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しばやんの日々

盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか

以前このブログで、昭和12年(1937)7月7日深夜に起こった「盧溝橋事件」のことを書いたことがある。 教科書などの多くは、一方的にわが国が中国に侵略したかのような書き方になっているのだが、日中戦争が泥沼化していった契機となった「盧溝橋事件」を仕掛けたのは、中国共産党であったことが今では明らかとなっている。中国共産党の周恩来(1898-1976)が、昭和24年(1949)10月1日(中華人民共和国成立した日)に「あの時(盧溝橋事件...

当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか~~中国排日5

前回まで4回に分けて、GHQに焚書処分された長野朗氏の2つの著書の文章を当時の新聞記事とあわせて紹介したが、戦前の日本人の文章や新聞記事は信用できないという人も少なくないだろう。そこで、今回はアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ氏が1938年(昭和13年)11月に著した、”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』:芙蓉書房出版)という書物を紹介することにしたい。この本の...

蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか~~中国排日6

前回の記事で、1938年にアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが著した”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)という本の中から、中国が「排日」に至った背景から「通州事件」に至る部分を紹介した。この「通州事件」は誰が考えても重大事件であり、このように日本人が大量に虐殺されるような事件がなければわが国が戦争に巻き込まれることはなかったと私は考える。この事件に...

「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか

前回の記事でルーズベルト米大統領が、蒋介石の中国を連合国陣営に戦略的に残したことを書いた。以前にも蒋介石に関する記事は「中国排日」シリーズで何度か書いたが、この男がどういう人物であったかを知るうえで欠かせない事件の顛末を書き記しておきたい。1938年(昭和13年)6月に黄河の堤防が決壊し、津波のように流れ出した大量の水が周囲の都市や田畑を襲い多くの人々が死亡する大災害が起こったのだが、この災害は自然災害で...

明治期の日本にとって朝鮮半島はいかなる存在であったか

前回の記事で、陸奥宗光外相らの努力により日清戦争の始まる直前に、英国との間に治外法権を撤廃する条約改正が成就したことを書いた。キンバレー英外相は「この条約は、日本にとっては、清国の大兵を敗走させたよりも、はるかに大きい意義がある」と述べたのだそうだが、この言葉の意味を理解するためには当時の朝鮮半島のことを知る必要がある。以前このブログで「征韓論争」のことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.co...

なぜわが国が中国との戦争に巻き込まれたのか…興亜院政務部の極秘資料を読む

高校で日中戦争を学んだ時に、わが国がなぜ戦争に巻き込まれのかが理解できなかったのだが、最近の教科書ではどう書かれているのかと思って『もう一度読む 山川の日本史』を読み直してみる。そこにはこう記されている。「日本はしだいに中国北部にも勢力を伸ばし、この地方の軍閥に力を貸して、国民政府の影響から切り離そうとした。そのころ中国では、国民政府と共産党の内戦が続いていたが、1936(昭和11)年に張学良が蒋介石を監...

わが国はいかにして第二次世界大戦に巻き込まれたのか

戦後の混乱期に読売新聞記者としてGHQ等を担当し、その後日本テレビ設立に関わり正力松太郎の懐刀と呼ばれた柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』を読んでいくと、松前重義氏(後の東海大学総長)が三田村武夫代議士を連れて読売新聞社の馬場恒吾社長を訪ねる場面がある。三田村代議士はこのブログで何度か紹介した『大東亜戦争とスターリンの謀略』を著した人物だが、この二人の話を聞いて柴田氏は身震いするほど興奮したという。し...