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しばやんの日々

米人弁護士が書いた日露戦争後のカリフォルニアの排日運動~~米国排日3

前回まで二回にわけて、日露戦争以降のアメリカの排日活動の経緯や実態について書いてきたが、アメリカの知識人はこの時期のカリフォルニアで燃え上がった排日の原因をどう分析しているのだろうか。ちょっと気になったのでネットで探していると、カレイ・マックウィリアムスの『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』という本があることを知り早速取り寄せた。著者は1905年生まれで南カリフォルニア大学で法律を学んだ後、弁...

日露開戦を決定したわが国の首脳に、戦争に勝利する確信はあったのか

明治37年(1904)2月4日の御前会議で対露断交と開戦を決定したのだが、その御前会議が終わった後の夕刻6時に、枢密院議長・伊藤博文は、金子堅太郎を官舎に呼び寄せて、「これから直ぐにアメリカに行ってもらいたい」と告げたという。国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』に金子堅太郎本人が口述した『日露戦役秘録』という本が公開されているが、この時の金子堅太郎と伊藤博文の会話を読んでいると、この時期のわが国の状...

なぜ米国は日露戦争開戦当初から日本の勝利を確信したのか

前回の記事で、日露戦争開戦を決断した直後に伊藤博文がセオドア・ルーズベルト米大統領と親しい金子堅太郎を呼んですぐに渡米することを強く要請し、実際に金子がアメリカに渡り大統領に会うと、米大統領が「今度の戦いは日本が勝つ」と明言したことに金子が驚いたことを書いた。大統領は日本が勝利する理由を詳細には述べなかったが、参謀本部や海軍兵学校長に日露の戦力や様々な情勢を詳細に調べた上での結論のようなのだが、で...

ポーツマス会議のあと、講和条約反対・戦争継続の世論が盛り上がった事情

明治38年(1905)6月10日にわが国は米国大統領ルーズベルトの講和提議を正式に受諾し、これと前後してロシア政府もこの提案を受諾して、講和談判地は米国ニュー・ハンプシャー州のポーツマス軍港と決まった。そして7月3日に全権委員として外務大臣小村寿太郎と駐米公使高平小五郎が任命されている。下の画像は、日本の講和団で、前列の右側が小村寿太郎で、左が高平小五郎だ。日露戦争でわが国は、日本海海戦をはじめ個別の戦いでは...

日露戦争の巨額の戦費を外債発行で調達した明治政府と高橋是清の苦労

帝国書院のホームページに、戦争別戦費の一覧表が出ている。日清戦争の戦費は2.3億円であったが、日露戦争では18.3億円もかかっている。https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index06.html【戦争別経費:帝国書院HPより】もっとも、戦費がいくら必要かは戦争が終結するまではわかるものではないのだが、日露戦争当時の明治政府の歳入規模を調べると、明治三十七年(1904)の数字は3.3億円であった。菊池寛の『...