勝利した戦略を考える

戦国時代の英雄といえば、わが国が統一され

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452: 新緑の書写山・円教寺と、その「奥の院」と呼ばれる弥勒寺に残された神仏習合の世界

姫路城を楽しんだ後、西国三十三ヶ所の第二

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451: 江戸幕末以降の危機を何度も乗り越えて、奇跡的に残された国宝・姫路城を訪ねて

姫路城から書写山・円教寺を巡る小旅行をず

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450: 日本共産党が在日朝鮮人と連携し武装闘争に走った時代を忘れるな

前回の記事で、昭和20年10月に再刊されたば

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449: スターリンの罠にかかって第二次大戦に突入したことをわが国から教えられた米国の反応

柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』の話題

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448: 『近衛上奏文』という重要文書がなぜ戦後の歴史叙述の中で無視されてきたのか

前回の記事で柴田秀利氏の『戦後マスコミ回

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447: わが国はいかにして第二次世界大戦に巻き込まれたのか

戦後の混乱期に読売新聞記者としてGHQ等を

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446: なぜわが国は『シベリア抑留』の実態解明調査を怠ってきたのか

このブログで『シベリア抑留』について何度

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445: 誇り高き十津川村の歴史を訪ねて

温泉地(とうせんじ)温泉まで来れば熊野本宮

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444: 天誅組の足跡を追って天辻峠から十津川村へ

宇陀松山を楽しんだのち、十津川村に向かう

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443: 又兵衛桜を楽しんだのち宇陀松山の街並みを歩く

毎年4月の上旬に桜を楽しみながら歴史を散

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442: ゴロウニンを解放させた高田屋嘉兵衛の知恵

文化元年(1804)にレザノフが長崎に来航した

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441: 間宮林蔵は原住民の小舟で北樺太を探検し、海峡を渡って樺太が島であることを確認した

前回の記事で、江戸幕府はフヴォストフが次

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440: ペリー来航の45年前のわが国でロシアとの交易を開始する準備がなされていた

前回の記事でロシアの全権使節であるニコラ

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439: レザノフを全権使節として派遣したロシアにわが国を侵略する意図はあったのか

前回の記事で、戦国時代にキリシタンによっ

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438: 薩摩に敗れて捕虜にされた多くの豊後の人々は南蛮船に乗せられてどこへ向かったか

前回の記事で島津義久の攻撃で大友氏が滅亡

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437: 大友宗麟はキリスト教に接近し、洗礼を受ける前から神社仏閣を破壊した

前回は大村純忠の神社仏閣の破壊のことを書

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436: わが国で最初のキリシタン大名となった大村純忠の『排仏毀釈』

天文18年(1549)8月15日にフランシスコ・ザ

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435: 西軍の毛利氏と島津氏の家康に対する交渉力の違い

前回の記事で、石田三成、小西行長、安国寺

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434: 石田三成、小西行長、安国寺恵瓊らが捕縛され京都で斬首されたこと

関ヶ原の戦いに大勝したとはいえ、西軍の首

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433: 関ヶ原の戦いの後の佐和山城と大垣城の落城

前回の記事で慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原

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432: 関ヶ原の戦いの本戦で東西両軍はいかに戦ったのか

関ヶ原を東西に東山道*が貫通し、中央より

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431: 関ヶ原本戦の前日に、杭瀬川の戦いで西軍が大勝してからの東西両軍の動き

前回の記事で、石田三成が関ヶ原の本戦の3

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430: 天下分け目の関ヶ原の戦いの前に、家康はいかにして西軍有利の状況を覆したのか

前回の記事で、石田三成を中心とする西軍は

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429: 石田三成の挙兵後、なぜ徳川家康は東軍の諸将とともに西に向かわなかったのか

前々回の記事で、会津の上杉景勝に謀反の噂

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428: 2016年 新年のごあいさつ

あけまして おめでとうございます【神明社

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427: 徳川家康が大坂城を乗っ取り権力を掌握したのち石田三成らが挙兵に至る経緯

前回の記事で、豊臣秀吉が亡くなった後、徳

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426: 豊臣秀吉が死んだ後の2年間に家康や三成らはどう動いたのか

いつの時代でもどこの国でも、最高権力者が

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425: 島左近は関ヶ原の戦いで死んでいないのではないか

「治部少(ちぶしょう:石田三成)に過ぎたる

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424: 妙満寺、圓光寺、金福寺の秋を楽しんで

圓通寺の借景を楽しんだのち、近くの妙満寺

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423: 洛北の紅葉の名所を訪ねて~~実相院から圓通寺へ

ここ数年、紅葉の季節になると古い寺や神社

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422: 海住山寺から神童寺、蟹満寺を訪ねて

前回に引き続き、京都府木津川市にある国宝

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421: 浄瑠璃寺から岩船寺へ~~秋深まる当尾の里の名刹と石仏を訪ねて

毎年紅葉の季節になると、古い寺や神社を巡

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420: 軍部が情報を握りつぶした「昭和東南海地震」

真珠湾の奇襲攻撃に成功してからほぼ3年が

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419: 三井寺の国宝・重要文化財観賞の後、非公開の寺・安養寺を訪ねて

大津市歴史博物館の企画展を楽しんだ後、す

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418: 国宝・新羅善神堂近辺の散策の後、大津市歴史博物館で比叡山ゆかりの古仏を楽しむ

都道府県格付研究所のホームページで「国宝

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417: 田沼意知の暗殺を仕掛けたのは誰なのか

天明4年(1784)3月24日、田沼意次の長男であ

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416: 田沼意次を「賄賂政治家」と貶めたのは誰だったのか

学生時代に田沼意次(たぬまおきつぐ)を学ん

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415: 日本軍の南京攻略戦が始まる前から、中国兵の大量の死体が存在していたのではないか

前回の記事で、蒋介石は上海戦に続く南京戦

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414: 南京を脱出し多くの中国兵士を見捨てた蒋介石・唐生智は何を狙っていたのか

前回の記事で、昭和12年(1937)の盧溝橋事件

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413: なぜわが国が中国との戦争に巻き込まれたのか…興亜院政務部の極秘資料を読む

高校で日中戦争を学んだ時に、わが国がなぜ

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412: 日本共産党が軍を工作するために制作したパンフレットなどを読む

前回は、ソ連が如何にしてわが国や世界に共

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411: ロシア革命後、ソ連はいかにして共産主義を全世界に拡散させたのか

前回は、日本の軍部が左傾化していることを

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410: 昭和初期以降、わが国の軍部が左傾化した背景を考える

前回の記事で、わが国の終戦工作を担当した

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409: 共産主義に傾倒した陸軍参謀本部大佐がまとめた終戦工作原案を読む

今までこのブログで何度か紹介してきた、種

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408: なぜ中国大陸に大量の日本人孤児や婦人が残されたのか

前回の記事で、ソ連が対日参戦したため満州

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407: ソ連占領下から引揚げてきた日本人の塗炭の苦しみを忘れるな

昭和20年8月15日の玉音放送によりわが国の

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406: 戦勝国による「歴史の書き替え」が始まった

8月8日付の産経新聞にこんな記事が掲載され

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405: アメリカは当初、京都を原爆投下の第一のターゲットにしていた

私は京都に生まれて京都で育ったが、子供の

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404: 白馬落倉高原の風切地蔵、若一王子神社、国宝・仁科神明宮などを訪ねて

白馬落倉高原の朝を迎えて、いい天気なので

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403: 智識寺、荒砥城址のあと、修験道の聖地であった戸隠三社を歩く

長野旅行の2日目は中棚温泉から千曲市にあ

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402: 苔むした美しい寺・貞祥寺と島崎藤村ゆかりの中棚温泉

新海三社神社の神仏習合の景観を楽しんだの

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401: 日本百名城の一つである小諸城址から龍岡城跡、新海三社神社を訪ねて

