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しばやんの日々

電信工事に対する民衆の妨害活動や流言飛語に手を焼いた明治政府

前回の記事で、嘉永七年(1854年)にペリーが二度目の来日をした際に、横浜で汽車の模型を動かしたところ幕府の役人が子どものように喜んだことを書いたが、ペリーは同時に電信機のデモンストレーションをも実施している。その時の日本人の反応について、ペリーの記録にはこう書かれている。「…電信装置は真っすぐに、約1哩*張り渡された。一端は条約館に、一端は明らかにその目的のために設けられた一つの建物にあった。両端にいる...