遷御の儀を終えた伊勢神宮の外宮から内宮を訪ねて
伊勢神宮については、2つの正宮である外宮(げぐう)と内宮(ないぐう)しか知らなかったのだが、他に14の別宮(べつぐう)があり、さらに43の摂社、24の末社、42の所管社があって、この合計125社の総称を「伊勢神宮」と呼ぶのだそうだ。
これだけ多くの場所を巡ることはとても無理なので、どこを参拝しようかと旅程を組んでいた時に、そもそも伊勢神宮の外宮と内宮とはどちらを先に参拝すべきなのかが気になったので調べていくと、「外宮先祭(げぐうせんさい)」という言葉があることを知った。
「外宮先祭」とは、伊勢の神宮の諸祭事はまず豊受大神宮(外宮)を先に行い、続いて皇大神宮(内宮)を行いなさいという意味なのだが、参拝もその順序でするべきだという説がネットでは多数ヒットする。
しかし、次のURLの記事などを読むと、祭事によっては「内宮先祭」であることもあり、参拝順についてはとくに取り決めはなく、絶対に外宮から内宮の順に参拝をしないといけないというものではなさそうだ。
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20131005
また平成25年1月28日の「神社新報」にはもっと具体的に書かれていて、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)の神饌奉奠や祝詞、神宮最大の神事である式年遷宮の諸祭は内宮が先に斎行され、恒例祭典で一番重要な神嘗祭は古くから外宮が先に奉仕されるので、どちらの優先順位が高いというものではないのだが、慣例的に皇族方の御参拝をはじめ、多くの公式な参拝は外宮、内宮の順で行われるのだという。

しかし、これは伊勢湾沿いに伊勢街道を進み、津、松阪などを経て伊勢神宮方面へと進むと、外宮が先になるのは自然の成り行きでもあるので、特に深い意味があるとは思えない。
http://itakiso.ikora.tv/e866532.html
そもそも外宮の参拝が優先すべきものであるならば、外宮の参拝者が内宮より多くなければ理屈に合わないことになる。
「伊勢市の観光統計」で調べると、太平洋戦争の頃は、内宮の参拝客が年間約350万人、外宮は約400万人だったのだが、昭和40年代以降外宮の参拝客が大きく落ち込んだ一方で内宮の参拝者が増加し、平成24年の参拝者の数は内宮が551万人、外宮は252万人で、内宮の参拝者が外宮の倍以上多いことが分かる。
http://www.city.ise.mie.jp/secure/12124/24kankotoukei.pdf
このことは、近くに賑やかな「おはらい町」や「おかげ横丁」があって、食事や買い物で楽しめる内宮だけを参拝して、外宮には足を伸ばしていない観光客が半分以上であることを物語るのだが、昨年秋に遷御の儀を終えたばかりの真新しい社殿を参拝して、わが国の古き伝統文化の重みと静寂なる神域の厳かな雰囲気を感じたいので、今回は内宮・外宮はもちろんのこと、別宮もいくつかを訪ねてみたいと考えていた。
どちらから先に行っても良いのだが、昔の参拝者と同様に、伊勢街道の道順に宮川から外宮に進むことにし、外宮参拝の前に宮川堤の桜を楽しむことにした。

宮川堤は古くから桜の名所で、明治時代に橋が出来るまでは渡し船が活躍し、現在の宮川橋あたりにあった渡船場を往復する船を「桜の渡し」と呼んだという。
この桜は『日本さくら100選』に選ばれていて、土手には千本近い桜が、南北1キロにわたってほぼ満開状態だった。
宮川堤から2kmも走れば、外宮に到着する。
外宮は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)とも言い、御祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の食事を司る神である豊受大神(とようけのおおみかみ)である。
以前このブログで天橋立の近くにある元伊勢籠神社*(もといせこのじんじゃ)のことを書いたが、平安時代に書かれた『止由気宮儀式帳(とゆけじんぐうぎしきちょう)』によると、第二十一代雄略天皇22年7月に、豊受大神は元伊勢籠神社からこの場所に遷座したのだそうだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-216.html

上の画像は外宮の駐車場の近くの北御門の鳥居だが、建て替えられたばかりの真新しい鳥居をくぐると随分清々しい気持ちになれる。

参道を歩いて正宮(しょうぐう)に至る。昨年の10月5日に遷御がなされたばかりで、屋根も柱もまだまだ美しい。
外宮の社殿の中心である正殿(しょうでん)の周りには4重の御垣がめぐらされていて、参拝客は外玉垣南御門の前で参拝をするのだが、そこからは正殿を見ることが出来ず、外玉垣南御門から右ないし左に行っても、わずかに正殿の屋根の一部が見えるだけだ。
正宮は参拝者が神に感謝の意を伝える場所で個人的なお願い事をする場所ではないという。従って外宮にせよ内宮にせよ正宮には賽銭箱が存在しない。
個人的なお願い事は、第一の別宮(外宮:多賀宮、内宮:荒祭宮)でするのだそうだ。
内宮も外宮も正殿は「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」と呼ばれ、掘立柱・切妻造・平入の極めてシンプルな構造だが、内宮と外宮の違いは鰹木(かつおぎ)の本数と千木(ちぎ)の形にある。

