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しばやんの日々

ペリー来航の45年前のわが国でロシアとの交易を開始する準備がなされていた

前回の記事でロシアの全権使節であるニコライ・レザノフがわが国に通商を求めてきたことに対し、わが国は半年間待たせた上で拒絶回答をして以降、蝦夷地にロシア船が出没して乱暴狼藉を働く事件が相次いだことを書いた。その後江戸幕府内で、ロシアと通商を開始すべきではないかとする意見が出てきたという。当時箱館奉行、松前奉行として蝦夷地経営の最高官僚であった羽太正養(はぶとまさやす)が記録した『休明光記』に詳しく叙述...

間宮林蔵は原住民の小舟で北樺太を探検し、海峡を渡って樺太が島であることを確認した

前回の記事で、江戸幕府はフヴォストフが次回蝦夷地に現われた時には、ロシアとの交易を条件付きで認める返書を手渡す準備していたのだが、フヴォストフはわが国で乱暴狼藉を働いたことでロシア皇帝の命令によりオホーツクの獄に繋がれたために、手紙をロシア側に手渡すことが出来なかったことを書いた。この手紙がロシア側に届けば別の展開になっていたのだろうが、届かなかったので幕府はますますロシア船を厳戒せざるを得なくな...