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しばやんの日々

坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その3

以前、龍馬を暗殺したのは誰かについて2度にわたりこのブログで書いた。そこでは、この事件の黒幕がいたかどうかについては諸説があるが、暗殺の実行犯については京都見廻組で、龍馬を斬ったのは今井信郎だというのが定説になっていることを書いた。しかし今井の言うことを全く信用しなかった土佐藩の谷干城(たにたてき:第二代学習院院長、初代農商務大臣)もいる。どちらが正しいのだろうか。明治33年(1900)に今井信郎は甲斐新聞...

西郷隆盛なくして、地方の権力と武力を中央に集める廃藩置県が可能だったか

以前このブログでGHQによって焚書処分された菊池寛の『大衆明治史』という本を紹介したことがある。その時は中国人苦力(クーリー:単純労働者、奴隷)を乗せたマリアルーズ号というペルー船籍の船が横浜港で座礁したのだが、積荷が中国人苦力で、明らかに虐待されていた形跡から「奴隷運搬船」と判断して全員解放し、清国政府から感謝のしるしとして頌徳の大旆(たいはい:大きな旗)が贈られた話を紹介した。http://shibayan1954.blo...

征韓論争は大久保が西郷を排除するために仕掛けたのではなかったか

前回は、GHQ焚書図書となった菊池寛の『大衆明治史』第1章の「廃藩置県」に関する記述を紹介し、西郷隆盛がいなければこのような大改革は為し得なかったのではないかといことを書いた。今回は、引き続き『大衆明治史』の第2章「征韓論決裂」に関する記述を紹介したい。その前に、一般的な教科書の記述を読んでみよう。 「欧米諸国の朝鮮進出を警戒した日本は、鎖国政策をとっていた朝鮮に強く開国をせまった。これが拒否されると...

明治期の日本にとって朝鮮半島はいかなる存在であったか

前回の記事で、陸奥宗光外相らの努力により日清戦争の始まる直前に、英国との間に治外法権を撤廃する条約改正が成就したことを書いた。キンバレー英外相は「この条約は、日本にとっては、清国の大兵を敗走させたよりも、はるかに大きい意義がある」と述べたのだそうだが、この言葉の意味を理解するためには当時の朝鮮半島のことを知る必要がある。以前このブログで「征韓論争」のことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.co...

明治政府は士族をどう活用しようとしたのか

前回は、明治維新のあとで士族の収入が激減した上に徴兵制が開始され、さらに廃刀令が実施されて、彼等の誇りや特権が剥ぎとられたばかりでなく、生活もままならなくなり、家財道具を売る者や、娘を売る者が出てきたことを書いた。歴史書では「不平士族」という言葉で表現されているが、働く場所が奪われ、収入が9割以上カットされた上に、収入に12%もの新税を課せられては、士族が不平を持たないことのほうが余程不自然である。ま...

大政奉還のあと討幕派はいかにして王政復古に持ち込んだのか

前回の記事で徳川慶喜が1867年(慶応3)年10月14日朝廷に大政奉還を申し出たことを書いたが、その同じ日に正親町三条実愛(おおぎまちさんじようさねなる)邸にて薩摩の大久保利通、長州の広沢真臣(さねおみ:当時は兵助)に討幕の密勅が手渡され、薩摩藩および長州藩はその請書を提出している。この『討幕の密勅』はかなり過激な内容になっていて、次のURLにその読み下し文が出ている。http://www.japanusencounters.net/restoration.ht...

大久保利通を暗殺した石川県の不平士族らは何を求めていたのか

明治9年(1876)の第2次府県統合の後の地図を眺めていると、石川県、島根県、高知県、愛媛県、長崎県、鹿児島県など不自然に大きな県が存在し、また奈良県がなく現在の大阪府南部と奈良県を領有した堺県があったことなどいろいろなことがわかる。【明治12年(1879)時点の地図(斉藤忠光氏作成)】これらの県では、のちに分県運動が立ち上がり、富山県、福井県、奈良県、鳥取県、徳島県、香川県、佐賀県、宮崎県の8県が復活を果たすので...

明治新政府の創成期は兵力も財力も権威も乏しく、いつ瓦解してもおかしくなかった

前回記事で『維新前後の政争と小栗上野の死』という書物を紹介したが、著者の蜷川新氏の主張しているとおり、徳川幕府が大政奉還を廃止したのちに薩長がすぐに取組むべきことは封建的支配体制を解体し、天皇を中心とした中央集権的国家体制の基礎を固める事であったはずだ。明治2 (1869) 年の「版籍奉還」で、諸藩主が土地と人民に対する支配権を朝廷に返還したものの、新政府は旧藩主をそのまま知藩事に任命して藩政に当たらせた...

大倉喜八郎が事業を発展させたきっかけと、儲けた金の使い方

前回の記事で大倉喜八郎は幕府の動きや黒船を観て、これから内乱が起きることを直感し、乾物商を止めて武器商に鞍替えして大稼ぎしたことを書いた。ところが戊辰戦争が終わると、喜八郎はこれからしばらくわが国で戦争が起こることはなく、このまま鉄砲店を続けても駄目だと考えたという。そしてこれからは、外国との貿易が盛んになるとともに、わが国で洋服が必要になると考えて、日本橋本町に洋服裁縫店を開き、横浜に内外貿易店...

高知県士族九名に襲われた岩倉具視はいかにして難を逃れることができたのか

以前このブログで征韓論争のことを書いた。当時の李氏朝鮮は「鎖国攘夷政策」をとっており、当時国王の生父大院君が実権を掌握していたのだが甚だしい欧米嫌いであり、先進文化の受容に努めていたわが国は欧米模倣であると罵られ「攘夷」の対象であった。しかしながら国力に乏しく、このまま鎖国を続けていればいずれ朝鮮半島は欧米の植民地となり、そうなればわが国の独立も脅かされることになってしまう。明治政府はなんとか開国...