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しばやんの日々

幕末の孝明天皇暗殺説を追う

前回は坂本龍馬の暗殺について2回に分けて書いたが、この前後の日本史の年表を見ていると、この時期に結構多くの志士が暗殺されている。 「幕末英傑録」というホームページにはこの時期に暗殺された人物の名前が列挙されているが、文久2年(1862)から慶応3年(1867)の6年間で判明している志士の暗殺が41名というのは半端な数ではない。しかも遭難地は京都ばかりだ。http://www.bakusin.com/eiketu/kill.html もちろんリストの中には...

幕末の「ええじゃないか」は世直しを訴える民衆運動だったのか

学生時代に教科書や参考書をいくら読んでもピンとこない叙述はいくつかあったが、江戸時代末期の「ええじゃないか」は変な出来事だとは思いながら、「一般庶民が新しい世の中が生まれることを期待して自然発生的に起こった」という説明を鵜呑みにした記憶がある。Wikipediaには『ええじゃないか』をこう説明している。 「日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から翌慶応4年(1868年)4月にかけて、東海道、畿内を中心に、江戸...

討幕の密勅、大政奉還から王政復古の大号令までの歴史を振り返る

前回の『ええじゃないか』騒動の記事で、岩倉具視らの陰謀により、慶応三年(1867)十月十三日、討幕派の薩長両藩に『討幕の密勅』が下ったことに少しだけ触れておいた。 武力討幕派の薩摩長州両藩にとっては、もし将軍徳川慶喜が土佐藩の建白による大政奉還を決断するとなると武力で幕府を倒す大義名分がなくなってしまうばかりか、新政府の主導権を土佐に奪われかねないことになる。そこで、朝廷より「討幕の密勅」を受けて、武力...

西郷隆盛なくして、地方の権力と武力を中央に集める廃藩置県が可能だったか

以前このブログでGHQによって焚書処分された菊池寛の『大衆明治史』という本を紹介したことがある。その時は中国人苦力(クーリー:単純労働者、奴隷)を乗せたマリアルーズ号というペルー船籍の船が横浜港で座礁したのだが、積荷が中国人苦力で、明らかに虐待されていた形跡から「奴隷運搬船」と判断して全員解放し、清国政府から感謝のしるしとして頌徳の大旆(たいはい:大きな旗)が贈られた話を紹介した。http://shibayan1954.blo...

征韓論争は大久保が西郷を排除するために仕掛けたのではなかったか

前回は、GHQ焚書図書となった菊池寛の『大衆明治史』第1章の「廃藩置県」に関する記述を紹介し、西郷隆盛がいなければこのような大改革は為し得なかったのではないかといことを書いた。今回は、引き続き『大衆明治史』の第2章「征韓論決裂」に関する記述を紹介したい。その前に、一般的な教科書の記述を読んでみよう。 「欧米諸国の朝鮮進出を警戒した日本は、鎖国政策をとっていた朝鮮に強く開国をせまった。これが拒否されると...

明治政府は士族をどう活用しようとしたのか

前回は、明治維新のあとで士族の収入が激減した上に徴兵制が開始され、さらに廃刀令が実施されて、彼等の誇りや特権が剥ぎとられたばかりでなく、生活もままならなくなり、家財道具を売る者や、娘を売る者が出てきたことを書いた。歴史書では「不平士族」という言葉で表現されているが、働く場所が奪われ、収入が9割以上カットされた上に、収入に12%もの新税を課せられては、士族が不平を持たないことのほうが余程不自然である。ま...

洛北の紅葉の名所を訪ねて~~実相院から圓通寺へ

ここ数年、紅葉の季節になると古い寺や神社を訪ねたくなる。いつもなら人や車の多い場所を避ける主義なのだが、学生時代に何度か訪れた思い出の場所を急に訪ねたくなって、近隣の寺社とともに巡る旅程を立てて、先日京都市の岩倉から修学院の古刹などを訪ねてきた。最初に訪ねたのは岩倉にある実相院(075-781-5464)である。この寺の障壁画が気に入って、高校時代から大学時代にかけて何度か訪れた寺なのだが、当時の観光客はわずか...

キリスト教国を相手に開国したわが国がキリスト教を禁止し続けた矛盾

江戸時代の末期に、わが国は米国からの要求をきっかけに西洋諸国に門戸を開くようになり、通商条約が結ばれたことで各国の外交使節と共に多くの宣教師が来日している。【大浦天主堂】横浜には1862年に聖心教会(その後移転し、現在の山手教会)が建てられ、1865年には長崎に大浦天主堂が建てられたのだが、二百数十年にわたり『隠れキリシタン』として代々人目を忍んで信仰を守り続けていた浦上村の村民たちが、大浦天主堂を訪ねてキ...

大政奉還のあと討幕派はいかにして王政復古に持ち込んだのか

前回の記事で徳川慶喜が1867年(慶応3)年10月14日朝廷に大政奉還を申し出たことを書いたが、その同じ日に正親町三条実愛(おおぎまちさんじようさねなる)邸にて薩摩の大久保利通、長州の広沢真臣(さねおみ:当時は兵助)に討幕の密勅が手渡され、薩摩藩および長州藩はその請書を提出している。この『討幕の密勅』はかなり過激な内容になっていて、次のURLにその読み下し文が出ている。http://www.japanusencounters.net/restoration.ht...

江戸時代に大阪が商業の中心地として栄えた理由と、豪商・淀屋の闕所処分を考える

徳川家康が江戸に幕府を開いた以上は、徳川幕府の歴代将軍は江戸が政治・経済・文化の中心になるよう努力したに違いないのだが、元和元年(1615)の大坂夏の陣で豊臣氏は滅亡したにもかかわらず、大阪がわが国の経済の中心地であり続けたのである。その理由はどこにあったのだろうか。この問題について徳富蘇峰は『近世日本国民史. 第19 元禄時代 下巻 世相篇』でこう解説している。この本は国立国会図書館デジタルコレクションで誰...

高知県士族九名に襲われた岩倉具視はいかにして難を逃れることができたのか

以前このブログで征韓論争のことを書いた。当時の李氏朝鮮は「鎖国攘夷政策」をとっており、当時国王の生父大院君が実権を掌握していたのだが甚だしい欧米嫌いであり、先進文化の受容に努めていたわが国は欧米模倣であると罵られ「攘夷」の対象であった。しかしながら国力に乏しく、このまま鎖国を続けていればいずれ朝鮮半島は欧米の植民地となり、そうなればわが国の独立も脅かされることになってしまう。明治政府はなんとか開国...