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しばやんの日々

「桜田門外の変」と、井伊直弼の死が長い間隠蔽された事情

万延元年(1860)三月三日、江戸城に入ろうとした大老・井伊直弼の一行が、桜田門のあたりで待ち伏せていた水戸・薩摩の浪士に襲われて、井伊大老の首が切られた事件があった。世に言う「桜田門外の変」である。この事件が起きるまでの経緯を簡単に復習しておこう。 安政5年(1858)4月に大老職に就いた彦根藩主・井伊直弼は、幕府の権威を復活させようとし、勅許をえないまま6月に日米修好通商条約に調印し、また、子供のいない十三代...

寺院の梵鐘を鋳つぶして大砲を作れという太政官符に苦慮した江戸幕府

嘉永6年6月3日(1853年7月)、ペリーが米大統領フィルモアの親書を携え、艦隊を率いて浦賀に姿を現わしてから1年半が経過した安政元年12月23日(西暦1854年1月)に、こんな太政官符が出ている事が、羽根田文明氏の『仏教遭難史論』に紹介されている。「それ外寇事情は、固より深く、宸襟を悩ませらるる*ところなり。…国家の急務、ただ海防にあり。よって諸国寺院の梵鐘を以て、大砲、小銃を鋳造し、海内枢要の地に置き、不慮に備えんと...

「観音の里」長浜の桜と文化を楽しんだあと、徳源院や龍潭寺、井伊神社を訪ねて

鶯の鳴き声で目が覚めて、清々しい朝を迎えた。昨日の夕刻から降り出した雨も上がり、今日は存分に桜が楽しめそうだ。長治庵の朝食を終えて、最初に向かったのは渡岸寺観音堂(長浜市高月町渡岸寺50:0749-85-2632)だ。「渡岸寺(どうがんじ)」というと誰でも寺の名前だと思ってしまうところだが「渡岸寺」は地名であって、寺の名前は向源寺(こうげんじ)だという。もしかすると、その「渡岸寺」という名の寺が以前は存在したのかもし...

妙満寺、圓光寺、金福寺の秋を楽しんで

圓通寺の借景を楽しんだのち、近くの妙満寺(みょうまんじ:075-791-7171)を訪ねる。この寺を創建した日汁大正師(にちじゅうだいしょうし)は、もとは玄妙(げんみょう)という天台宗の僧であったが、故郷の会津で日蓮上人の教えに触れて、康暦2年(1380) 67歳の時に日蓮宗に改宗し名を改め、都に上って康応元年(1389)に六条坊門室町(現在の烏丸五条あたり)に妙満寺を建立し根本道場としたという。その後何度か寺が焼失し移転を繰り返し...