昭和初期が驚くほど左傾化していたことと軍部の暴走とは無関係なのか
前回まで2回に分けて、昭和3年(1928)の「満州某重大事件」について書いた。簡単に要約すると、この事件に関しては関東軍がやったということが定説となっているが、この説には確たる証拠はなくほとんどすべてが噂や伝聞によるものであり、現場で撮影された写真や現場検証の記録は悉く定説と矛盾している。その一方、公開されたイギリスの外交資料には明確にソ連が実行し日本に疑いが向くように工作したものと結論付けられており、旧...
尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる
前回の記事で近衛文麿が、軍部内の革新論に立つメンバーが、わが国を共産革命に引きずり込もうとする官僚などに踊らされて、満州事変、支那事変を起こし、事変を拡大させて大東亜戦争に導いたのは計画的なものであったことは明らかであると述べていることを紹介したが、一人だけだとあまり信用していただけないと思うので、今回は軍部を動かしていた側の文書を紹介してみたい。 共産主義者に軍部を動かす動機があったことを知るた...
「二・二六事件」と中国の「西安事件」に垣間見えるコミンテルンの影
前回の記事で、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説を紹介し、当時コミンテルンが立てていた戦略は、日本を支那とアメリカ・イギリス、ドイツをイギリス・フランスと戦わせて、最後に漁夫の利を占めることであったことを書いた。このコミンテルン大会の後でわが国と中国で起こった事件を調べてみると、不可解でかつ重大な出来事が相次いでいることに気が付く。 先に中国側の出来事から見て行こう。まず、...
「大東亜共栄圏」の思想が広められた背景を考える
昭和前期の「日本史」を学んだ際に、資源の乏しいわが国がアメリカにより経済封鎖されながら、「大東亜共栄圏」とか「東亜諸民族の解放」というスローガンを掲げて、植民地となっていたアジア諸国を解放するために戦おうとしたことにずっと違和感を覚えていた。資源のないわが国には、他国の為に貴重な資源と富を費やして戦うほどの余裕があるはずがないと考えていたからだ。いつの時代でもどこの国でも、戦争を始めるには国民を納...
GHQ情報部長が、日米は戦うべきではなかったと述べた理由
以前このブログで、三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』という書物が英訳されて、当時GHQ(連合国総司令部)の情報部長であったウィロビーの眼に止まったことが、米国で「ゾルゲ捜査」を始めるきっかけとなったことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html マッカーサーはこのウィロビー将軍のことを、「在任中に出会った最も優れた知性派の将校であり、陸軍広しといえども将軍に続く人物を...
『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか
前回まで、わが国が連合軍に占領されていた時期から朝鮮戦争までの歴史を追ってみた。ウィロビー回想録の文章を引用しながら当時の雑誌などの記事をいくつか紹介してきたが、これらを読んでいくと、今までわが国の教科書やマスコミなどで広められてきた現代史の知識はかなり一面的なもので、一番重要なソ連の関与には全く言及していないことに気づくことになる。以前このブログで1928年のコミンテルン第6回大会で採択された決議内...
学生や軍部に共産思想が蔓延していることが危惧されていた時代~~ポツダム宣言4
以前このブログで、1928年のコミンテルン第6回大会で採択された決議内容を紹介した。 「帝国主義相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョワ的内乱戦たらしめることを主要目的としなければならない。…帝国主義戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、(1) 自国政府の敗北を助成すること(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること(3) 民主的な方法による...
共産主義に傾倒した陸軍参謀本部大佐がまとめた終戦工作原案を読む
今までこのブログで何度か紹介してきた、種村佐孝という人物についてWikipediaではこう解説されている。「太平洋戦争(大東亜戦争)中、陸軍参謀本部戦争指導班長をつとめ、大本営の戦争指導にあたった。戦争末期、対米降伏・和平交渉はアメリカの偽装であり、対米戦争の継続のためソ連同盟論を主張、対ソ終戦工作に従事する。戦後にシベリア抑留に遭い、モンゴルのウランバートルにあった『第7006俘虜収容所』にて、共産主義革命...
ロシア革命後、ソ連はいかにして共産主義を全世界に拡散させたのか
前回は、日本の軍部が左傾化していることを報じている当時の新聞記事を紹介したが、今回は、いかにしてソ連は、わが国だけでなく世界に共産主義を拡げていったかについて書かれている記事をいくつか紹介したい。1917年(大正6)にロシア革命が起こり史上初の社会主義政権が誕生したのだが、国内では反革命勢力(白軍)との内乱が続き、外債を踏み倒された独英仏などは反革命勢力を支援した。そこでソヴィエト政権は、白軍と対抗するた...
長崎の原子爆弾の「不発弾」を、ソ連に差し出そうとした大本営参謀の話
シベリアの抑留を体験し、帰国後に全国抑留者補償協議会を結成し、ソ連政府と直接交渉を重ねて抑留死亡者名簿の引渡しや墓参の自由化を実現させた斎藤六郎氏が、何度かロシア公文書館を訪れて関東軍に関する重要書類の大量のコピーを我が国に持ち帰っている。ロシア公文書館には旧ソ連軍が持ち去った関東軍の機密文書が大切に保管されていたようだ。その中に、昭和20年(1945)8月27日付で関東軍から大本営参謀次長河辺虎四郎宛に「...
満州事変の当時、満州のわが国の権益を狙っていた国はどこだったのか
「満州」という言葉は、もともとは地名ではなく民族名として用いられていて、19世紀に入ってわが国ではこの言葉が中国東北部を指すようになり、その地域に居住する民族を「満州族」と呼ぶようになったという。この地域は満州族の故地であって、その満州族が中国を制圧して1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した。その国家が清(しん)である。清に征服される前の明(みん:1368~1644年)の時代の万里の長城の地図を見るとわか...