若草山の山焼き
奈良には何度か行ったが、今まで若草山の山焼きを見たことがなかった。遷都1300年の今年こそは見てみたいと思い、天気も良いので家内と二人で久しぶりに奈良に行ってきた。ちょっと奈良を歩こうと思って近鉄奈良駅に2時頃と早目に着いて、ひがしむき商店街、もちいどの商店街を抜けて、奈良町界隈を歩き、世界遺産の元興寺から春日大社に向かう。春日大社の本殿を参拝後、4時ごろに水谷橋付近の「茶亭ゆうすい」というところで早...
節分の不思議
子供の頃に家族と京都にある吉田神社の節分に行ったことがある。私の実家はお寺なのだが、節分の日は行事らしきものがなかったので、それ以来長い間、節分は神社の行事だと思っていた。 高校の時に、壬生寺などお寺で節分の行事を行うところがあることを知った。京都では壬生寺の他にも、六波羅蜜寺、廬山寺などのお寺で節分の行事がとりおこなわれている。一方、神社では、吉田神社、上賀茂神社、下鴨神社、伏見稲荷大社などでも...
東大寺二月堂のお水取り
例年3月1日から14日まで行われる東大寺の二月堂の「お水取り」だが、一回り大きい松明が欄干に並ぶ12日の「お松明」や最終日は毎年凄い人らしい。今年は平城遷都1300年に当たり、バスツアーでの観光客も多く例年以上の人出が予想されている。「お水取り」は修二会(しゅにえ)と呼ばれ、天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁(ろうべん)僧上の高弟、実忠和尚によってはじめられた春を迎える法会で、本尊の十一面観音の前で、11人の...
醤油の歴史と本物の醤油の見分け方
醤油のルーツは古代中国から伝わったと言われているが、 いつの時代に伝わったかは良く分からない。 大宝律令には宮内庁の大膳職に属する「醤院(ひしおつかさ)」で大豆を原料とする「醤(ひしお)」が作られていたと書かれているそうだ。当時の「醤」は今の醤油と味噌の中間のようなものだったそうだ。 今の醤油はいつごろ生まれたかと言うと諸説があるようだが、湯浅で聞いた話では、鎌倉時代の中頃に紀州の禅寺「興国寺」の開祖「...
「お彼岸」で先祖を祀るのは仏教以前の風習か
もうすぐ春分の日だが、この日を挟んで前後三日ずつの一週間を「春のお彼岸」といい、今年の春の「彼岸の入り」は3月18日で、「彼岸の明け」は3月24日だ。 同様に秋分の日を挟んだ一週間を「秋のお彼岸」と言い、今年の秋の「彼岸の入り」は9月20日で「彼岸の明け」は9月26日となる。 「彼岸」とは向こう岸を意味する言葉だが、仏教では煩悩を脱した悟りの境地に達した事を言い、煩悩や迷いに満ちた現世の事を、こちら...
「おはぎ」と「ぼたもち」の違い
最近いろんなお店で、「おはぎ」が沢山店頭に並べられている。今日は「お彼岸の中日」で、彼岸の時期に「おはぎ」を食べるのは日本古来の伝統である。私の京都の実家はお寺で、春や秋の「お彼岸」の法要には毎年沢山の檀家の方々が集まり、昔は集まった皆さんのお昼の食事を、婦人会の方々が手分けして作って振る舞われておられたことを良く覚えている。そしてこの時期に必ず用意されるのが粒あんで丸く作られた「おはぎ」なのだが...
端午の節句と「鯉のぼり」
もうすぐ端午の節句(5月5日)だ。子供の頃、4月の下旬にもなると、自宅近隣のあちこちの家で「鯉のぼり」が屋根の上を泳いでいた。私の実家のお寺も、この時期は祖父や父が、何年も使ってきたであろう太くて長い竹を取り出して、毎年兄と私のために大きな「鯉のぼり」を毎日立ててくれたことを思い出す。 子供のためとはいえ、大きな鯉のぼりを毎朝立てて毎夕片づけることは簡単なことではなかったはずである。雨が降りだせばあわ...