高校時代の教科書に島崎藤村の『千曲川旅情

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399: 明治5年の修験道廃止で17万人もいた山伏はどうなった

前回まで、奈良県の修験道の聖地などを周っ

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398: 高松塚から奈良県最大の廃仏毀釈のあった内山永久寺の跡を訪ねて

前回の記事で『藤原京の聖なるライン』のこ

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397: 日本百名城の一つである高取城址から壺阪寺を訪ねて

丹生川上神社下社を参拝した後、道の駅で昼

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396: 修験道の聖地・龍泉寺から天川弁財天神社、丹生川上神社下社を訪ねて

翌朝は雨が降っていたのだが、せっかく来た

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395: 長谷寺、宇太水分神社、片岡家住宅を訪ねたのち洞川温泉へ

室生寺のルーツである「龍穴」を訪ねた後、

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394: 文化財の宝庫・室生寺とそのルーツを訪ねて

室生寺のことを調べていると、久しぶりに奈

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393: シーボルトが記した「鎖国」の実態を知れば、オランダの利益の大きさがわかる

出島は寛永13年(1636)に、ポルトガル人を収

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392: 江戸幕府がポルトガルと断交した後に海外貿易高は増加した

Wikipediaによると「鎖国とは、江戸幕府が

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391: 島原の乱に懲りた江戸幕府はオランダに対しても強気で交渉した

島原の乱の苦い経験に余程懲りたのであろう

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390: 島原の乱平定の後も、わが国との貿易再開を諦めなかったポルトガル

前回の記事で江戸幕府は、島原の乱の「一揆

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389: 島原の乱を江戸幕府はどうやって終息させたのか

島原の乱が、単純な百姓一揆とは異なる重大

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388: 島原の乱の「一揆勢」は、大量の鉄砲と弾薬をどうやって調達したのか

前回の記事で、島原の乱の「一揆勢」が短期

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387: 島原の乱の一揆勢が原城に籠城して、どこの支援を待ち続けたのか

前回の記事で、島原の乱は年貢の減免を求め

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386: 島原の乱の最初にキリシタンは寺社を放火し僧侶を殺害した

前回まで江戸幕府が鎖国するに至るまでの経

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385: 徳川幕府に「鎖国」を決断させた当時の西洋列強の動き

江戸幕府が鎖国政策を強化していった経緯を

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384: 「観音の里」長浜の桜と文化を楽しんだあと、徳源院や龍潭寺、井伊神社を訪ねて

鶯の鳴き声で目が覚めて、清々しい朝を迎え

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383: 湖東三山・西明寺から多賀大社、国友鉄砲の里を訪ね、長浜の茅葺の宿に泊まる

あびこ屋で昼食を終えてから、次の目的地で

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382: 石山寺の桜と、湖東三山の百済寺、金剛輪寺を訪ねて

毎年桜の咲くころになると、桜の名所やその

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381: 徳川家光がフィリピンのマニラの征伐を検討した背景を考える

元和9年(1623)7月に家光が20歳で徳川三代将

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380: 江戸幕府の対外政策とキリスト教対策が、急に厳しくなった背景を考える

前回の記事で、慶長18年(1613)に全国に出さ

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379: 家康のキリシタン弾圧と、キリシタン武将・宣教師らにとっての大阪の陣

前回の記事で、キリスト教に寛容であった徳

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378: 徳川家康が、急にキリスト教を警戒し出した経緯

前回の記事で、徳川家康は当初はキリスト教

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377: 宣教師やキリシタン大名にとっての関ヶ原の戦い

前回の記事で、秀吉の死の半年後である1599

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376: わが国を武力征服しようとしたスペイン宣教師の戦略を阻んだ要因は何か

前回は、遭難したサン・フェリペ号の積荷没

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375: サン・フェリペ号事件と日本二十六聖人殉教事件を考える

前回の記事で豊臣秀吉が、スペインの植民地

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374: フィリピンを征服したスペインに降伏勧告状を突き付けた豊臣秀吉

前回の記事で1584年にイエズス会の日本布教

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373: 日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代

前回の記事で、伴天連らが日本で布教活動を

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372: キリスト教徒に神社仏閣や仏像などが破壊された時代

天正15年(1587)の7月、豊臣秀吉が『伴天連

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371: 日本人傭兵を買い漁った西洋と東南アジア諸国の背景を考える

前回の記事で、イエズス会の宣教師として来

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370: 日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える

前々回の記事で、1604年に朱印船制度が創設

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369: 台湾からオランダを追い出した鄭成功の大和魂

前回は、台湾を強引に占領して、いきなり朱

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368: 鎖国前の台湾で、新参者のオランダの苛政に抵抗した日本商人の話

昨年の秋に日光東照宮に訪れたレポートをこ

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367: 徳川家旧幕臣らが士族身分を捨てて開拓した牧之原台地

前回まで、徳川の旧幕臣達が明治維新によっ

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366: 徳川家と共に静岡に移住した士族が記した「士族の商法」

前回まで、幕臣の家に生まれた塚原渋柿園が

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365: 静岡に移住した旧幕臣たちの悲惨な暮らし

前回は、徳川家が駿府(静岡)に移封されるこ

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364: 2015年 新年のごあいさつ

あけまして おめでとうございます旧年中は

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363: 江戸開城後に静岡移住を決意した旧幕臣らを奴隷同然に運んだ米国の船

前回まで2回続けて、明治時代の士族の話を

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362: 明治政府は士族をどう活用しようとしたのか

前回は、明治維新のあとで士族の収入が激減

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361: 明治維新と武士の没落

明治維新で政権が朝廷に奉還され、明治2年(

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360: 出石散策の後、紅葉の美しい国宝・太山寺へ

出石蕎麦の昼食を終えて出石城址に向かう。

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359: 柴山漁港の競りを見学のあと出石神社、宗鏡寺の紅葉を楽しむ

柴山で宿泊した民宿から15分ほど歩いたとこ

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358: 素晴らしい紅葉の国宝寺院・一乗寺から日本海へ

次に向かったのは西国三十三所巡礼観音霊場

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357: 播磨の国宝寺院の神仏習合の景観を楽しんで~~朝光寺・浄土寺

毎年紅葉の時期に古社寺を訪ねて日本海方面

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356: 松尾芭蕉と河合曾良の『奥の細道』の旅の謎を追う

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅

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355: 日光の秋を求めて憾満ヶ淵から田母沢御用邸へ~~~日光観光その4

日光旅行の初日は、瀧尾神社、四本竜寺、本

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354: 日光二荒山神社から国宝・大猷院へ~~日光観光その3

日光東照宮の拝観を終えて、上新道を歩いて

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353: 紅葉し始めた日光の輪王寺と東照宮を歩く~~日光観光その2

前々回の記事で、輪王寺が明治政府の神仏分

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352: 古き日光の祈りの風景を求めて~~日光観光その1

栃木県の宇都宮に行く用事があったので、つ

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351: 日光の社寺が廃仏毀釈の破壊を免れた背景を考える~~日光東照宮の危機2

以前このブログで、滋賀県大津市坂本の日吉

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350: 戊辰戦争で焼き討ちされる危機にあった日光東照宮~~日光東照宮の危機1

以前日光東照宮に旅行したときには全く気が

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349: 家康の死後の主導権争いと日光東照宮

元和2年(1616)1月21日に鷹狩りに出かけた家

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348: 世界遺産の比叡山延暦寺の諸堂を巡って

滋賀県大津市坂本の観光の途中で明智家の菩

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347: 南光坊天海は明智光秀と同一人物なのか…「光秀=天海説」を考える その2

前回の記事で、光秀が山崎の合戦以降も生き

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346: 光秀は山崎の合戦で死んでいないのではないか…「光秀=天海説」を考える その1

