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しばやんの日々

三国干渉に直面したわが国の外交交渉はいかなるものであったのか

世界の予想を裏切ってわが国は清に圧勝し、講和談判が下関で行われて、明治28年(1895)4月17日に講和条約(下関条約)が調印された。この条約によって清国はわが国に①朝鮮の独立②遼東半島・台湾・澎湖島の割譲③賠償金2億両(テール:当時の日本円で3億1000万円)の支払いなどを認め、わが国は戦勝の喜びに沸いたのだが、清国ではその逆で囂々たる反対で沸き返ったという。中村粲(あきら)氏は清国の動きを著書でこう述べている。「例えば...

満州事変の当時、満州のわが国の権益を狙っていた国はどこだったのか

「満州」という言葉は、もともとは地名ではなく民族名として用いられていて、19世紀に入ってわが国ではこの言葉が中国東北部を指すようになり、その地域に居住する民族を「満州族」と呼ぶようになったという。この地域は満州族の故地であって、その満州族が中国を制圧して1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した。その国家が清(しん)である。清に征服される前の明(みん:1368~1644年)の時代の万里の長城の地図を見るとわか...