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しばやんの日々

アメリカ人が王朝を転覆させたハワイ王国の悲劇と日本~~GHQが封印した歴史5

前回は、アメリカ人の武力による圧力で署名させられた憲法により、国政に対する権限のほとんどを奪われたカラカウア王が、失意と孤独の内に1891年1月に病死し、その志を継いだ妹のリリウオカラニ女王が即位したところまでのことを書いた。 今回は、その後ハワイがいかなる方法でアメリカに奪われたかを記すことにする。リリウオカラニ女王は、アメリカ人を中心とする共和制派との対決姿勢を強め、純粋なハワイ人の王朝を回復する...

日清戦争で日本軍は、陸も海も連戦連勝だった

明治27年(1894)7月25日、朝鮮の北西岸豊島沖で、日本の巡洋艦の秋津洲(あきつしま)、吉野と浪速(なにわ)の三鑑が、会合予定であった巡洋艦の武蔵と八重山を捜していたところ、突然、清国巡洋艦の済遠(サイエン)と広乙が海上にあらわれた。この段階では日清両国で互いに宣戦布告は出されていなかったが、わが国が7月19日に突きつけた5日間の猶予つきの最後通牒への返答がないまま期限が切れており、法的には戦争状態に入っていた。...

日本海海戦で日本軍が圧勝した背景と東郷平八郎の決断

乃木希助率いる第三軍が旅順要塞に対する第2回総攻撃を開始する11日前の、明治37年(1904)10月15日にバルチック艦隊はリバウ軍港から出航している。ロシア海軍は、バルチック海にある精鋭の艦隊を極東に派遣して、旅順港にある太平洋艦隊とともに日本海軍と戦えば、日本艦隊のほぼ2倍の戦力となるので、勝利して制海権を確保できるとの考えであったのだが、バルチック海から極東に向かう航海は地球を半周するほどの距離がある苛酷な...