Welcome to my blog

しばやんの日々

隠れ切支丹の里

171号線の中河原交差点から忍頂寺福井線に入り、履正社茨木グラウンドから山道に入る。サニータウンを抜け大岩郵便局を過ぎると暫く樹木のトンネルのようなところを走る。そこを過ぎると、棚田が広がるのどかな田園風景になり、しばらく行くと「キリシタン遺物資料館」の案内標識がある。案内通り左折するとその資料館(茨木市大字千提寺262)がある。思ったよりも小さい資料館だった。 キリスト教がフランシスコザビエルによって天...

フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その1

フランシスコ・ザビエルは天文18年(1549)8月15日に鹿児島に上陸して、日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師である。 大正8年(1919)に大阪の茨木市の山奥にある千提寺の民家から、教科書でおなじみの聖フランシスコ・ザビエル画像が発見されたことは以前このブログの「隠れ切支丹の里」という記事で書いたことがある。shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-109.htmlこんな肖像画が出てきたのだから、ザビエルがこ...

フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その2

前回はザビエルが鹿児島に上陸して二ヶ月半たった時点で、ゴアのイエズス会会友宛てに日本人の印象などを書き送った書簡の一部を紹介した。今回はザビエルの日本での活動を追ってみよう。ザビエル(画像)はゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人とともにジャンク船に乗ってゴアを出発し、1549年8月15日に鹿児島に上陸した。そして翌月には薩摩の守護大名・島津貴久(画像)に謁見し、キリスト教宣教の許可を得ている。前...

日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その3

前回は、大航海時代以降に西洋諸国が世界各地を侵略し地球規模で奴隷貿易を開始したのは、ローマ教皇の教書に則った活動であることを書いた。インカ帝国が滅亡した事例で、キリスト教の神父が重要な役割を演じていることを紹介したが、わが国の場合はキリスト教の宣教師に日本を侵略する意思や、日本人を奴隷化する意思はあったのだろうか。表題のテーマからすれば、日本も例外ではなかったことを、当時の記録から論証する必要があ...

わが国で最初のキリシタン大名となった大村純忠の『排仏毀釈』

天文18年(1549)8月15日にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して、日本に初めてキリスト教を伝えた頃のことを以前このブログで記したことがある。フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その1http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-114.htmlフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その2http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-115.htmlそもそも、宗教の自由だと...

大友宗麟はキリスト教に接近し、洗礼を受ける前から神社仏閣を破壊した

前回は大村純忠の神社仏閣の破壊のことを書いたが、今回は大友義鎮*のことを記すことにしたい。*大友義鎮(おおともよししげ): 豊後国大友氏第21代当主。永禄5年(1562)に出家し「宗麟」と号した大友義鎮が豊後の国主となったのは天文19年(1550)のことだが、その翌年にフランシスコ・ザビエルを府内の城中に引見して、キリスト教の教義を聴き、領内での布教を許可したことから、領内でキリスト教の信仰が拡がって行くことになる。前...