Edit your comment NAME TITLE WEBSITE COMMENT はじめまして。 旧記事(http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/235/)の たつやさんが仰っているのは以下の話ではないでしょうか? 2012年12月12日(水) 01:35 by たつや 「日本兵が黒人兵に感謝された」という話 ―――――――――――――――――――――――――――――――― >ずれた記事で恐縮ですが・・ -投稿者: 大阪JF生 2001-08-20 10:47:50 すみません、全くいいかげんな記憶で思い出せないのですが、 どこかで、次のような話を読んだか聞いたかしたのですが、 ご存知ありませんか? 誰が主語なのかも分からないのですが・・・。 終戦後、リメンバーパールハーバーさめやらぬ時期に、―元黒人兵たちに囲まれて、 俺もここまでか・・と死を覚悟したとき、そのうちの一人が 「俺たちのかわりにパールハーバーで活躍してくれてありがとうよ」 という意味のことをいわれた。 このエピソードは強烈に記憶に残っているのですが、出典がまるで分かりません。 戦前の人種差別は特にひどかったと聞いています。 日系人については、カリフォルニアでひどい扱いを受けたと聞きます。 また、会田雄次「アーロン収容所」でもわかるように、やはりアジア人は 人間扱いされていなかったようです。 ――――――――――――――――――――――――― この話は、実話だったかも知れませんね。 ------------------------------------------------------------ 講談社文庫「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」中田整一(編/解説) 戦後の昭和20年(1945年)9月のこと。淵田大佐はアメリカの記者の取材を受け、占領軍の機関誌「スターズ・アンド・ストライプス」に顔写真とともに大きく掲載されました。するとその日の午後、黒人兵が淵田大佐の宿舎にやってきて、来い来い、と言う。淵田大佐は薄気味悪いと思いましたが、当時は占領軍の天下であり、逆らうと何をしでかすかわからないので、彼らについていきました。案内されたのは丸の内の郵船ビルで、黒人兵はそこのバーで働かされていたのでした。バーの楽屋裏に案内されると大歓迎を受けました。そこには大勢の黒人兵がおり、みな淵田大佐に手を差しのべて、飲みねえ、食いねえ、と勧めます。そして「真珠湾空襲を誰が喜んだと思うか」と問いかけられ、その答えは「われわれ黒人だよ」と言うのでした。 黒人は白と黒の差別待遇にいつも泣き寝入りしてきました。それが真珠湾攻撃で小気味よく白人の横づらを殴り飛ばしてくれた。黒人の溜飲を下げたといい、そのお礼だというのです。ただ、占領軍兵士の日本人との交歓は禁止されていたので、おおっぴらにはできないから、楽屋裏でガマンしてくれという申し出だったのです。淵田大佐は「皮膚の色が違うというだけの宿命的な人種的偏見の悲劇の一コマをここに見て、胸のふさがる思いであった」と述べています。 日本の護国戦争が被差別民族・人種の解放の一助となったことは日本人の誇りであると共に、亡くなられた英霊の方々に感謝しなければいけませんね。 PASSWORD SECRET SENDDELETE