天正10年(1582)6月13日の深夜に、山崎の合

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345: 慈眼堂、滋賀院門跡から明智光秀の墓のある西教寺を訪ねて考えたこと

日吉東照宮からケーブルの坂本駅方面に抜け

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344: 唐崎神社から日吉大社、日吉東照宮を訪ねて

前回は慶応4年(明治元年1868)3月に神祇官か

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343: 神仏分離令が出た直後の廃仏毀釈の首謀者は神祇官の重職だった

このブログで、岐阜県安八郡神戸(こうど)町

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342: 全寺院を廃寺にした薩摩藩の廃仏毀釈は江戸末期より始まっていたのではないか

以前このブログで薩摩藩の廃仏毀釈のことを

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341: 寺院の梵鐘を鋳つぶして大砲を作れという太政官符に苦慮した江戸幕府

嘉永6年6月3日(1853年7月)、ペリーが米大統

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340: 水戸藩が明治維新以前に廃仏毀釈を行なった経緯

前回は、明治維新後に神仏分離令が出されて

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339: 江戸時代になぜ排仏思想が拡がり、明治維新後に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたのか

このブログで何度か明治初期の廃仏毀釈のこ

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338: 日吉神社、大垣城、南宮大社から関ヶ原古戦場に向かう

旅行の3日目は、長良川沿いの「ホテル石金

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337: 「さくら道」を走って、織田信長が天下布武を宣言した岐阜に向かう

前回は荘川桜のことを書いたが、この荘川桜

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336: 湖底に沈んだ「飛騨の白川郷」と呼ばれた合掌造り集落の話

白川郷の民宿「十右エ門」を8時半ごろ出て

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335: 郡上一揆と白山信仰のゆかりの地を訪ね、白川郷の合掌造りの民宿で泊まる

前回の記事で郡上八幡城の歴史について、「

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334: 郡上八幡の歴史と文化と古い街並みを楽しんで

毎年7月には避暑と歴史散策をかねて車で旅

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333: ポーツマス会議のあと、講和条約反対・戦争継続の世論が盛り上がった事情

明治38年(1905)6月10日にわが国は米国大統

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332: 日本海海戦で日本軍が圧勝した背景と東郷平八郎の決断

乃木希助率いる第三軍が旅順要塞に対する第

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331: 圧倒的に劣勢であった奉天会戦に日本軍が勝利できたのは何故か

旅順の攻略を終えた乃木率いる第三軍は、総

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330: 世界は乃木率いる第三軍が旅順要塞を短期間で落城させたことを賞賛した

前回は明治37年(1904)11月26日の白襷隊の攻

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329: 乃木将軍は「愚将」であったのか

明治37年(1904)5月1日、留守近衛師団長であ

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328: 日露戦争の原因となったロシアの朝鮮侵略をけしかけた国はどこの国か

前回及び前々回の記事で金子堅太郎の『日露

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327: なぜ米国は日露戦争開戦当初から日本の勝利を確信したのか

前回の記事で、日露戦争開戦を決断した直後

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326: 日露開戦を決定したわが国の首脳に、戦争に勝利する確信はあったのか

明治37年(1904)2月4日の御前会議で対露断交

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325: 義和団による暴動を、満州占領のチャンスととらえたロシア

義和団は北京や天津だけで暴動を起こしたわ

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324: 北清事変で北京制圧の後に本性を露わにした「文明国」の軍隊

義和団と清兵に取り囲まれた4000人の籠城者

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323: 義和団の暴徒に囲まれ孤立した公使館区域の人々が如何にして生き延びたのか

「眠れる獅子」と形容され、世界から一目置

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322: 大迫力の閻魔大王像に魅せられて~~水無瀬から大山崎歴史散歩3

水無瀬の滝と東大寺春日神社の後はサントリ

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321: 後鳥羽上皇が愛した水無瀬の地を歩く~~水無瀬から大山崎歴史散歩2

櫻井の駅跡から西国街道を東に進み、途中で

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320: 「櫻井の別れ」は、どこまでが真実か~~水無瀬から大山崎歴史散歩1

ゴールデンウィークに、阪急沿線の水無瀬駅

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319: 薩英戦争の人的被害は、英国軍の方が大きかった

前回は、文久3年(1863)の薩英戦争は、英国

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318: 薩英戦争で英国の砲艦外交は薩摩藩には通用しなかった

前回は生麦事件における江戸幕府の対応を書

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317: 生麦事件は、単純な攘夷殺人事件と分類されるべきなのか

文久2年(1862)8月21日、4人の英国人が生麦

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316: 二見ヶ浦観光のあと、明治時代の名建築である賓日館を楽しむ

庫蔵寺を観光したあと、二見ヶ浦に向かう。

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315: 伊勢神宮内宮の別宮・月讀宮、神宮徴古館、金剛證寺などを訪ねて

前回は伊勢神宮の式年遷宮を復活させた慶光

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314: 伊勢の廃仏毀釈と伊勢神宮の式年遷宮に多大な貢献をした尼寺のこと

前回の記事の最後に、おはらい町のなかに国

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313: 遷御の儀を終えた伊勢神宮の外宮から内宮を訪ねて

毎年桜の咲く季節になると、どこか桜の名所

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312: 三国干渉に直面したわが国の外交交渉はいかなるものであったのか

世界の予想を裏切ってわが国は清に圧勝し、

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310: 日清戦争で日本軍は、陸も海も連戦連勝だった

明治27年(1894)7月25日、朝鮮の北西岸豊島

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309: 日清戦争開戦前の5ヶ月間の動きを追う

前回の記事で、明治27年(1894)3月28日に金

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308: 福沢諭吉は、どういう経緯で『脱亜論』を書いたのか

甲申事変の後、日清間で締結された天津条約

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307: 明治期の日本にとって朝鮮半島はいかなる存在であったか

前回の記事で、陸奥宗光外相らの努力により

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306: 陸奥宗光が条約改正を一部実現させた経緯について

引き続き条約改正に関する記事を続ける。前

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305: 条約改正が成功する寸前で大隈重信の脚を引っ張ったのは誰か

前回および前々回の記事で、わが国に英商人

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304: 英国船が沈没して白人が助かり、日本人乗客は全員溺死したノルマントン号事件

前回の記事で、わが国で「条約改正」の世論

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303: 英商人に阿片を持込まれ、コレラ流行時に港で外国船の検疫を拒否された明治日本

前回の記事で、帝国議会の開設を明治政府が

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302: 自由党と立憲改進党が帝国議会開設を前に衰退した経緯

自由民権運動の高まりに対抗して明治政府は

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301: 『板垣死すとも自由は死せず』が広められた背景を読む

私の書棚に1冊のGHQ焚書図書がある。ある古

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300: 『ポツダム宣言』を公然と無視し、国際法に違反した国はどの国か~~ポツダム宣言10

前回まで『ポツダム宣言』受諾をめぐるわが

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299: 帝国陸軍の左傾化と阿南陸相の自決との関係~~ポツダム宣言9

前回まで『ポツダム宣言』受諾をめぐるわが

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298: 国内で徹底抗戦と言いながらソ連参戦後すぐに満州を放棄した日本軍~~ポツダム宣言8

前回および前々回の記事で、8月14日の御前

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297: 昭和20年8月15日に終戦出来なかった可能性はかなりあった~~ポツダム宣言7

前回の記事で、阿南陸相の義弟である竹下中

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296: 『玉音放送』を阻止しようとした『軍国主義』の将校たち~~ポツダム宣言6

このシリーズの3回目に、昭和天皇の御聖断

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295: 政府中枢にいてソ連に忠誠を尽くそうとした『軍国主義者』たち~~ポツダム宣言5

前々回の記事で、昭和3年(1928)5月24日付の

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294: 新年のご挨拶と、メインブログをFC2に変更するお知らせ

今年は喪中につき祝辞は控えさせていただき

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293: 学生や軍部に共産思想が蔓延していることが危惧されていた時代~~ポツダム宣言4

