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しばやんの日々

乃木将軍は「愚将」であったのか

明治37年(1904)5月1日、留守近衛師団長であった乃木希助中将が宮中に参内し、翌日に第三軍司令官に任ぜられた。第三軍の任務は、ロシアの極東進出の最先端であり最大拠点でもある旅順の奪取にあった。参謀長には陸軍切っての砲術の権威と言われた伊地知幸助少将が命ぜられている。日清戦争に勝利したわが国は、下関条約で遼東半島、台湾、澎湖諸島などを獲得したのだが、遼東半島は露独仏の三国干渉により遼東半島は一旦清に返還さ...

世界は乃木率いる第三軍が旅順要塞を短期間で落城させたことを賞賛した

前回は明治37年(1904)11月26日の白襷隊の攻防戦のことまでを書いた。その翌日の午前10時に乃木の率いる第三軍は東北正面の総攻撃を中止し、戦線は西に移動したという。乃木の27日の日記には「日夕、二〇三攻撃を第一師団に命ず」と書かれている。「二〇三攻撃」とは旅順の旧市街地から北西2kmほどのところにある丘陵である「二〇三高地」を攻撃せよとの意で、「二〇三高地」と呼ぶのは山頂が海抜203mであることによる。国立公文書...

圧倒的に劣勢であった奉天会戦に日本軍が勝利できたのは何故か

旅順の攻略を終えた乃木率いる第三軍は、総司令部の命を受け、来たるべき奉天会戦のために1月中旬より北上を開始し、わずか10日で遼陽付近に集結を完了している。この奉天会戦は日露陸戦最後の大会戦となったのだが、戦力を比較すれば兵力・火力ともに圧倒的にロシア軍が優勢であった。日本軍の兵力は約二十五万、火砲約千門に対し、ロシア軍は兵力約三十七万、火砲千二百門。またロシア軍は砲弾量も圧倒的に日本軍よりも多く、奉...