Welcome to my blog

しばやんの日々

坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その3

以前、龍馬を暗殺したのは誰かについて2度にわたりこのブログで書いた。そこでは、この事件の黒幕がいたかどうかについては諸説があるが、暗殺の実行犯については京都見廻組で、龍馬を斬ったのは今井信郎だというのが定説になっていることを書いた。しかし今井の言うことを全く信用しなかった土佐藩の谷干城(たにたてき:第二代学習院院長、初代農商務大臣)もいる。どちらが正しいのだろうか。明治33年(1900)に今井信郎は甲斐新聞...

戊辰戦争で焼き討ちされる危機にあった日光東照宮~~日光東照宮の危機1

以前日光東照宮に旅行したときには全く気が付かなかったのだが、日光東照宮の参道に繋がる神橋(しんきょう)の入口に、刀を差して日光山を見つめる板垣退助の銅像があるという。しかし、なぜ徳川家の聖地である日光に、徳川幕府を倒した側の板垣の像があるのかと気になった。慶応3年(1867)10月14日の大政奉還ののち、12月9日に王政復古の大号令が発せられ、若い明治天皇のもとに公家・雄藩大名・藩士からなる新政府が発足した。新政...

欧化主義者の伊藤博文に楯突いて鹿鳴館外交を終わらせた谷干城

明治政府が採用した欧化政策のなかで、最も極端であったのは鹿鳴館の舞踏会騒ぎであった。明治十六年八月に伊藤博文がヨーロッパ諸国の諸制度を調べる外遊から帰国すると、十八年に太政官制度を廃止して内閣制度を創設したのを手始めに、制度万般のヨーロッパ化を図ろうとし、また、自ら内閣総理大臣となり、当時最大の外交問題であった条約改正を解決しようと、井上馨を外務大臣に据えた。この二人がこの問題解決の為に考えたこと...