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しばやんの日々

軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿

前回の記事で、日本軍には左翼分子が少なからずいて、軍部の「暴走」のいくつかはコミンテルンの工作指示に従ったものではないかということを書いた。当時、そのことに気が付いた人の記録が残っていることも書いたが、今回は昭和20年2月に近衛文麿が天皇陛下に対して戦争の早期終結を唱えた『近衛上奏文』を紹介したい。この上奏文の中で近衛はわが国の左翼分子が我が国を第二次世界大戦に突入させたことを明確に書いているのだが...

アメリカのルーズベルト政権に垣間見えるコミンテルンの影

前々回の記事で昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリンの演説で「砕氷船のテーゼ」と呼ばれる部分を紹介した。再掲すると、 「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと...

GHQ情報部長が、日米は戦うべきではなかったと述べた理由

以前このブログで、三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』という書物が英訳されて、当時GHQ(連合国総司令部)の情報部長であったウィロビーの眼に止まったことが、米国で「ゾルゲ捜査」を始めるきっかけとなったことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html マッカーサーはこのウィロビー将軍のことを、「在任中に出会った最も優れた知性派の将校であり、陸軍広しといえども将軍に続く人物を...

朝鮮戦争で、国連軍を勝たせないようにしたのは誰なのか

仁川上陸作戦で北朝鮮軍の補給路を断ち攻勢に出た国連軍を指揮するマッカーサーに対し、米統合参謀本部は北進攻撃の許可と詳細な指令を1950年9月28日に出し、いよいよ38度線を超える北進攻撃が開始された。しばらくウィロビーの回顧録を引用する。 「連合国軍による38度線を突破しての北進攻撃は、まず韓国軍の二個師団によって開始された。1950年9月30日、これらの部隊は東海岸沿いの道路を一挙に北上、10月3日には38度線を突破し...

戦勝国による「歴史の書き替え」が始まった

8月8日付の産経新聞にこんな記事が掲載されていた。「ロシアが、米国による広島、長崎への原子爆弾投下を『犯罪』として糾弾する動きを強めている。米国を唯一の『非人道的な使用国』と宣伝することで自国の核保有を正当化し、さらに日米の分断を図る思惑が見える。『米国の原爆でなく、ソ連の対日戦争こそが第二次世界大戦を終結させた』と主張し、日ソ中立条約を破った事実をかき消そうとする論調も目立つ。 プーチン露大統領に...

スターリンの罠にかかって第二次大戦に突入したことをわが国から教えられた米国の反応

柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』の話題を続けよう。柴田氏によると、終戦直後から日本共産党は「戦争反対を終始一貫主張し続けてきたのは我が党だけである」と宣伝していたのだそうだが、その主張が嘘であり、むしろ共産主義者たちがわが国を戦争に巻き込んだことを裏付ける論文などが当時は存在していて、三田村武夫氏が主張する「コミンテルンの世界革命計画に従って、わが国を戦争に巻き込み敗戦に導くことによって、一挙に...