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しばやんの日々

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その2

前回は秀吉が伴天連追放令を出した経緯を、イエズス会宣教師のルイス・フロイスの記録から纏めてみた。では、日本側の記録ではどうなっているのか。 秀吉の側近に大村由己(おおむらゆうこ)という人物がいる。この人物は以前にこのブログで、天神祭のことを書いた時に、大阪天神宮の神宮寺の別当であったと紹介したことがある。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-18.htmlこの人物は豊臣秀吉に近侍して秀吉の軍記など...

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その3

戦国時代の九州で、なぜ大量の日本人がポルトガル商人に奴隷として売られてしまったのか。この点については、前々回紹介したルイス・フロイスが、その当時の九州の実態について、「奴隷」という言葉こそ使っていないがその事情が理解できるような記録を残している。たとえば、豊後については薩摩軍との戦いが続いて惨憺たる状況であった上に、次の様なことが起こっていた。フロイスの記録をしばらく引用する。 「薩摩軍が豊後で捕...

戦国時代に大量の寺社や仏像を破壊させたのはキリシタン大名か、宣教師か

前回まで3回にわたって、豊臣秀吉が「伴天連追放令」をだした背景を日本人奴隷の問題を中心にまとめてみたが、秀吉が問題にしたのは奴隷の問題だけではなかった。 「秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したか~~その1」で紹介した、秀吉がイエズス会の日本準管区長コエリョにつきだした質問のなかには、伴天連が牛や馬を食べることも問題にしていたくだりがあったが、このことは今の時代に生きる我々にはどうでもよい。それよりも...

永禄9年にあったわが国最初のクリスマス休戦のことなど

前回は、永禄10年(1567)に大仏殿をはじめ東大寺の多くの伽藍を焼失させたのは、松永弾正久秀ではなく三好軍にいたイエズス会のキリシタンであると、同じイエズス会のフロイス自身が記録していることを書いた。松永弾正は東大寺には火をつけなかったかもしれないが、それ以前に三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)との戦いで多聞城の間際まで攻め込まれた松永弾正は、相手方が陣地として利用しそうな(般若寺、文殊堂など)寺を...

中国の史料では後期倭寇は中国人が中心だが、奴隷売買に関与はあったか~~倭寇3

以前このブログで、「400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと」という記事を書いた。この記事は、ブラジルの日系人のための新聞である「ニッケイ新聞」に連載された記事の紹介から書き起こしている。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-116.html その記事とは16世紀の中頃から1600年頃までの間の50年間に大量の日本人が南米に奴隷として渡ったことを当時の記録などを引用しながら書かれた記事...

日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える

前々回の記事で、1604年に朱印船制度が創設され、それ以降1635年まで、350隻以上の日本船が朱印状を得て海外に渡航したことを書いた。渡航先は安南、スペイン領マニラ、カンボジア、シャムなどの東南アジア諸国であったのだが、それらの地域には多くの日本人が移り住んで日本人町ができたという。「移り住んだ」と書くと、如何にも日本人全員が自分の意志で海外に渡っていった印象を受けるのだが、もう少し正確に言うと、少なから...

日本人傭兵を買い漁った西洋と東南アジア諸国の背景を考える

前回の記事で、イエズス会の宣教師として来日していたルイス・フロイスが、太閤秀吉の言葉として「商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行している」と記していることを書いた。またシャム国では、日本人武士を買って傭兵として用いる強いニーズがあり、山田長政はその日本人傭兵部隊を率い...

日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代

前回の記事で、伴天連らが日本で布教活動を行なっていることは、わが国を占領する意図があることを秀吉が見抜いていたことを書いた。中学や高校で学んだ歴史の教科書には宣教師らが渡来してきた目的がわが国の占領にあったなどとはどこにも書かれていないが、この当時のローマ教会やわが国に来た宣教師などの記録を読めば、かれらは単純にキリスト教を広めることが目的ではなかったことが容易に理解できる。以前このブログで、15世...