隠れ切支丹の里
171号線の中河原交差点から忍頂寺福井線に入り、履正社茨木グラウンドから山道に入る。サニータウンを抜け大岩郵便局を過ぎると暫く樹木のトンネルのようなところを走る。そこを過ぎると、棚田が広がるのどかな田園風景になり、しばらく行くと「キリシタン遺物資料館」の案内標識がある。案内通り左折するとその資料館(茨木市大字千提寺262)がある。思ったよりも小さい資料館だった。 キリスト教がフランシスコザビエルによって天...
円山応挙ゆかりの金剛寺と近隣の古刹巡り
GW中はどこへ行っても渋滞するので、高速道路は使わず近場で行けるところがないかいろいろ探したところ、京都府亀岡市に円山応挙ゆかりの寺があると知り、急に行きたくなって車でその近くの古刹と一緒に巡ってきた。 私は円山応挙の絵が大好きで、昨年の秋には和歌山県串本の無量寺、冬には兵庫県香住の大乗寺に行って円山応挙とその弟子の描いた襖絵などを鑑賞してきたことをこのブログにも書いた。 私のプロフィールで使ってい...
素晴らしい紅葉の古刹を訪ねて~~隠れた紅葉の名所・大門寺
毎年紅葉の見頃の時期を迎えると、あまり観光客の多い有名な場所はなるべく避けて、静かに紅葉を楽しめる場所を探すことが多いのだが、21日に訪れた茨木市の大門寺の紅葉は素晴らしかった。今年もいくつかの紅葉を楽しんできたのだが、なかでも大門寺の紅葉が一番気にいった。大門寺は今年の新緑の頃にいくつかの古刹とともに訪れて、以前このブログに書いたことがある。小さなお寺ではあるが、参道も境内の紅葉は本当に美しく、別...
1300年以上の古い歴史を持つ神峰山寺と本山寺を訪ねて
昨年の秋に「素晴らしい紅葉の古刹を訪ねて」という記事を書いて、大阪の茨木市の山奥にある大門寺という寺を紹介した。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-111.htmlこの大門寺を開いたのは桓武天皇の異母兄である開成皇子(かいじょうおうじ724-781)だが、開成皇子は天皇家の直系男子でありながら、正史である「続日本紀」には全く現れず、「元亨釈書」(日本最初の仏教通史:元享2年[1322]成立)、「本朝高僧伝」(元禄...
能勢町の古刹と天然記念物「野間の大ケヤキ」を訪ねて
ゴールデンウィークの道路渋滞を避けて、一般道を通って大阪の北端にある能勢町に行って来た。能勢町はとてものどかな雰囲気で、美しい山並みと田園風景に結構癒される場所である。 大阪の都心や住宅地で滅多に見られなくなった「鯉のぼり」も、この時期にここまで来るといくつも泳いでいる。昔懐かしい茅葺の家も点在している。茅葺屋根の民家の庭に「鯉のぼり」が泳いでいるのを見ると、数十年前にタイムトリップしたような気分...
大阪のてっぺん 浄瑠璃の里~~地域の文化を継承するということ
ドライブや旅行で地方に行くと、素晴らしい文化と繁栄の歴史を持ちながら、時代の流れと共に若い人が地元を離れて衰退し、その地方固有の伝統や文化も後継者を失っているのを見て悲しくなることがある。いくら文化的に価値の高いものであったとしても、その文化を支えてきた仕組みがその地方に残らなければ、いずれ消滅してしまうことを避けることは難しいのだろう。 昔はどんな地方にも地元で働ける仕事が少なからずあり、若い世...
桜の咲く古民家の風景を求めて
最近大きなテーマばかりを書いてきたので、たまには息抜きで今年の桜を話題にすることにしたい。 有名なお花見スポットはどこへ行っても、いつ行っても観光客が多すぎて、なかなかいい写真が撮れない。できれば屋台の店舗がなくて、観光客が比較的少なくて、昔と変わらないような風景の中で静かに桜を楽しみたいと思う。そんな場所を伝えたいと思って昨年は龍野城を紹介したが、今年は大阪府豊中市の服部緑地公園の一角にある「日...
「櫻井の別れ」は、どこまでが真実か~~水無瀬から大山崎歴史散歩1
ゴールデンウィークに、阪急沿線の水無瀬駅から大山崎駅近辺の名所を中心に歩いてきた。わずか一駅を歩くだけなのだが、水無瀬駅は大阪府で大山崎は京都府になる。この2つの駅の間に京都府と大阪府の境界線があり、古くは摂津国と山城国の国境があった。この摂津国と山城国の2つの国を結ぶ道はいくつかあったが、唯一山越えをしない「西国街道」が通っているこの地域は、古くから交通の要衝として栄えた地域である。観光地としては...
後鳥羽上皇が愛した水無瀬の地を歩く~~水無瀬から大山崎歴史散歩2
櫻井の駅跡から西国街道を東に進み、途中で右折して水無瀬(みなせ)神宮に立ち寄る。水無瀬川と桂川が合流するあたりを「水無瀬」と呼ぶが、この地域は古くから山水の景勝に富む狩猟地として、多くの都人が来遊し、別荘を構えた場所である。そして水無瀬神宮の境内にはかつて後鳥羽上皇が造営した「水無瀬離宮」があったと伝えられている。『増鏡』は後鳥羽天皇の即位以降15代の150年の事績が記述されている歴史物語だが、その第1巻...
天誅組河内勢に関わる史跡と富田林市寺内町の美しい町並みを訪ねて
大阪府の富田林市とその周辺は先史時代より人々の暮らしが営まれていた地域で、大和川支流である石川を望む丘陵上には氏族の首長たちの古墳が数多く残されており、古い歴史を持つ神社や寺があるほか、近世の寺内町など数多くの文化財が残されている。特にこの地域には南朝や、天誅組に関わる寺社などが多いことに興味を覚えて、先日富田林市、河内長野市、千早赤阪村を巡ってきた。最初に訪れたのは、美具久留御魂神社(みぐくるみ...
後醍醐天皇を支えた武将・楠木正成にまつわる南河内の史跡を訪ねて
富田林寺内町の散策を終えて、滝谷不動(富田林市大字彼方1762 ☎0721-34-0028)に向かう。滝谷不動は通称で『滝谷不動明王寺』というのが正式な寺の名称なのだが、寺伝によると弘仁12年(821)に弘法大師が創建したと伝えられ、造営当初は今よりも約1km離れた嶽山(だけやま)の中腹にあり、広壮優美な堂塔・伽藍が整えられていたという。南北朝時代に楠木正成が嶽山城を築城した際は、滝谷不動明王寺本尊の不動明王をその城の守護仏と...
岸和田城周辺散策とだんじり祭り
久しぶりに岸和田に行ってきた。上の画像は大阪府史跡の岸和田城跡(岸和田市岸城(きしき)町9-1)。岸和田城は、秀吉の紀州攻めの拠点とするために急ごしらえで築城されたが、その後城主となった小出秀政が慶長二年(1597年)に五層の天守閣を建てている。しかしながら文政十年(1827年)に落雷のため焼失してしまい、以降再建されないまま、明治四年(1871年)に廃城とされ、まもなく破却されてしまった。現在の建物は昭和二十九年(1954...