端午の節句は「ちまき」か「柏餅」か
端午の節句が近づくと、どこのスーパーに行っても「ちまき」と「柏餅」が店頭に並べられる。 子供の頃端午の節句の日に友達の家に遊びに行って「ちまき」をごちそうになって帰ることがあった。京都にある実家は忙しくて「ちまき」を作ることは一度もなかったが、当時は近所で「ちまき」を作る家が結構あって、お裾分けしていただくことがよくあった。しかし、小さい頃に京都で私が端午の節句で食べたのは「ちまき」が大半で、「柏...
葵祭りの由来について
5月15日は京都の三大祭りのひとつである「葵祭」(賀茂祭)のとりおこなわれる日だ。上の写真はこのブログで以前何度か紹介した江戸時代の安永9年(1780)に刊行された「都名所図会」にある、「葵祭」の絵である。 「都名所図会」は、国際日本文化センターのサイトにアクセスすれば、誰でも全文と翻刻文を読む事が出来る。http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/c-pg1.html 絵の上の方に草書で「加茂のあふいまつりは四月中の酉...
鳥居は神社のものなのか
鳥居は神社の入り口にあるもので、お寺に鳥居などはあるはずがないものだと子供の頃から思ってきたのだが、その考え方が正しくないことが分かってきたのはつい昨年のことだ。 たとえば、聖徳太子の創建である大阪の四天王寺に行くとこのように西の入口に石の鳥居が建っている。この鳥居は永仁2年(1294)に再建された、日本最古の石造りの大鳥居とされ、国の重要文化財に指定されている。扁額には「釈迦如来 転法輪所 当極楽土 ...
お寺に「神棚」がある不思議
私の実家はお寺であるが、「神棚」があって毎日母親が御供えをしていた。私の友人の家にも、古い家で「神棚」がある家が少なくなかった。 子供の頃、実家がお寺なのになぜ「神棚」があるのか疑問に思ったことがあったが、神仏習合と関係があると勝手に考えて、あまり詳しくは聞かずに過ごしてしまった。そもそも「神棚」とは何なのか。いつ頃から普及したのかといろいろネットで調べると、明治時代以降とする説と江戸時代初期とす...
七夕の由来
いよいよ明日は七夕の日だ。子供の頃に五色の短冊に願い事を一生懸命書いたが、折角作った短冊が何度か雨で濡れてしまい、楽しみにしていた星空を見ることができなかった記憶が何度かある。よくよく考えると、七夕の日に梅雨が明けていることは考えにくく、この日に雨がよく降って星空の見える日が少ないのは当然のことである。しかし仙台では8月6~8日に七夕祭りがある。仙台に限らず北海道や関東では1カ月遅れで七夕を祝う地域が...
祇園祭の「祇園」とは
もうすぐ京都の祇園祭(ぎおんまつり)だ。 今日10日から鉾町で鉾が組み立てられ(鉾建て)、ついで12日からは山が組み立てられる。そして山鉾巡行はいよいよ17日で、今年は土曜日だからすごい人出だろう。 京都には有名なお祭りがいくつかあるが、私は子供の頃から祇園祭が大好きだった。今でもあの祇園囃子の音色を聴くだけで気分が高揚してくる。しかしながら子供の頃に、ふと疑問に思ったことがあった。祇園祭の「祇園」という地名...
二つの祇園祭の関係
前回は祇園祭の「祇園」の事を書いた。今度は「祇園祭」のことを書こう。この祭りは大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つとされているのだが、八坂神社の祭礼でありながら山鉾巡行が八坂神社の前を通らないことを誰しも不思議に思う。上の図は、7月17日の山鉾巡行のコースだが、それぞれの山鉾は四条通に入って東進したのち、四条河原町で河原町通りを北上し、河原町御池で西進したのち元の場所に帰っていく。...
