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しばやんの日々

西南戦争が起こる前の鹿児島県はまるで独立国のようだった

前回の記事で、明治6年に征韓論争が決裂して西郷らが下野して鹿児島に戻ったことを書いた。その後の西郷が薩摩でどのような生活であったのか、菊池寛の文章を読むと驚くべきことが書かれている。しばらく引用してみる。(原文は旧字・旧かな)「西南戦争の原因は、発展していく中央政府と、古きを守ろうとする西郷党との間に醸し出された矛盾対立が、遂に爆発した結果にほかならない。 言葉を換えて言うなら、明治六年の征韓論の対立...

西郷隆盛はなぜ西南戦争を戦ったのか

前回は、GHQ焚書図書である菊池寛の『大衆明治史』の第4章「西南戦争」の前半部分を紹介した。前回の記事で書いたように、征韓論争に敗れて西郷隆盛が地元に戻ったころの鹿児島県は、中央政府に租税を納めず官吏の任免権を西郷らが掌握し、一種の独立国の様相を呈していた。明治10年(1877)1月になると中央政府が西郷らに刺客を送り込んだとの情報が拡がり、続いて私学校党の学生が、武器・弾薬庫を襲う事件が起こり、西郷はいよい...

明治維新と武士の没落

明治維新で政権が朝廷に奉還され、明治2年(1869)に戊辰戦争が終了して、日本全国が新政府の支配地となったものの、各藩では江戸時代同様の各大名による統治が行なわれていて、明治政府が諸藩へ命令を行なうには、強制力の乏しい太政官達を出すしか方法がなかったという。それでは大改革は不可能だ。そこで明治政府は、まず明治2年(1869)に版籍奉還を行ない、藩主を非世襲の知藩事とし、藩士も知藩事と同じ朝廷(明治政府)の家臣とし...

奇兵隊に参加し失明した藤田伝三郎が大富豪となるきっかけとなった人物との出会い

前回の記事で、長州の豪商白石正一郎が奇兵隊のために巨額の私財を投じて、維新成就後に事業を倒産させたことを書いた。その一方で、奇兵隊から明治の大富豪になりあがった人物がいる。藤田財閥の創立者である藤田伝三郎である。【藤田伝三郎】【奇兵隊脱退と失明】藤田伝三郎は天保12年(1841)に長州藩・萩の酒屋の四男として生まれ、文久3年(1863)に白石正一郎邸で奇兵隊が結成されると伝三郎も参加したのだが、元治元年(1864)の...