以前このブログで、1928年のコミンテルン第

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292: 原爆・ソ連参戦の後も『ポツダム宣言』受諾に抵抗したのは誰か~~ポツダム宣言3

前回の記事で、『ポツダム宣言』が出た直後

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291: 『ポツダム宣言』の各条項が決まるまでの経緯と公表後の日本の反応~~ポツダム宣言2

前回の記事で、『ポツダム宣言』がわが国に

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290: 『ポツダム宣言』を受諾したわが国は、連合国に「無条件降伏」したのか

1945年8月14日、日本国は『ポツダム宣言』

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289: 但馬安国寺の紅葉と柏原八幡神社の神仏習合の風景などを訪ねて

さて、旅行の2日目に入るが、朝一番に向か

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288: 紅葉の名所・養父神社と香住の帝釈寺を訪ねて

聖徳太子や恵便にゆかりのある寺を訪れたの

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287: 播磨の古刹を訪ねて~~~聖徳太子ゆかりの斑鳩寺と随願寺

前回の記事で、わが国で仏教が拡がったのは

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286: 聖徳太子の時代に建てられた寺院がなぜ兵庫県にあるのか

以前このブログで、『日本書紀』の敏達天皇

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285: 軍の圧力に屈し解明できなかった、中国共産党に繋がる諜報組織

すこし前にゾルゲ事件で主謀者が検挙された

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284: 特高が送り込んだスパイに過剰反応した日本共産党

前回記事の最後に、昭和8年(1933)の12月に

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283: 特高警察の「拷問」とはどの程度のものであったのか

前回まで3回にわたって、宮下弘氏の『特高

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282: 尾崎・ゾルゲらの一斉検挙とその後

前回の記事で、北林トモの供述に基づき宮城

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281: ゾルゲ、尾崎らが一斉検挙に至った経緯について

前回の記事で尾崎秀実自身がソ連のスパイ活

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280: 尾崎秀実の手記を読めば、第二次世界大戦の真相が見えてくる

前回および前々回の記事で、1928年以降アメ

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279: 『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか

前回まで、わが国が連合軍に占領されていた

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276: スターリンが朝鮮戦争に米国を誘導したことを示す極秘文書が発見されている

前回は、トルーマン政権が朝鮮戦争で国連軍

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272: 朝鮮戦争で、国連軍を勝たせないようにしたのは誰なのか

仁川上陸作戦で北朝鮮軍の補給路を断ち攻勢

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266: 朝鮮戦争の緒戦で北朝鮮軍が韓国領の9割以上を制圧できたのはなぜか

1950年6月25日の午前4時に朝鮮半島の38度線

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257: アメリカがGHQの中の左翼主義者の一掃をはかった事情

ウィロビーの回顧録を読み進んでいくと、19

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246: GHQの中にもソ連の工作があったのではないか

ウィロビーの回顧録を読み進むと、わが国の

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236: アメリカまでのびていたゾルゲ諜報組織の「赤い糸」

前回、前々回の記事で紹介した『知られざる

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224: 終戦後大量の日本兵がソ連の捕虜とされ、帰還が遅れた背景を考える

昭和20年(1945)8月14日の御前会議でポツダ

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214: GHQ情報部長が、日米は戦うべきではなかったと述べた理由

以前このブログで、三田村武夫氏の『大東亜

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194: 日本百名城の一つである岩村城を訪ねた後、国宝・永保寺に立ち寄る

苗木藩の廃仏毀釈の史跡を見た後、岩村城跡

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179: 苗木藩の廃仏毀釈と、その史跡を訪ねて

前回の記事で、苗木藩では徹底した廃仏毀釈

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165: 白骨温泉から奈良井宿、阿寺渓谷を散策のあと苗木城址を訪ねて

白骨温泉で清々しい朝を迎えて、小鳥の囀り

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154: 「大原騒動」の史跡や飛騨の国宝や渓谷などを訪ねて白骨温泉へ

前回「大原騒動」のことを書いたが、記事の

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131: 飛騨地方を舞台にした悪代官と義民の物語

江戸時代に飛騨地方で、「大原騒動」という

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124: 押収されたシーボルトの膨大なコレクションの大部分が返却されたのはなぜか

シーボルトと同様にオランダ商館付の医師と

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93: シーボルトはスパイであったのか

シーボルトがスパイであったというのが多数

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59: シーボルトが、なぜわが国が西洋列強に呑まれないように奔走したのか

前回の記事で、開国に際してわが国と欧米諸

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30: シーボルトと日本の開国

ドイツ人のシーボルトが長崎出島のオランダ

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10: 法隆寺再建論争を追う

古代史の話題が続いて恐縮だが、今回は「法

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4: 仏教伝来についての教科書の記述が書きかえられるのはいつか~~大和朝廷4

前回の記事で、『日本書紀』の「書」という

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9: 『日本書紀』は、わが国が統一国家でなかった時代を記述している~~大和朝廷の統一3

前回の記事で中国の正史である『旧唐書』に

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8: 唐の時代の正史では倭国と日本国とは別の国である~~大和朝廷の統一2

学生時代に歴史を学んだ時に、「倭国」と「

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7: 聖徳太子の時代にわが国は統一国家であったのか~~大和朝廷の統一1

学生時代に、遅くとも4世紀の半ばまでには

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13: 吉野の森林王と、闇の歴史である後南朝の史跡を訪ねて~~五條・吉野の旅その3

竹林院群芳園で朝食を済ませて、吉野郡川上

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12: 天誅組の最後の地・東吉野から竹林院群芳園へ~~五條・吉野の旅その2

孝明天皇の大和行幸に先行して天皇の鳳輦を

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11: 五條市に天誅組と南朝の歴史を訪ねて~~五條・吉野の旅その1

奈良県の五條市に天平時代の建築物である栄

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174: 東京遷都のあとの京都の衰退にどうやって歯止めをかけたか

前回の記事で、明治2年(1869)の「東京遷都

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173: 正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える

京都に生まれ育ったこともあって、京都御所

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235: なぜわが国は安重根を犯人とすることで幕引きをはかったのか~~伊藤博文暗殺3

前回まで2回に分けて伊藤博文暗殺事件につ

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234: 伊藤博文を撃ったのは本当は誰なのか~~~伊藤博文暗殺その2

韓国最大の発行部数を誇る「朝鮮日報」とい

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233: 韓国皇帝が伊藤博文を「韓国の慈父」と呼んだ経緯~~~伊藤博文暗殺その1

わが国の初代首相であった伊藤博文は、明治

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249: 津山の文化財を訪ねた後、尾道の桜を楽しむ

津山の「樹庵」の食事を終えて、午後は津山

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248: 開国・維新後のわが国の近代化の礎を築いた津山の洋学者たち

千光寺の枝垂れ桜を楽しんだ後、西新町の出

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247: 津山城址と千光寺の桜を楽しむ

毎年桜の時期になると、桜の美しいところを

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177: 廃仏毀釈などを強引に推し進めて、古美術品を精力的に蒐集した役人は誰だ

前回の記事で奈良の最初の県令であった公家

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176: 奈良の文化財の破壊を誰が命令したのか

前回は高村光雲の文章を紹介したが、この文

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175: なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか

このブログで何度か明治初期に起こった廃仏

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168: 住職が勤王倒幕運動に身を投じた江戸幕末の清水寺

前回の記事で清水寺が明治期の廃仏毀釈や上

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167: 明治期に潰れてもおかしくなかった清水寺

下の画像はこのブログで以前何度か紹介した

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166: 坂上田村麻呂と清水寺

先日京都の清水寺に行ってきた。2月の寒い

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259: 「桜田門外の変」と、井伊直弼の死が長い間隠蔽された事情

万延元年(1860)三月三日、江戸城に入ろうと

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164: 西郷との会談で江戸城の無血開城を実現させた勝海舟は西郷の遺児支援に奔走した

