ソ連の『北海道・北方領土占領計画書』を読む
前回の記事でソ連によるシベリア抑留のことを書いた。シベリア抑留を体験された斉藤六郎氏が国を相手の補償要求裁判をされて「全国抑留者補償協議会(全抑協)」という会を立ち上げられ、その裏付けのためにモスクワに何度も足を運ばれてモスクワの公文書館に保存されていた極秘文書のコピーを大量に持ち帰られたのだそうだが、その資料の中にはわが国にとっても、かなり貴重なものが含まれているという。 以前は山形県の「シベリア...
占守島の自衛戦を決断した樋口中将を戦犯にせよとのソ連の要求を米国が拒否した理由
前回の記事で、千島列島最北の占守島(しゅむしゅとう)で日本軍とソ連軍との激戦があり、日本軍が良く戦ったことを書いた。 占守島守備隊には停戦命令は出ていたが、ソ連軍の一方的な奇襲の報告を受けて、第五方面軍司令部の樋口季一郎中将が自衛のための戦いを決断し、ソ連軍を撃破した。日本側の死傷者600名に対してソ連軍は3000名以上の死傷者が出たとされ、日本軍が優勢であったのだが、その後日本政府の弱腰な対応で占守島守備...
世界は乃木率いる第三軍が旅順要塞を短期間で落城させたことを賞賛した
前回は明治37年(1904)11月26日の白襷隊の攻防戦のことまでを書いた。その翌日の午前10時に乃木の率いる第三軍は東北正面の総攻撃を中止し、戦線は西に移動したという。乃木の27日の日記には「日夕、二〇三攻撃を第一師団に命ず」と書かれている。「二〇三攻撃」とは旅順の旧市街地から北西2kmほどのところにある丘陵である「二〇三高地」を攻撃せよとの意で、「二〇三高地」と呼ぶのは山頂が海抜203mであることによる。国立公文書...
補給に苦しみながら敵の上陸を許さなかったキスカ島の兵士たち…『キスカ戦記』を読む4
キスカ島の防衛のためには、航空戦力が不可欠であることぐらいはわかっていたはずなのだが、わが国には航空部隊や航空機を北方に差し向ける余裕はなかった。米国はアムチトカ島に航空基地を完成させると、それ以降米軍機によるキスカ島への空襲が激しさを増すことになる。『キスカ戦記』にはこう解説されている。「キスカ在舶艦船を主な攻撃目標にしていた米航空機は、在舶艦船がいなくなり、わが航空兵力が逼塞すると見るや、対空...