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しばやんの日々

シーボルトが記した「鎖国」の実態を知れば、オランダの利益の大きさがわかる

出島は寛永13年(1636)に、ポルトガル人を収容させるために長崎の港内に人工的に造られた埋立地だが、ポルトガル船の日本への渡航が禁止されたのち、平戸にあったオランダ商館が移されて、寛永18年(1641)にオランダ人の居住地となった。島の形状は縦65メートル、横190メートルの扇形で、面積は1.3ヘクタール程と狭く、その島にカピタン(商館長)の住まいのほか、商館で働く人々の住宅や乙名部屋、通詞部屋、札場、検使場、倉庫、番所...

徳川綱吉の『生類憐みの令』を悪法とする通説が見直されているのはなぜか

徳川五大将軍綱吉が出した『生類憐みの令』を調べていると、教科書の記述が学生時代に学んだ内容と随分ニュアンスが違ってきているのに驚いた。たとえば『もういちど読む 山川日本史』では、次のように解説されている。「江戸時代の悪法の代表とされてきた生類憐みの令は、近年見直しがすすんでいる。犬の愛護はそれまで食犬の風習や野犬公害の多かった江戸とその周辺で推進されてきたが、全国的には捨牛馬(すてぎゅうば)の禁止が...

綱吉の治世後半を襲った相次ぐ大災害の復興資金を、幕府はいかに捻出しようとしたか

前回は徳川五大将軍綱吉が出した『生類憐みの令』のことを書いたが、もう少し綱吉の話題を続けよう。徳川綱吉が将軍宣下を受けたのは延宝8年(1680)で、宝永6年(1709)に死去するまで将軍位に就いていたのだが、綱吉の時代を調べていくと後半期に不幸な出来事が相次いで起きていることに気が付く。例えば、元禄8年(1695)以降奥州飢饉がおこり、元禄11年(1698)には江戸で大火(勅額大火)が発生し、元禄16年(1703)には関東を巨大地震(元...