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しばやんの日々

日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その3

前回は、大航海時代以降に西洋諸国が世界各地を侵略し地球規模で奴隷貿易を開始したのは、ローマ教皇の教書に則った活動であることを書いた。インカ帝国が滅亡した事例で、キリスト教の神父が重要な役割を演じていることを紹介したが、わが国の場合はキリスト教の宣教師に日本を侵略する意思や、日本人を奴隷化する意思はあったのだろうか。表題のテーマからすれば、日本も例外ではなかったことを、当時の記録から論証する必要があ...

GHQが日本人に封印した歴史を読む~~イギリスとインド・中国

前回の記事で、GHQ焚書である菊池寛の『大衆明治史』に書かれている文章を紹介した。 今回は、GHQが終戦直後から実施した検閲に引っかかって、抹消された文章を紹介しよう。アメリカのメリーランド大学にあるマッケルディン図書館に、プランゲ文庫といってGHQの検閲官が検閲したゲラ原稿の資料が持ち帰られて保存され、マイクロフィルム化されて誰でも自由に閲覧ができるようになっているそうだ。このプランゲ文庫を5年間にわたり...

ハワイ国王を援けられなかった明治の日本~~GHQが封印した歴史4

ハワイの先住民族はポリネシア系に属し日本と同じモンゴロイドで、宗教も多神教であったそうだ。人々が島々で平和な暮らしをしていたのだが、1778年にイギリス人の探検家ジェームス・クックに発見され、それから欧米人との接触により急速に変貌していった。それまでハワイ先住民は小さな部族に分かれていたが、ハワイ島のカメハメハがイギリスから武器や軍事顧問などの援助を受けて、マウイ島、オアフ島などの周辺の島々を征服して...

アメリカ人が王朝を転覆させたハワイ王国の悲劇と日本~~GHQが封印した歴史5

前回は、アメリカ人の武力による圧力で署名させられた憲法により、国政に対する権限のほとんどを奪われたカラカウア王が、失意と孤独の内に1891年1月に病死し、その志を継いだ妹のリリウオカラニ女王が即位したところまでのことを書いた。 今回は、その後ハワイがいかなる方法でアメリカに奪われたかを記すことにする。リリウオカラニ女王は、アメリカ人を中心とする共和制派との対決姿勢を強め、純粋なハワイ人の王朝を回復する...

尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる

前回の記事で近衛文麿が、軍部内の革新論に立つメンバーが、わが国を共産革命に引きずり込もうとする官僚などに踊らされて、満州事変、支那事変を起こし、事変を拡大させて大東亜戦争に導いたのは計画的なものであったことは明らかであると述べていることを紹介したが、一人だけだとあまり信用していただけないと思うので、今回は軍部を動かしていた側の文書を紹介してみたい。 共産主義者に軍部を動かす動機があったことを知るた...

占領軍の検閲は原爆を批判した新聞社の処分から始まった

昭和20年(1945)8月6日、米国は人類史上初の原子爆弾を広島に投下し、20万人以上の罪のない市民が虐殺された。8月8日にソ連は日ソ中立条約を一方的に破って対日宣戦を布告し、満州・北朝鮮・南樺太・千島列島の侵略を開始した。 翌8月9日には米国は長崎に2発目の原爆を投下し、ここでも7万人以上の命が奪われ、この日に御前会議が開かれて、昭和天皇の聖断によって戦争終結が決まり、8月14日にわが国はポツダム宣言を受諾し、翌8月1...

陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か

前回の記事で、中国軍には前線の後方にいて自軍の兵士を監視し、命令無しに勝手に戦場から逃げたり降伏するような行動があれば自軍兵士に攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った「督戦隊(とくせんたい)」というものがあり、味方である督戦隊に殺された中国兵士が日中戦争ではかなりいたことを書いた。 「軍隊」と言っても、中国の兵士は無理やり集められていたことから、戦意の乏しい者が少なくなかった。しかしながら...

GHQ情報部長が、日米は戦うべきではなかったと述べた理由

以前このブログで、三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』という書物が英訳されて、当時GHQ(連合国総司令部)の情報部長であったウィロビーの眼に止まったことが、米国で「ゾルゲ捜査」を始めるきっかけとなったことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html マッカーサーはこのウィロビー将軍のことを、「在任中に出会った最も優れた知性派の将校であり、陸軍広しといえども将軍に続く人物を...