慶応3年(1867)12月9日に薩長両藩および岩倉

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163: 西郷隆盛はなぜ西南戦争を戦ったのか

前回は、GHQ焚書図書である菊池寛の『大衆

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162: 西南戦争が起こる前の鹿児島県はまるで独立国のようだった

前回の記事で、明治6年に征韓論争が決裂し

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161: 征韓論争は大久保が西郷を排除するために仕掛けたのではなかったか

前回は、GHQ焚書図書となった菊池寛の『大

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160: 西郷隆盛なくして、地方の権力と武力を中央に集める廃藩置県が可能だったか

以前このブログでGHQによって焚書処分され

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254: 蒋介石に外国の干渉を導くことを進言したドイツの軍事顧問団

以前このブログで、フレデリック・ヴィンセ

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253: 陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か

前回の記事で、中国軍には前線の後方にいて

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252: 中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる

西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封3』に、中国

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251: 「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか

前回の記事でルーズベルト米大統領が、蒋介

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271: ルーズベルトはなぜ黄色人種の中国を連合国陣営に残そうとしたのか~~米国排日11

「米国排日」シリーズの最初の記事で『昭和

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270: なぜわが国にだけ原爆が落とされたのか~~米国排日10

以前このブログで、わが国のメディアや出版

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269: 強制収容所の日系人が米軍を志願した理由は何だったのか~~米国排日9

前回の記事で、日系人強制収容所の写真が沢

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268: なぜ日系人だけが強制収容所に送られたのか~~米国排日8

「カリフォルニア州の排日運動が、日露戦争

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267: 日本軍の真珠湾攻撃で快哉を叫んだ米国黒人が少なからずいた~~米国排日7

そして1941年12月8日の真珠湾攻撃で日米の

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265: 関東大震災のあと日本支援に立ち上がった米国黒人たち~~米国排日6

レジナルド・カーニー氏の『20世紀の日本人

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264: パリ講和会議で人種差別撤廃案を提出した日本とその後の黒人暴動など~~米国排日5

1918年11月11日、ドイツは連合国に降伏し第

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263: 日露戦争以降、わが国は米国黒人の希望の星であった~~米国排日4

前回は日露戦争以降のアメリカで日本人排斥

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262: 米人弁護士が書いた日露戦争後のカリフォルニアの排日運動~~米国排日3

前回まで二回にわけて、日露戦争以降のアメ

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261: 日露戦争後のアメリカにおける日本人差別の実態~~米国排日2

アメリカの排日は、日露戦争後にアメリカの

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260: カリフォルニア州の排日運動が、日露戦争後に急拡大した背景を考える~~米国排日1

昭和21年の3月から4月にかけて、当時の松平

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229: 「天空の城」竹田城を訪ねて~~香住カニ旅行3

但馬妙見山の三重塔を見た後、途中で昼食を

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228: 香住から但馬妙見山の紅葉と朱塗りの三重塔を訪ねて~~香住カニ旅行2

香住で朝を迎えると、宿の主人から声がかか

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227: 丹波古刹の「もみじめぐり」から香住へ~~香住カニ旅行1

毎年カニ解禁になると日本海方面に旅行する

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258: 討幕の密勅、大政奉還から王政復古の大号令までの歴史を振り返る

前回の『ええじゃないか』騒動の記事で、岩

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256: 幕末の「ええじゃないか」は世直しを訴える民衆運動だったのか

学生時代に教科書や参考書をいくら読んでも

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172: 中津渓谷から秋葉神社に向かい、最後に武田勝頼伝説の地を訪ねて~~高知方面旅行4

朝食を摂ってから、すぐ近くの中津渓谷に向

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171: 仁淀川町の安居渓谷から長州大工の名建築・河嶋山神社を訪ねて~~高知方面旅行3

神秘的な「にこ淵」の景観を楽しんでから、

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170: 高知市五台山の名所から、いの町の文化と自然を楽しむドライブ~~高知方面旅行2

ホテルをチェックアウトして、高知市の東に

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169: 箸蔵寺から高知県唯一の国宝建造物・豊楽寺薬師堂などを訪ねて~~高知方面旅行1

以前このブログで、「こんぴらさん」で有名

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245: 「南京大虐殺」の真実を追う~~中国排日8

前回まで3回にわたり、米人ジャーナリスト

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244: プロパガンダでわが国に罪を擦り付け、世界を「反日」に誘導した中国~~中国排日7

前々回から紹介している”Behind the News i

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243: 蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか~~中国排日6

前回の記事で、1938年にアメリカ人ジャーナ

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242: 当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか~~中国排日5

前回まで4回に分けて、GHQに焚書処分された

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241: 中国全土に及んだ「排日」がいかに広められ、誰が利用したのか~~中国排日4

前回の記事で昭和11年(1936)の8~9月ごろに

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240: 中国の排日が我が国を激しく挑発するに至った経緯~~中国排日3

前回まで、長野朗氏の『支那三十年』という

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239: 米英が仕掛けた中国の排日運動はそれからどうなったのか~~中国排日その2

前回の記事で西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開

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238: 第一次大戦以降、中国の排日運動を背後から操ったのはどこの国だったのか~~その1

最近出版された西尾幹二氏の『GHQ焚書図書

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250: 盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか

以前このブログで、昭和12年(1937)7月7日深

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187: 占守島の自衛戦を決断した樋口中将を戦犯にせよとのソ連の要求を米国が拒否した理由

前回の記事で、千島列島最北の占守島(しゅ

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226: ソ連の『北海道・北方領土占領計画書』を読む

前回の記事でソ連によるシベリア抑留のこと

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225: 昭和天皇の『終戦の詔書』の後も戦争が続き、さらに多くの犠牲者が出たこと

昭和20年8月14日にわが国はポツダム宣言を

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186: 占領軍の検閲は原爆を批判した新聞社の処分から始まった

昭和20年(1945)8月6日、米国は人類史上初の

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61: 謎に包まれた源頼朝の死を考える

鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』の目次を見

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60: 源義経が奥州平泉で自害したというのは真実なのか

源義経は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟

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41: 昼神温泉から平成の宮大工が建てた寺などを訪ねて~~諏訪から南信州方面旅行3日目

旅館の朝風呂につかってから、昼神温泉の「

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40: 御柱祭の木落し坂から名所を訪ねて昼神温泉へ~~諏訪から南信州方面旅行2日目

ホテルの朝食前に諏訪湖畔の散歩に出た。雲

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39: 信州の諏訪大社を訪ねて~~諏訪から南信州方面旅行1日目

長野県中部の諏訪湖の近くにある「諏訪大社

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237: 安土城を絶賛した宣教師の記録を読む

安土城は天正4年(1576)に織田信長によって

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25: 戦国時代の祇園祭を見た宣教師の記録を読む

以前何度かこのブログで紹介したが、戦国時

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255: 「明治天皇すり替え説」を追う

2年以上前にこのブログで「明治の皇室と仏

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223: 「大東亜共栄圏」の思想が広められた背景を考える

昭和前期の「日本史」を学んだ際に、資源の

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222: 太平洋戦争緒戦の日本軍の強さは米英軍の予想をはるかに超えていた

前回まで2回に分けて日米開戦の経緯につい

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221: 真珠湾攻撃のあとでわが国が対米宣戦布告をしたのは故意か過失か

前回は、ルーズベルトが真珠湾に向かってい

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220: 日本軍が真珠湾に向かっていることを知りながら手を出させなかったアメリカ側の事情

このブログで日中戦争からハル・ノートまで

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213: 「ハル・ノート」は、アメリカが日米開戦に持ち込むための挑発だったのか

前回の記事で、わが国に日米開戦を決断させ

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212: アメリカのルーズベルト政権に垣間見えるコミンテルンの影

