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しばやんの日々

戊辰戦争で焼き討ちされる危機にあった日光東照宮~~日光東照宮の危機1

以前日光東照宮に旅行したときには全く気が付かなかったのだが、日光東照宮の参道に繋がる神橋(しんきょう)の入口に、刀を差して日光山を見つめる板垣退助の銅像があるという。しかし、なぜ徳川家の聖地である日光に、徳川幕府を倒した側の板垣の像があるのかと気になった。慶応3年(1867)10月14日の大政奉還ののち、12月9日に王政復古の大号令が発せられ、若い明治天皇のもとに公家・雄藩大名・藩士からなる新政府が発足した。新政...

日光の社寺が廃仏毀釈の破壊を免れた背景を考える~~日光東照宮の危機2

以前このブログで、滋賀県大津市坂本の日吉大社の廃仏毀釈が、慶応4年(1868)3月に神仏分離令が出て最初に行なわれたものであり、この時に仏像や仏画や経巻・法器などを徹底的に破壊したリーダーは神祇官権判事の樹下茂国であったことを書いた。それまでの日吉大社は「日吉山王権現」と呼ばれ、いずれの社殿も南光坊天海が開いた「山王一実神道」で祀られていた。社殿には仏像や僧形の木像を神体にし、多くの経巻などが備えられてい...

古き日光の祈りの風景を求めて~~日光観光その1

栃木県の宇都宮に行く用事があったので、ついでに一泊して日光に行ってきた。中禅寺湖方面は紅葉が見ごろを迎えていたため渋滞が避けられないので諦めて、東照宮、二荒山神社、輪王寺の二社一寺のほか、古い日光の姿を残している場所を求めて、観光客のあまり行かない場所をルートに入れてみた。深夜バスで早朝に宇都宮駅に着いてレンタカーを借りて、最初に向かったのは開山堂と瀧尾(たきのお)神社である。いずれも無人なので次の...

紅葉し始めた日光の輪王寺と東照宮を歩く~~日光観光その2

前々回の記事で、輪王寺が明治政府の神仏分離令で大揺れに揺れ、徳川幕府という大スポンサーを失った日光の百十ヵ寺の僧侶は無給で暮らすことを余儀なくされ、80余名の僧侶たちは、満願寺(現在の輪王寺)の本坊で合宿して暮らしたことを記したが、明治4年(1871)5月にはその満願寺の本坊が全焼してしまった。その本坊の跡地が今は輪王寺の宝物館となっているようだ。最初に逍遥園に入ったのだが、この庭は本坊庭園の遺構で、江戸時代...

日光二荒山神社から国宝・大猷院へ~~日光観光その3

日光東照宮の拝観を終えて、上新道を歩いて二荒山神社の楼門に向かう。楼門をくぐり、鳥居を過ぎると右側に社務所があるが、前回記したとおり、かつてはこのあたりに三仏堂があり、明治初期の神仏分離により輪王寺の境内に移築されてしまったのである。前回の記事で、江戸時代の日光を描いた『木曽路名所図会 巻之六』の挿絵を紹介したが、拡大してもう一度見てみよう。画像の右にある「仁王門」は現在の東照宮の表門*で、「大塔...

日光の秋を求めて憾満ヶ淵から田母沢御用邸へ~~~日光観光その4

日光旅行の初日は、瀧尾神社、四本竜寺、本宮神社、輪王寺、東照宮、二荒山神社、大猷院と周ってきたが、東照宮や大猷院が造営される前の日光を描いた絵はないものかと、ネットで探してみた。ひと昔前なら、万巻の書を手当たり次第に紐解かなければわからないことが、検索キーワードをいくつか選ぶだけで、ネットで簡単に探すことのできる便利な世の中になっているのはありがたい。日光山輪王寺宝物殿にある、元和3年(1617)に制作...

松尾芭蕉と河合曾良の『奥の細道』の旅の謎を追う

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口をとらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊の思いやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(こうしょう)の破屋(はおく)に蜘蛛の巣をはらひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をく...