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しばやんの日々

「文永の役」で蒙古軍を退却させたのは「神風」だったのか~~元寇その1

学生時代に学んだ歴史では二度にわたる蒙古襲来を終息させたのはいずれも「暴風雨」だったと記憶しているが、こんな国難の時に二度にわたり自然の力に救われたことは、人知を超えた偉大な力によって奇跡的に国が守られたようなイメージを多くの人が持つことだと思う。「神国思想」は二度の蒙古襲来時に二度とも「神風」が吹いたと言う話があってはじめて成立するような考え方だと思えるのだが、最近の研究では第一回目の文永の役で...

熾烈を極めた「文永の役」の戦闘でよく闘った鎌倉武士たち~~元寇その2

前回は、蒙古軍が最初に日本を攻めてきた「文永の役」については、元や高麗の史料を見る限りでは「神風」が吹いて蒙古撤退させたとは考えにくく、最近の教科書では「神風」が出てこないことを紹介した。また当時の日本側の史料には「神風」が吹いて蒙古軍を撤退させたとする記録があるのは、幕府にとっても、また幕府の要請を受けて「蒙古退散」祈祷してきた寺社にとっても、「神風」があったことにした方が都合が良かったからでは...

「弘安の役」で5月に出港した蒙古連合軍が台風に襲われたのは何故か~~元寇その3

前回までは「文永の役」について書いたが、結論として「文永の役」については鎌倉武士はよく元・高麗連合軍と戦い、「神風が吹いて敵軍を追い返した」という説は元・高麗・日本の史料を読む限りは考えにくいということだ。では二回目の元寇である「弘安の役」についてはどうなのか。この戦いについては、『元史』も『高麗史』も「暴風」があったことを明確に書いているのだが、なぜ敵軍は台風の多い時期に日本に来たのかずっと疑問...

「高麗史」を読めば朝鮮半島の倭寇をエスカレートさせた原因がよくわかる~~倭寇2

『高麗史』を読んでいると、14世紀の半ばから倭寇の話が驚くほど頻繁に記述されている。Wikipediaによると高麗末期に500回前後の記述があるとのことだが、その内高麗人が加わっていたことが明記されているのは3件だけなのだそうだ。そのことから、前期の倭寇の主体は日本人だったと考えられている。前回の記事で書いた通り、中国の正史である『明史』には明が興こった (1368年) 頃に、「地方の有力者で明に服さぬ者たちが日本に亡...