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しばやんの日々

謎に包まれた源頼朝の死を考える

鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』の目次を見ると、建久七年(1196)から建久九年(1198)年の記録がないことがわかる。厳密にいうと建久六年(1195)の十二月二三日から建久十年(1199)の二月五日までの3年以上の長きにわたり、『吾妻鏡』には何も記録がないのである。http://adumakagami.web.fc2.com/aduma00-00mokuji.html 『吾妻鏡』に記録のない年は他にもあるのだが、これだけ長い間にわたり記録がないのは、この期間だけである。 上...

源平両軍の兵士による掠奪から民衆は如何にして食糧や家財を守ろうとしたのか

前回の記事で、平氏軍も源氏軍も兵粮が不足していて、進軍する街道筋にある村々に押し入って、寺や神社や家々から手当たり次第に掠奪したり、穀物を刈り取ったりしたことを書いた。しかしながら、西日本では治承四年(1180)から干ばつのために凶作が二年続き、京では餓死者が道にあふれるほど食糧の絶対量が不足していた。街道筋にある村々にとっては彼らの食糧を守ることは家族の生死にかかわる大問題であったのだ。では、彼らはど...