終戦後大量の日本兵がソ連の捕虜とされ、帰還が遅れた背景を考える

昭和20年(1945)8月14日の御前会議でポツダム宣言の受諾が決定され、わが国政府はこれを連合国に通知し、翌15日の正午に昭和天皇自らの肉声による『終戦の詔書』が全国に放送された。わが国が敗戦した当時、国外にいた軍人・軍属がおよび民間人はそれぞれ約330万人で、合わせて660万人と見られているのだそうだが、帰還事業は米国から約200隻の船舶の貸与を受けるなど米国の援助を得て急速に進み、敗戦の翌年までに約500万人が海外...

アメリカまでのびていたゾルゲ諜報組織の「赤い糸」

前回、前々回の記事で紹介した『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』に1964年9月5日付の『ニューヨークタイムズ』紙のこのような記事が紹介されている。「モスクワ発9月8日―――ソ連は第二次世界大戦中、東京にあるドイツ大使館情報宣伝課に勤めていたリヒアルト・ゾルゲが、ソ連スパイ団を巧妙に指揮していたことを認めた。共産党機関紙『プラウダ』が、ゾルゲが提供した情報の結果、ソ連軍は1941年秋におけるドイツ軍のモスク...

GHQの中にもソ連の工作があったのではないか

ウィロビーの回顧録を読み進むと、わが国の「公職追放」に関するニューズウィーク紙(1947年1月27日付)の「日本の公職追放の裏側――米国軍人の対立」という論文の一部が引用されている。そこにはこう書かれている。「公職追放を財界へも及ぼしたため、日本の財界人は5千人から2万5千人がその職を追われ、その上三親等までその職に就けないから、犠牲者は約25万名にのぼる。これによって日本の全経済機構の知能が取り除かれてしまった...

アメリカがGHQの中の左翼主義者の一掃をはかった事情

ウィロビーの回顧録を読み進んでいくと、1947年4月23日付でウィロビーが纏めさせたマッカーサー最高司令官に宛てた『総司令部への左翼主義者の浸透状況』というマル秘レポートが掲載されている。一部を紹介させていただく。まず、どの程度ソ連に近い人物がGHQにいたのだろうか。このレポートにはこう書かれている。 「総司令部の各部局に在職している外国分子を統計的に分析してみると、ソ連またはソ連衛星国の背景をもった職員の...

『ポツダム宣言』を受諾したわが国は、連合国に「無条件降伏」したのか

1945年8月14日、日本国は『ポツダム宣言』の受諾を決定し、9月2日に降伏文書に調印した。 学生時代には「太平洋戦争はわが国が連合国に無条件で降伏した」と学んだ記憶があるし、テレビの解説などで「無条件降伏」という言葉を何度も聞いたと思うのだが、最近のわが国の高校教科書ではそう書かれていないことに気がついた。例えば『もういちど読む山川日本史』では、 「8月14日、ポツダム宣言受諾を連合国に通告し、翌8月15日、天...

『近衛上奏文』という重要文書がなぜ戦後の歴史叙述の中で無視されてきたのか

前回の記事で柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』という本を紹介した。この本には、第一次近衛内閣の時にわが国が日中戦争に巻き込まれ、さらに本格的な臨戦態勢が打ち出されて全体主義的統一国家へと変貌していったのだが、それを推進したのは近衛が集めたブレーン・グループで、その一部は尾崎秀実のようにソ連・コミンテルンに繋がっていて、彼らはわが国を敗戦に導くことによって一挙に共産主義革命を実現する考えであったとい...

スターリンの罠にかかって第二次大戦に突入したことをわが国から教えられた米国の反応

柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』の話題を続けよう。柴田氏によると、終戦直後から日本共産党は「戦争反対を終始一貫主張し続けてきたのは我が党だけである」と宣伝していたのだそうだが、その主張が嘘であり、むしろ共産主義者たちがわが国を戦争に巻き込んだことを裏付ける論文などが当時は存在していて、三田村武夫氏が主張する「コミンテルンの世界革命計画に従って、わが国を戦争に巻き込み敗戦に導くことによって、一挙に...

日本共産党が在日朝鮮人と連携し武装闘争に走った時代を忘れるな

前回の記事で、昭和20年10月に再刊されたばかりの日本共産党の機関紙『赤旗』第一号の『人民に与う』という論文で、米占領軍を「解放軍」と賛美していたことを書いた。そして翌年2月の第5回日本共産党大会では、この「解放軍」規定が敷衍化された「占領下平和革命論」が当面の党の綱領的方針として採択されている。その当時のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)にはソ連に繋がるスタッフが数多くいて、わが国を共産国化させるプログ...