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しばやんの日々

次々に廃寺となった奈良の大寺院

江戸時代の奈良の寺院を石高順に並べると、興福寺が15,033石と圧倒的に多く、次いで多武峰寺3,000石、東大寺2,211石、一乗院1,491石、法隆寺1,000石、吉野蔵王堂1,000石、内山永久寺971石、大乗院914石と続くのだが、これらの大寺院の領地が明治4年の「寺領上知の令」によって没収され、明治7年には寺録も廃止・逓減され、かつての大名家からの寄進もなくなって収入源がほとんど断たれてしまった。いくつか聞きなれない名前がある...

奈良の文化財の破壊を誰が命令したのか

前回は高村光雲の文章を紹介したが、この文章では廃仏毀釈の文化財破壊については「随分結構なものが滅茶々々にされました」といった表現にとどめていて、廃仏毀釈の事例として具体名を挙げて書いているのは興福寺の五重塔が「二束三文で売り物に出たけれども、誰も買い手がなかった」と言う話と、鎌倉の鶴岡八幡宮の一切経が浅草の浅草寺に移されたことが簡単に書いているだけだ。今回はもっと具体的な記録が残されている文章を紹...

高松塚から奈良県最大の廃仏毀釈のあった内山永久寺の跡を訪ねて

前回の記事で『藤原京の聖なるライン』のことを書いた。すなわち壷阪寺は藤原京の中心道路である朱雀大路の延長線上にあり、そのライン上に天武・持統天皇陵や高松塚古墳・キトラ古墳など天武朝の皇族に関係する古墳が点在する。壺阪寺の後は、ほぼ聖なるライン上にある高松塚古墳を訪れるため、国立飛鳥歴史公園館(0744-54-2441)に向かう。飛鳥歴史公園は5地区からなり、その中心が高松塚周辺地区で、公園の入園料も駐車場料金も...

明治政府の薩長対立の中を生き抜いた藤田伝三郎の人脈と藤田コレクション

前回の記事で藤田伝三郎が西南戦争を機に大儲けしたことを書いたが、大多数の国民はこの戦争のために大なり小なりの犠牲を払っているのに対して、暴利を得た藤田組に非難の声が高まっていった。【藤田組の悪い噂を流したのは誰か】前回紹介した白柳秀湖 著『日本富豪発生学. 下士階級革命の巻』にはこう解説されている。「この非難の声につれて先ず起ったのは、藤田組が請け負って戦地に送った人夫の一部であった。彼らは戦争がす...