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しばやんの日々

GHQが日本人に封印した歴史を読む~~イギリスとインド・中国

前回の記事で、GHQ焚書である菊池寛の『大衆明治史』に書かれている文章を紹介した。 今回は、GHQが終戦直後から実施した検閲に引っかかって、抹消された文章を紹介しよう。アメリカのメリーランド大学にあるマッケルディン図書館に、プランゲ文庫といってGHQの検閲官が検閲したゲラ原稿の資料が持ち帰られて保存され、マイクロフィルム化されて誰でも自由に閲覧ができるようになっているそうだ。このプランゲ文庫を5年間にわたり...

「ハル・ノート」は、アメリカが日米開戦に持ち込むための挑発だったのか

前回の記事で、わが国に日米開戦を決断させたとされる「ハル・ノート」を書いたのは、後にソ連のスパイであったことが判明した米国財務省次官のハリー・ホワイトであったことを書いた。また当時のルーズベルト政権の内部や周りには、ハリー・ホワイトだけでなく数多くのソ連スパイや工作人、協力者が存在したことが、戦後アメリカが解読に成功したソ連の情報文書(『ヴェノナ文書』)で判明しているのだ。この『ヴェノナ文書』だけで...

朝鮮戦争の緒戦で北朝鮮軍が韓国領の9割以上を制圧できたのはなぜか

1950年6月25日の午前4時に朝鮮半島の38度線で、突如北朝鮮による砲撃が開始され、10万を超える北朝鮮軍が38度線を突破した。米駐韓国大使のジョン・ムチオは、ワシントンの国務省に宛てて次のような報告をしている。 「1950年6月25日ソウル発 韓国軍事顧問団の資料によって、一部確認された韓国陸軍からの報告によれば、北朝鮮は今朝、韓国の領土に対し数ヵ所にわたって侵略を開始した。攻撃はほぼ午前4時に開始され、甕津(オング...

朝鮮戦争で、国連軍を勝たせないようにしたのは誰なのか

仁川上陸作戦で北朝鮮軍の補給路を断ち攻勢に出た国連軍を指揮するマッカーサーに対し、米統合参謀本部は北進攻撃の許可と詳細な指令を1950年9月28日に出し、いよいよ38度線を超える北進攻撃が開始された。しばらくウィロビーの回顧録を引用する。 「連合国軍による38度線を突破しての北進攻撃は、まず韓国軍の二個師団によって開始された。1950年9月30日、これらの部隊は東海岸沿いの道路を一挙に北上、10月3日には38度線を突破し...

『ポツダム宣言』を受諾したわが国は、連合国に「無条件降伏」したのか

1945年8月14日、日本国は『ポツダム宣言』の受諾を決定し、9月2日に降伏文書に調印した。 学生時代には「太平洋戦争はわが国が連合国に無条件で降伏した」と学んだ記憶があるし、テレビの解説などで「無条件降伏」という言葉を何度も聞いたと思うのだが、最近のわが国の高校教科書ではそう書かれていないことに気がついた。例えば『もういちど読む山川日本史』では、 「8月14日、ポツダム宣言受諾を連合国に通告し、翌8月15日、天...

スターリンの罠にかかって第二次大戦に突入したことをわが国から教えられた米国の反応

柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』の話題を続けよう。柴田氏によると、終戦直後から日本共産党は「戦争反対を終始一貫主張し続けてきたのは我が党だけである」と宣伝していたのだそうだが、その主張が嘘であり、むしろ共産主義者たちがわが国を戦争に巻き込んだことを裏付ける論文などが当時は存在していて、三田村武夫氏が主張する「コミンテルンの世界革命計画に従って、わが国を戦争に巻き込み敗戦に導くことによって、一挙に...