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しばやんの日々

自由党と立憲改進党が帝国議会開設を前に衰退した経緯

自由民権運動の高まりに対抗して明治政府は集会条例を制定するなど民権派の活動を取り締まる一方、政府主導による立憲政治の実現にとりかかった。政府部内でも大蔵卿・参議の大隈重信がすみやかに憲法を制定して国会を開設し、イギリスをモデルとした議会中心の政党政治を行なうことを主張したが、岩倉具視、伊藤博文らはドイツ流の君主の権限の強い憲法制定をとなえて大隈と対立していた。明治14年(1881)に、開拓使官有物払下げを...