祇園祭山鉾巡行と神幸祭を見に行く
学生時代に家庭教師をしていた生徒の親御さんから祇園祭山鉾巡行の特設席の切符を頂いたことがある。私が教えていた生徒の家は、祇園祭の頃は近くに山鉾が立ち並ぶ場所にあった。 特設席は御池通りの北側の京都市役所の近くで、その時に総ての山と鉾の巡行を鑑賞できたので、祇園祭のすべてを観終わったつもりになっていて、それから随分長い間山鉾巡行を観て来なかった。5年前にたまたま17日が週末だったので家内と四条通と御池通...
土用の丑の日に鰻を食べるのは
「土用の丑の日」と言えば誰でも「鰻」を連想する。しかし、「土用丑の日」とはどういう意味なのかよくわからなかったので、ネットで調べてみることにした。その結果、「土用」というのは、立春、立夏、立秋、立冬の終わりの18日間のことを言い、年に土用が4回ある理屈だが、一般的には立秋前の18日間の土用のことを指すということがわかった。今年の場合、土用の入りは7月20日で土用の明けは8月6日だ。では、「丑の日」とは何か...
天神祭と大阪天満宮とあまり知られていないお寺のこと
7月25日は日本三大祭りの一つである大阪天神祭の日で、随分久しぶりにこの祭りを見てきた。若かりし頃大阪市中央区の北浜で勤務していた時に、先輩から「祭りを見に行こう」と誘われて、船渡御を少し見てからすぐ飲み屋に向かった記憶がある。そんなことがもう一回くらいあったが、二回ともすごい人だかりで、遠くでいくつかの船が大川を進んでいくのがわずかに見えただけだった。その時は、仕事が終わってから天神祭を見に行った...
大文字山の送り火のこと
いよいよ8月16日は大文字山(如意が岳)の送り火のある日だ。もっとも他にも「妙法」「舟形」「左大文字」「鳥居」も次々と点火されるのだが、五山の送り火で最初に点火される「大文字」のスケールが最も大きく、圧倒的に存在感がある。 大文字山は実家から近かったので愛着があり、子供の時に何度登ったかわからない。また送り火もいろんな場所で見てきたが、一番思い出に残っているのは小学校と中学校の時に大文字山の上に登って、...
大晦日の「年越の祓」と「除夜の鐘」
大晦日の夜にはお寺で「除夜の鐘」が撞かれる。また年が明けると、多くの日本人が神社に初詣をする。 千年以上続いている日本の伝統なのだが、いつ頃からこのように年末年始を過ごすようになったのか興味を覚えたので調べてみた。私にとって神社は年が明けてから初詣に行くところと思っていたのだが、大晦日の日に多くの神社で「年越の祓(としこしのはらえ)」という重要な神事が執り行われていることを最近になって知った。 明治時...
戦国時代の祇園祭を見た宣教師の記録を読む
以前何度かこのブログで紹介したが、戦国時代の日本にイエズス会の宣教師として来日したルイス・フロイスが当時のわが国の記録を詳細に残しており、中公文庫の『フロイス日本史』でその日本語訳を読むことができる。フロイスのこの著書の第1分冊に、今年ももうすぐ山鉾巡行が行われる京都『祇園祭』の記録を見つけたので紹介したい。イエズス会が我が国に派遣したポルトガル人宣教師ガスパル・ヴィレラについての1562年の記録の一...
日本三大山車祭の一つ、長浜曳山祭の歴史と子ども歌舞伎
竹生島から長浜港に戻って、ホテルにチェックインしたのち長浜市の中心部に向かう。この日(4月13日)の夕方は十三日番といって、長浜曳山祭の各山組に曳きだされた豪華絢爛な曳山の舞台で、化粧をした子ども役者が可憐に歌舞伎(曳山狂言)を演じる最初の日なのだ。この祭りは毎年4月9日~16日に長浜八幡宮の春季大祭にあわせて執行され、13日~16日は「曳山」が登場して子ども歌舞伎が演じられるのである。この祭りは京都の祇園祭、...