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しばやんの日々

日光の社寺が廃仏毀釈の破壊を免れた背景を考える~~日光東照宮の危機2

以前このブログで、滋賀県大津市坂本の日吉大社の廃仏毀釈が、慶応4年(1868)3月に神仏分離令が出て最初に行なわれたものであり、この時に仏像や仏画や経巻・法器などを徹底的に破壊したリーダーは神祇官権判事の樹下茂国であったことを書いた。それまでの日吉大社は「日吉山王権現」と呼ばれ、いずれの社殿も南光坊天海が開いた「山王一実神道」で祀られていた。社殿には仏像や僧形の木像を神体にし、多くの経巻などが備えられてい...

紅葉し始めた日光の輪王寺と東照宮を歩く~~日光観光その2

前々回の記事で、輪王寺が明治政府の神仏分離令で大揺れに揺れ、徳川幕府という大スポンサーを失った日光の百十ヵ寺の僧侶は無給で暮らすことを余儀なくされ、80余名の僧侶たちは、満願寺(現在の輪王寺)の本坊で合宿して暮らしたことを記したが、明治4年(1871)5月にはその満願寺の本坊が全焼してしまった。その本坊の跡地が今は輪王寺の宝物館となっているようだ。最初に逍遥園に入ったのだが、この庭は本坊庭園の遺構で、江戸時代...

日光二荒山神社から国宝・大猷院へ~~日光観光その3

日光東照宮の拝観を終えて、上新道を歩いて二荒山神社の楼門に向かう。楼門をくぐり、鳥居を過ぎると右側に社務所があるが、前回記したとおり、かつてはこのあたりに三仏堂があり、明治初期の神仏分離により輪王寺の境内に移築されてしまったのである。前回の記事で、江戸時代の日光を描いた『木曽路名所図会 巻之六』の挿絵を紹介したが、拡大してもう一度見てみよう。画像の右にある「仁王門」は現在の東照宮の表門*で、「大塔...