前々回の記事で昭和10年(1935)の第7回コミ

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211: 「二・二六事件」と中国の「西安事件」に垣間見えるコミンテルンの影

前回の記事で、昭和10年(1935)の第7回コミ

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210: 「ドイツと日本を暴走させよ」と命じたスターリンの意図

国会図書館所蔵の興亜院政務部・コミンテル

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209: 尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる

前回の記事で近衛文麿が、軍部内の革新論に

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208: 軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿

前回の記事で、日本軍には左翼分子が少なか

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207: 昭和初期が驚くほど左傾化していたことと軍部の暴走とは無関係なのか

前回まで2回に分けて、昭和3年(1928)の「満

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206: 「満州某重大事件」の真相を追う~~その2

前回の記事で、わが国では関東軍が実行した

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205: 「満州某重大事件」の真相を追う~~その1

昭和3年(1928)6月4日、中華民国陸海軍大元

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123: 世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵」が誰の陵墓か分からなくなった経緯

大阪府堺市にある百舌鳥(もず)古墳群には、

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232: 桜の咲く古民家の風景を求めて

最近大きなテーマばかりを書いてきたので、

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122: 蘇我氏は本当に大悪人であったのか

前回は、聖徳太子の業績とされていたことの

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121: 聖徳太子についての過去の常識はどこまで覆されるのか

以前このブログで、明治4年の寺領上知の令

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181: アメリカはいかにしてスペインからフィリピンを手に入れたか~GHQが封印した歴史6

前回まで2度に分けてアメリカによるハワイ

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180: アメリカ人が王朝を転覆させたハワイ王国の悲劇と日本~~GHQが封印した歴史5

前回は、アメリカ人の武力による圧力で署名

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178: ハワイ国王を援けられなかった明治の日本~~GHQが封印した歴史4

ハワイの先住民族はポリネシア系に属し日本

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158: 幕末の動乱期にわが国が独立を維持できた背景を考える~~GHQが封印した歴史 3

嘉永6年(1853)6月に、アメリカ東インド艦隊

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96: 鞆の浦周辺の古い街並みを楽しむ

岡山の古社寺を楽しんだ後、宿泊先である鞆

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95: 吉備路の古社寺を訪ねて

広島県尾道に所要があり、ただ往復するだけ

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157: GHQが日本人に封印した歴史を読む~~ペリー来航

嘉永6年(1853)6月に、アメリカ東インド艦隊

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156: GHQが日本人に封印した歴史を読む~~イギリスとインド・中国

前回の記事で、GHQ焚書である菊池寛の『大

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113: 中国人苦力を全員解放させた日本人の物語

19世紀に奴隷制の廃止運動が起こり、イギリ

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193: 日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その3

前回は、大航海時代以降に西洋諸国が世界各

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192: 日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その2

前回は15世紀末から始まるインディオの悲劇

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191: 16世紀後半に日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇教書の関係~~その1

昨年にこのブログで、「400年以上前に南米

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119: 『明暦の大火』の火元の謎を追う

明暦3年1月18日(1657年3月2日)から1月20日(

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153: 赤穂浪士の討入りの後、吉良上野介の跡継ぎの義周はどうなったのか~~忠臣蔵5

赤穂浪士四十七人が吉良屋敷に討ち入りをし

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152: 江戸幕府が赤穂浪士の吉良邸討入りを仕向けたのではないのか~~忠臣蔵4

赤穂浪士による吉良邸討入りの前日である十

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151: 赤穂浪士に切腹を許した江戸幕府の判断は正しかったのか~~忠臣蔵3

吉良邸討ち入りを決行した赤穂浪士を死罪と

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150: 赤穂浪士の処刑をどうするかで、当時の幕府で大論争があった~~忠臣蔵2

前回の記事で赤穂浪士の吉良邸討ち入りも、

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149: 浅野内匠頭が江戸城・松の廊下で刃傷事件を起こした原因は何だったのか~~忠臣蔵1

毎年12月になるとよく「忠臣蔵」に関する番

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219: 三方五湖観光後昼食は「淡水」の鰻。続けて紅葉名所・鶏足寺を訪ねて~若狭カニ旅行3

旅行の2日目は、民宿をチェックアウトして

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218: 国宝の明通寺本堂・三重塔から紅葉名所・萬徳寺などの古刹を訪ねて~~若狭カニ旅行2

前回は「お水送り」の神事を行う若狭神宮寺

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217: 東大寺二月堂に向け毎年「お水送り」神事を行う若狭神宮寺を訪ねて~~若狭カニ旅行1

東大寺の有名な「お水取り」は修二会(しゅ

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101: 秀吉の「中国大返し」はどこまでが真実か~~本能寺の変5

天正10年(1582)6月、備中高松城の戦いにあ

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100: 家康の生涯最大の危機と言われた「神君伊賀越え」の物語は真実か~~本能寺の変4

歴史の定説では、「本能寺の変」を知った徳

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99: 明智光秀は何故信長を裏切ったのか~~本能寺の変3

本能寺の変について当時の記録を紹介しなが

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98: 本能寺で信長が無警戒に近い状態であったのはなぜか~~本能寺の変2

前回の記事で、イエズス会のフロイスが書い

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97: 本能寺の変で信長の遺体が見つからなかったのはなぜか~~本能寺の変1

上の図は安永九年(1780)に刊行された「都名

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46: 伊達政宗はいかにして幕府に対する謀反の疑いから逃れたのか~~慶長遣欧使節4

慶長遣欧使節は日本人が初めてヨーロッパの

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45: 教皇謁見を果たしスペインに戻ると、国外退去を命じられた~~慶長遣欧使節3

1615年8月22日、遣欧使節一行はスペインの

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44: メキシコで歓迎されず、スペインでは諸侯並に格下げされた~~慶長遣欧使節2

前回は、伊達政宗が慶長遣欧使節をスペイン

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43: 伊達政宗の天下取りの野望と慶長遣欧使節~~その1

学生時代に仙台藩主伊達政宗が、慶長18年(1

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184: 大阪のてっぺん 浄瑠璃の里~~地域の文化を継承するということ

ドライブや旅行で地方に行くと、素晴らしい

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112: 金閣寺と足利義満の野望

幕末から明治にかけて外国人も含め多くの写

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86: 東大寺の大仏よりもはるかに大きかった方広寺大仏とその悲しき歴史

ネットで古い写真を探していると、明治13年

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190: 第二次朝鮮出兵(慶長の役)も秀吉軍の連戦連勝であった~~朝鮮出兵3

前回は第一回目の朝鮮出兵である「文禄の役

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189: 多くの朝鮮民衆が味方し勝ち進んだ秀吉軍~~朝鮮出兵2

前回の記事で秀吉の軍隊に加勢した朝鮮の人

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188: 秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか~~朝鮮出兵1

秀吉の朝鮮出兵については、晩年の秀吉は征

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49: 中国の史料では後期倭寇は中国人が中心だが、奴隷売買に関与はあったか~~倭寇3

以前このブログで、「400年以上前に南米や

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48: 「高麗史」を読めば朝鮮半島の倭寇をエスカレートさせた原因がよくわかる~~倭寇2

『高麗史』を読んでいると、14世紀の半ばか

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47: 前期倭寇は元寇の復讐だったのか~~倭寇1

中学や高校時代に日本史の室町時代の授業で

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201: 下呂温泉から国宝犬山城へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行3

旅行もいよいよ三日目の最終日になった。

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200: 飛騨古川から禅昌寺を訪ねて下呂温泉へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行2

旅行は二日目の朝を迎えたが、前日から降り

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199: 世界遺産の越中五箇山の合掌造り集落を訪ねて~~富山・岐阜・愛知方面旅行1

毎年真夏の時期には避暑をかねて旅行するこ

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35: 「弘安の役」で5月に出港した蒙古連合軍が台風に襲われたのは何故か~~元寇その3

