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しばやんの日々

カリフォルニア州の排日運動が、日露戦争後に急拡大した背景を考える~~米国排日1

昭和21年の3月から4月にかけて、当時の松平慶民宮内大臣・木下道雄侍従次長らが、戦争に至った遠因・近因、経過および終戦の事情について、昭和天皇から5回にわたって聞き書きをした貴重な記録がある。その冒頭は昭和天皇の次のようなお言葉となっている。「大東亜戦争の遠因この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然存...

ルーズベルトはなぜ黄色人種の中国を連合国陣営に残そうとしたのか~~米国排日11

「米国排日」シリーズの最初の記事で『昭和天皇独白録』の冒頭の文章を紹介した。 「大東亜戦争の遠因この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然存在し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。…かゝる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がつた時に、これを抑えることは容易な業ではない。」(...

原爆・ソ連参戦の後も『ポツダム宣言』受諾に抵抗したのは誰か~~ポツダム宣言3

前回の記事で、『ポツダム宣言』が出た直後のわが国の反応について書いた。この宣言が公表されてから2発の原爆が落とされてソ連が対日参戦した。これではわが国には、どう考えても勝ち目はないだろう。ドイツのように完全に敗北すれば、わが国は主権を奪われ、国土は戦勝国に分割されてしまう。もし『ポツダム宣言』がわが国に対して「無条件降伏」を要求する文書であるならば、国を失うくらいならば破れかぶれで突き進むしかない...

『玉音放送』を阻止しようとした『軍国主義』の将校たち~~ポツダム宣言6

このシリーズの3回目に、昭和天皇の御聖断でわが国が『ポツダム宣言』を受諾することが決まった経緯について書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-292.htmlしかしながら、わが国はこの御聖断によりすんなりと終戦に向かったのではなかったのだ。今回は、昭和天皇の二度にわたる御聖断とその後の動きについて、寺崎英成ら昭和天皇の側近が昭和21年の3月から4月にかけて天皇から直々に聞きまとめたとされる記録(...

昭和20年8月15日に終戦出来なかった可能性はかなりあった~~ポツダム宣言7

前回の記事で、阿南陸相の義弟である竹下中佐らが、陸軍大臣らの許可を得て兵力を使用し、昭和天皇および和平派を軟禁拘束して、玉音放送を妨害して戦争継続の方向に導くことを計画したことを書いた。この計画に賛同するメンバーは決して少数ではなかった。森 赳(たけし)近衛師団長は蹶起することに反対していたが、近衛師団参謀長の水谷一生、参謀の古賀秀正、石原貞吉も、竹下中佐らの仲間に入ることを約束していた。古賀は東条...