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しばやんの日々

幕末の孝明天皇暗殺説を追う

前回は坂本龍馬の暗殺について2回に分けて書いたが、この前後の日本史の年表を見ていると、この時期に結構多くの志士が暗殺されている。 「幕末英傑録」というホームページにはこの時期に暗殺された人物の名前が列挙されているが、文久2年(1862)から慶応3年(1867)の6年間で判明している志士の暗殺が41名というのは半端な数ではない。しかも遭難地は京都ばかりだ。http://www.bakusin.com/eiketu/kill.html もちろんリストの中には...

幕末の動乱期にわが国が独立を維持できた背景を考える~~GHQが封印した歴史 3

嘉永6年(1853)6月に、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航し強硬な態度で幕府に開国を迫り、翌年にその圧力に屈して日米和親条約を締結し、寛永16年(1639)以降200年以上続いた鎖国体制は終りを告げた。その後、和親条約により下田に駐在したハリスの強い要求に応じて、江戸幕府は安政5年(1858)に日米修好通商条約に調印した。この幕府の決定が反対派の公家・大名や志士達を憤激させた。大老の井伊直弼...

明治維新の魁(さきがけ)とされる生野義挙のこと

旧生野鉱山職員宿舎から西に400mほど歩くと生野小学校があり、その南東隅に『生野義挙跡』の石碑(市指定文化財)が建っている。以前このブログで文久3年(1863)8月に奈良で起きた『天誅組の変』のことを書いたが、『生野義挙』というのは、『天誅組の変』の2カ月後に尊王攘夷派が挙兵した事件をいう。いずれも明治維新の魁(さきがけ)ともよ呼ばれる事件なのだが、教科書などでは何も書かれていない。たとえば、『もういちど読む 山...