前回までは「文永の役」について書いたが、

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34: 熾烈を極めた「文永の役」の戦闘でよく闘った鎌倉武士たち~~元寇その2

前回は、蒙古軍が最初に日本を攻めてきた「

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32: 「文永の役」で蒙古軍を退却させたのは「神風」だったのか~~元寇その1

学生時代に学んだ歴史では二度にわたる蒙古

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130: 奈良西大寺から秋篠寺を訪ねて

東大寺戒壇院の四天王立像を見た後に、近鉄

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129: 東大寺戒壇院と、天平美術の最高傑作である国宝「四天王立像」

新薬師寺の国宝仏像を鑑賞した後、続けて天

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128: 国宝の新薬師寺本堂で12体の国宝仏像に囲まれて

前回は白毫寺のことを書いたが、白毫寺から

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127: 奈良の白毫寺と消えた多宝塔の行方

奈良は国宝や重要文化財の宝庫である。 平

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52: 淡路人形浄瑠璃と高田屋嘉兵衛と淡路特産玉葱の「七宝大甘」~~淡路島文化探訪の旅3

お昼に鱧料理を堪能し、再び淡路島のドライ

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51: 「国生み神話」ゆかりの神社を訪ねて、昼は鱧料理のフルコース~淡路島文化探訪の旅2

淡路島は「国生み神話」の舞台でもある。

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50: 淡路島の東山寺に残された石清水八幡宮護国寺の仏像を訪ねて~~淡路島文化探訪の旅1

淡路島の文化財を調べていると「東山寺(と

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118: 若狭湾の400年前の津波の記録と原子力発電所の安全性について

5月27日の日経の朝刊に、今から400年以上前

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66: 伝説の美女・小野小町とその後の伝承

紀貫之は、延喜5年(905)に醍醐天皇の命によ

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65: 桓武天皇が平城京を捨てたあと、二度も遷都を行った経緯について

前回の記事で、京都府長岡京市にある長岡天

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64: 菅原道真が全国の天満宮で祀られることになった経緯

「菅原道真」といえば「学問の神様」で有名

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183: 能勢町の古刹と天然記念物「野間の大ケヤキ」を訪ねて

ゴールデンウィークの道路渋滞を避けて、一

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63: 栄華を極めた藤原道長の晩年を襲った相次ぐ不幸な出来事

藤原道長(966-1028)といえば摂関政治の全盛

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24: 関東大震災の教訓は活かされているのか。~~その2(山崩れ・津波)

前回は関東大震災時における火災のことを書

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23: 関東大震災の教訓は活かされているのか。火災旋風と津波被害など~~その1

大正12年(1923)9月1日の午前11時58分ごろ、

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204: 龍野公園と龍野城の桜を楽しむ

しばらく地震の記事ばかり書いていたら、ブ

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22: 「昭和三陸津波」の記録を読む

昭和8年(1933)3月3日の午前3時ごろ、東北地

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21: 震度3で2万人以上の犠牲者が出た明治三陸大津波

明治29年(1896)6月15日の三陸地方の夜は、

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20: 飛鳥時代から平安時代の大地震の記録を読む

「日本書紀」には様々な地震の記録がなされ

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19: 「稲むらの火」のものがたりと安政南海地震の津波の真実

小学生の頃だったと思うが、「稲むらの火」

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139: 1300年以上の古い歴史を持つ神峰山寺と本山寺を訪ねて

昨年の秋に「素晴らしい紅葉の古刹を訪ねて

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137: 永禄9年にあったわが国最初のクリスマス休戦のことなど

前回は、永禄10年(1567)に大仏殿をはじめ東

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136: 永禄10年に東大寺大仏殿に火をつけたのは誰なのか

以前このブログで、江戸時代の明和元年に林

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135: 戦国時代に大量の寺社や仏像を破壊させたのはキリシタン大名か、宣教師か

前回まで3回にわたって、豊臣秀吉が「伴天

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134: 秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その3

戦国時代の九州で、なぜ大量の日本人がポル

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133: 秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その2

前回は秀吉が伴天連追放令を出した経緯を、

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132: 秀吉はなぜ「伴天連(バテレン)追放令」を出したのか~~その1

ザビエルがはじめて日本で伝えたキリスト教

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116: 400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと

ブラジルサンパウロ州サンパウロ市で発行さ

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115: フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その2

前回はザビエルが鹿児島に上陸して二ヶ月半

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114: フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その1

フランシスコ・ザビエルは天文18年(1549)8

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185: 毛利元就の「三本の矢」の教えはいつの時代の創作なのか

毛利元就と言えば、「三矢の訓(おしえ)」が

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6: 鉄砲の量産に成功した日本が何故鉄砲を捨てたのか~~その2

前回は鉄砲伝来の一年後には種子島で数十挺

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5: 鉄砲伝来の翌年に鉄砲の量産に成功した日本がなぜ鉄砲を捨てたのか~~その1

中学・高校で日本史を学んだときに腑に落ち

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58: 大晦日の「年越の祓」と「除夜の鐘」

大晦日の夜にはお寺で「除夜の鐘」が撞かれ

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198: 「牛若丸と弁慶の物語」の虚構

前々回に、三国の事を書いた。そこで毎年5

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182: 野球の殿堂入りした正岡子規の野球への愛情と奈良の旅行

以前、このブログで正岡子規の俳句を紹介し

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197: 芦原温泉からみくに龍翔館、三国港、旧岸名家、養浩館庭園を訪ねて~越前旅行2日目

旅行の二日目は朝から雨だった。 芦原温泉

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196: 千古の家、丸岡城、東尋坊から芦原温泉へ~~越前カニ旅行1日目その2

越前竹人形の里で素晴らしい竹人形を見た後

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195: 一乗谷遺跡、永平寺から越前竹人形の里へ~~越前カニ旅行一日目その1

毎年カニのシーズンに旅行していることは何

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111: 素晴らしい紅葉の古刹を訪ねて~~隠れた紅葉の名所・大門寺

毎年紅葉の見頃の時期を迎えると、あまり観

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108: 吉野山の世界遺産を訪ねて~~金峯山寺から吉水神社、水分神社、金峯神社

前回は吉野山の金峯山寺のことを書いた。

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107: 世界遺産の吉野山金峯山寺と特別公開中の秘仏・蔵王権現像

奈良県にある吉野山は古来桜の名所として有

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29: 坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その4

前回の記事で、龍馬を斬った人物とされる今

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28: 坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その3

以前、龍馬を暗殺したのは誰かについて2度

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203: 丹波篠山の重要文化財・天然記念物を訪ねて~~磯宮八幡宮と大国寺

24日の日曜日も天気が良かったのでまた田舎

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202: 丹波に秋の味覚を求めて~~丹波栗の歴史と生産農家の危機

17日の日曜日は朝から秋らしい爽やかな天気

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89: 龍馬の二番目の姉・栄はなぜ「龍馬伝」に出てこなかったのか

今年の五月に高知方面を旅行したときに、龍

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88: お龍は何故坂本家を飛び出したのか、お龍の言い分

前回は龍馬が亡くなってからのお龍の人生を

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87: 坂本龍馬の妻・お龍のその後の生き方

高知市の坂本龍馬記念館に、妻・お龍の若い

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216: 伊勢神宮より古い神社と伊根の舟屋を訪ねて~~二年前の天橋立カニ旅行②

宮津温泉の茶六別館で朝食を済ませて、天橋

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215: 日本三景「天橋立」の楽しみ方~~~二年前の「天橋立」カニ旅行 その①

日本三景の一つである「天橋立」は今まで社

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38: 「一休寺」と、自然野菜の手作り農園料理「杉・五兵衛」

前回は、御香宮神社と大倉記念館のことを書

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37: 京都伏見歴史散歩~~御香宮から大倉記念館

前回は寺田屋に行ったことを書いたが、寺田

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36: 全焼したはずの坂本龍馬ゆかりの宿「寺田屋」~~平成の「寺田屋騒動」