鰹木というのは屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材を呼ぶが、外宮の正殿は9本、内宮の正殿では10本になっている。正殿以外の建物についても、また別宮も摂社においても、外宮の鰹木の本数は奇数で内宮は偶数になっているという。
千木というのは屋根の両端で交叉させた部材だが、外宮では千木の先は垂直に切られていて、これを外削(そとそぎ)といい、内宮では水平に切られていて、これを内削(うちそぎ)と言うのだそうだ。
鰹木や千木は他の神社の社殿にもあるのだが、祭神が男神の社は鰹木の本数が奇数で千木は外削ぎ、祭神が女神の社は鰹木の本数は偶数で千木は内削ぎとするのが原則のようだ。しかしながら、伊勢神宮・外宮の祭神である豊受大神は女神でありながら、正殿の鰹木の本数は9本で千木は外削ぎとなっていて、その例外になっている。

正宮の東隣は古殿地で、昨年まで正宮であった建物が残っている。いずれ撤去されて、19年後には今の場所から正宮が移されることになる。
20年も経てば、こんなに屋根が苔むしてしまうのだ。

正宮の南側の神域内には、豊受大神の荒御魂(あらみたま)を祀る多賀宮(たかのみや)、山田原の土地と伊勢市内を流れる宮川の洪水から堤防を守る大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀る土宮(つちのみや)、風雨を司る級長津彦(しなつひこ)命と級長戸辺(しなとべ)命を祀る風宮(かぜのみや)の3つの別宮がある。土宮と風宮はまだ遷御が終わっていなかったが、多賀宮は昨年10月13日に遷御がとり行なわれたばかりで、真新しい社殿で参拝すると随分清々しい気持ちになる。
今後の別宮の遷御の日程がWikipediaに出ているが、今年の10月から12月にかけて執り行われるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE

外宮の勾玉池池畔に「せんぐう館」という施設が一昨年にオープンしたので、立ち寄ったが、外宮正殿の東側の4分の1部分を原寸大で再現した模型や外宮殿舎配置模型のほか、式年遷宮が伝えてきた技術や文化が分かりやすく展示されている。式年遷宮によって伝えられているのは建築技法だけではなく、御装束神宝の加工・調整にかかわる匠たちの伝統技法も含まれることは初めて知った。展示品も豪華だが、景観もなかなか素晴らしい。

外宮の境内を出て駐車場から800mほど北に歩くと、外宮の別宮の1つである月夜見宮がある。
祭神は月夜見尊(つきよみのみこと)と、その魂の月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)の2神で、外宮の境外別宮は月夜見宮1社のみである。
外宮から離れた場所にあるため、ここまで足を運ぶ観光客はかなり少なく、自然に囲まれて静かな伝統的社殿で、祈りの空間を独占できるのも良い。

月夜見宮の参拝を済ませた後、昼食に向かう。
ネットで見つけた「てんこもり海鮮丼」が食べたかったので「花」という店に入ったが、新鮮な魚介類がふんだんに盛られていて、期待通りに旨かった。
続いて、内宮に向かう。内宮の入口に近い駐車場が満車で順番を待つ車の列が長かったので、途中で引き返して猿田彦神社の近くの駐車場に車を停めたが、もともと内宮参拝の後でおはらい町を歩く予定だったので、その方が正解だった。次のURLに駐車場の地図があるので、車で内宮に行かれる方は印刷して持参されることをお勧めしたい。
http://www.city.ise.mie.jp/parking/

内宮は皇大神宮(こうたいじんぐう)ともいい、祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)である。
言うまでもなく、天照大神は皇祖神であり、第10代崇神天皇の時代までは皇居内に祀られていたそうなのだが、その状態を畏怖した同天皇が理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継ぎ、垂仁天皇25年に現在地に遷座した旨が『日本書紀』巻第六に記されているし、詳しくは『皇太神宮儀式帳』および『倭姫命世記』に記されているという。
内宮のご神体は「三種の神器」の1つである八咫鏡(やたのかがみ)で、正殿に安置されているのだそうだ。

雨が止んだばかりのタイミングということもあったが、内宮は外宮よりもはるかに参拝客が多かった。
五十鈴川に架かる、全長約108mの宇治橋を渡るとすぐに神苑があって、桜が見ごろを迎えていた。

一の鳥居をくぐり手水舎でお清めをしたのち、五十鈴川の流れに手を浸して、清らかな気持ちで正宮の参拝に向かう。

ここが内宮の正宮である。昨年の10月2日に遷御の儀を終えたばかりで、社殿はいずれも真新しくて清々しい。
社殿の中心である正殿は五重の垣根に囲まれていて、外宮の正宮と同様に、正面からは正殿を見ることが出来ない。
宮域内には、皇大神宮の荒御魂を祀る荒祭宮(あらまつりのみや)、風雨を司る級長津彦命と級長戸辺命をまつる風日祈宮(かざひのみのみや)が別宮として鎮座している。

荒祭宮は昨年10月10日に遷御の儀を終えた、真新しい社殿である。参拝客が順番待ちだった。
風日祈宮は、内宮神楽殿前から南方へ向かう参道にある風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)で五十鈴川支流の島路川を渡った先にある。この風日祈宮は、古くは末社格の風神社であったが、弘安4年(1281)の元寇の時に、神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格したのだそうだ。

内宮の参拝を済ませて、「おはらい町」に入る。五十鈴川に沿って続く、およそ800mの石畳の通りに江戸時代の町並みが再現されてレトロな雰囲気が楽しい。
おはらい町の中ほどには、江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現された「おかげ横丁」もある。赤福の本店など多くの店舗が立ち並び、いつ来てもよく賑わっている。

「おかげ横丁」で少し遊んでから、「おはらい町」を北に進むと、非公開ではあるが国の重要文化財に指定されている建物がある。華やかな桃山時代の様式を伝えている貴重な建物なのだそうだが、以前はこの建物は尼寺であったという。
この尼寺と伊勢神宮との関係について書きだすとまた長くなるので、次回に記すことにしたい。
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