9月5日の「龍馬伝」は第36回「寺田屋騒動」

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62: 武士であることを捨てた弓の名人、那須与一

元暦2年(1185)2月19日、平家軍は四国屋島の

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159: 幕末の孝明天皇暗殺説を追う

前回は坂本龍馬の暗殺について2回に分けて

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27: 坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~その2

前回は、坂本龍馬暗殺の実行犯が京都見廻組

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26: 坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~ その1

先日友人と飲んでいたら、たまたま坂本龍馬

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105: 大文字山の送り火のこと

いよいよ8月16日は大文字山(如意が岳)の送

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104: 濁河温泉から寝覚ノ床、妻籠宿・馬籠宿へ~~岐阜・長野方面旅行三日目

早朝目が覚めて朝風呂に入り、食事までまだ

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103: 平湯温泉から上高地を散策して濁河温泉へ ~~ 岐阜・長野方面旅行二日目

旅行の二日目は、平湯温泉から上高地を往復

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102: 3度目の高山と円空仏を訪ねて丹生川から平湯温泉へ ~~ 岐阜・長野方面旅行一日目

毎年真夏の暑い時期は、大阪を抜け出して涼

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18: 天神祭と大阪天満宮とあまり知られていないお寺のこと

7月25日は日本三大祭りの一つである大阪天

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17: 土用の丑の日に鰻を食べるのは

「土用の丑の日」と言えば誰でも「鰻」を連

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16: 祇園祭山鉾巡行と神幸祭を見に行く

学生時代に家庭教師をしていた生徒の親御さ

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15: 二つの祇園祭の関係

前回は祇園祭の「祇園」の事を書いた。今度

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14: 祇園祭の「祇園」とは

もうすぐ京都の祇園祭(ぎおんまつり)だ。

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42: 七夕の由来

いよいよ明日は七夕の日だ。子供の頃に五色

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57: お寺に「神棚」がある不思議

私の実家はお寺であるが、「神棚」があって

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92: 「宮崎県」が存在しなかった、明治の頃のこと

今年の1月に、明治の一時期に奈良県が存在

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120: 東大寺大仏のはなし

東大寺大仏殿(金堂)の本尊である盧舎那仏像

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56: 鳥居は神社のものなのか

鳥居は神社の入り口にあるもので、お寺に鳥

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148: 高知からの帰路は讃岐うどん目当てに屋島と栗林公園へ~~四国旅行3日目

松葉川温泉で朝食後、窪川あたりで大変お世

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147: 四万十川上流を進み松葉川温泉へ~~高知旅行2日目その3

岩本寺と高岡神社を見た後、四万十川上流を

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146: 四国霊場第37番札所岩本寺と高岡神社~~高知旅行2日目その2

坂本龍馬記念館から高知県高岡郡四万十町に

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145: 桂浜、坂本竜馬記念館を訪ねて~~高知旅行2日目その1

ホテルを早目に出て、朝一番で桂浜に向かう

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144: 高知城と龍河洞、龍馬歴史館を訪ねて~~高知旅行1日目

四万十川上流の高知県高岡郡四万十町にある

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277: 葵祭りの由来について

5月15日は京都の三大祭りのひとつである「

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110: 円山応挙ゆかりの金剛寺と近隣の古刹巡り

GW中はどこへ行っても渋滞するので、高速

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231: 端午の節句は「ちまき」か「柏餅」か

端午の節句が近づくと、どこのスーパーに行

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143: 端午の節句と「鯉のぼり」

もうすぐ端午の節句(5月5日)だ。子供の頃、

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117: アイスランドの火山爆発と天明の大飢饉

アイスランド南部のエイヤフィヤトラヨーク

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106: 天平彫刻の宝庫、東大寺三月堂の解体修理

東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火

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71: 数奇な運命をたどって岡山県西大寺に残された「こんぴらさん」の仏像

先月の徳島県祖谷(いや)地方から「こんぴら

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70: 「こんぴら」信仰と金刀比羅宮の絵馬堂

「こんぴらさん」の長い石段を785段登った

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69: 明治初期までは寺院だった「こんぴらさん」

前回は先週行った徳島・香川方面旅行の1日

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68: 祖谷の平家屋敷と平家落人伝説

前回はかずら橋のことを書いたが、祖谷(い

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67: 祖谷のかずら橋

ずっと前から、徳島県祖谷(いや)地方に行っ

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91: 県名と県庁所在地とが同じ県と違う県の意味?と歴史

はじめて日本の地理を学んだときに、県名と

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230: 「おはぎ」と「ぼたもち」の違い

最近いろんなお店で、「おはぎ」が沢山店頭

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55: 「お彼岸」で先祖を祀るのは仏教以前の風習か

もうすぐ春分の日だが、この日を挟んで前後

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278: 醤油の歴史と本物の醤油の見分け方

醤油のルーツは古代中国から伝わったと言わ

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142: 東大寺二月堂のお水取り

例年3月1日から14日まで行われる東大寺

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126: 明治時代に参政権を剥奪された僧侶たち

私が京都のお寺に生まれたことは何度かこの

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94: 厳島神社と「雛めぐり」

昨年の春、桜の咲くころに宮島に旅行した。

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125: 明治の皇室と仏教

5年ほど前に京都東山にある東福寺の有名な

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85: 一度神社になった国宝吉野蔵王堂

3年前の桜の時期にバス旅行で吉野に行った

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84: 明治期の危機を乗り越えた東大寺

以前このブログで、明治初期に奈良の大寺院

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83: 明治の初期に、鹿児島県で何があったのか

以前「消えた門跡寺院」という表題で安永9

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141: 節分の不思議

子供の頃に家族と京都にある吉田神社の節分

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81: 明治初期、廃絶の危機にあった東本願寺

明治の廃仏毀釈によって、全国で10万ケ寺あ

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138: 幻の映画、「氷雪の門」

8月20日、霧の深い早朝であった。突如ソ連

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140: 若草山の山焼き

奈良には何度か行ったが、今まで若草山の山

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80: 文化財を守った法隆寺管主の英断

前回、明治の初期に奈良の大寺院が次々に廃

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79: 次々に廃寺となった奈良の大寺院

江戸時代の奈良の寺院を石高順に並べると、

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90: 「奈良県」が地図から消えた明治の頃のこと

奈良県にはかって飛鳥浄御原京や平城京があ

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78: 寺院が神社に変身した談山神社

3年前に談山神社の紅葉を見に行ったことが

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77: 外国人に無着菩薩立像(現国宝)を売った興福寺

遅くなりましたが、新年あけましておめでと

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76: 悲しき阿修羅像

今年の春から秋にかけて東京と九州で開催さ

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75: かみがもばなし

以前、四条大橋が明治初期の廃仏毀釈で強制

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275: 日本の歴史を変えた紀伊大島の人々

前回はエルトゥールル号事件のことを書いた

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274: 紀伊大島の樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、海金剛など

前回串本で無量寺に行って萬口の鰹茶漬けに

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273: 虎なら無量寺の「龍虎図」、串本の昼は萬口の鰹茶漬け

年賀状を準備する季節になってきた。といっ

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54: 大山崎美術館と宝積寺

前回石清水八幡宮と松花堂庭園に行ったこと

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53: 石清水八幡宮と松花堂弁当

徒然草の第52段に「仁和寺にある法師、年よ

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109: 隠れ切支丹の里

171号線の中河原交差点から忍頂寺福井線に

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74: 消えた鶴岡八幡宮寺大塔など

鎌倉の鶴岡八幡宮に以前は薬師堂や護摩堂や

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73: 京都四条大橋の話

京都市内を南北に流れる鴨川にはいくつもの

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72: 消えた門跡寺院

江戸時代の安永から天明(18世紀後半)のころ

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