「満州某重大事件」の真相を追う~~その1
昭和3年(1928)6月4日、中華民国陸海軍大元帥の張作霖を乗せた特別仕様の列車が、瀋陽駅に到着する寸前で爆破され、張作霖は瀕死の重傷を負い2時間後に死亡した。学生時代にこの「満州某重大事件」を学んだ時は、日本軍(関東軍)が張作霖を爆殺したと教えられ教科書にもそのように書かれていたが、関東軍が関与したとは考えられないとの説がかなり昔からあり、何度か目にしたことがある。 最近になって、ロシア人のドミトリー・プロ...
「満州某重大事件」の真相を追う~~その2
前回の記事で、わが国では関東軍が実行したとされている「満州某重大事件」について、ソ連の機密文書ではソ連が実行し日本人の仕業に見せかけたものだと書かれており、イギリスの外交文書においても、ソ連に犯罪の責任があると記されていることを紹介した。 関東軍主犯説で必ず使われるのが、張作霖爆殺の瞬間の写真といわれる下の画像である。この写真が我が国の山形中央図書館にあることが、この事件を関東軍が実行したことの動...
昭和初期が驚くほど左傾化していたことと軍部の暴走とは無関係なのか
前回まで2回に分けて、昭和3年(1928)の「満州某重大事件」について書いた。簡単に要約すると、この事件に関しては関東軍がやったということが定説となっているが、この説には確たる証拠はなくほとんどすべてが噂や伝聞によるものであり、現場で撮影された写真や現場検証の記録は悉く定説と矛盾している。その一方、公開されたイギリスの外交資料には明確にソ連が実行し日本に疑いが向くように工作したものと結論付けられており、旧...
軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿
前回の記事で、日本軍には左翼分子が少なからずいて、軍部の「暴走」のいくつかはコミンテルンの工作指示に従ったものではないかということを書いた。当時、そのことに気が付いた人の記録が残っていることも書いたが、今回は昭和20年2月に近衛文麿が天皇陛下に対して戦争の早期終結を唱えた『近衛上奏文』を紹介したい。この上奏文の中で近衛はわが国の左翼分子が我が国を第二次世界大戦に突入させたことを明確に書いているのだが...
尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる
前回の記事で近衛文麿が、軍部内の革新論に立つメンバーが、わが国を共産革命に引きずり込もうとする官僚などに踊らされて、満州事変、支那事変を起こし、事変を拡大させて大東亜戦争に導いたのは計画的なものであったことは明らかであると述べていることを紹介したが、一人だけだとあまり信用していただけないと思うので、今回は軍部を動かしていた側の文書を紹介してみたい。 共産主義者に軍部を動かす動機があったことを知るた...
「ドイツと日本を暴走させよ」と命じたスターリンの意図
国会図書館所蔵の興亜院政務部・コミンテルン関係一括資料の中に、入手経路が不明なるが故に怪文書とされているものがある。偽書なのか本物なのかは今となっては判断できないのだろうが、そこに書かれていることは極めて重大なことである。 入手ルートは秘匿されても、国会図書館に所蔵されていることは、当時としては信頼できる筋から入手したものなのだろう。そこに書かれているのは、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会にお...
「二・二六事件」と中国の「西安事件」に垣間見えるコミンテルンの影
前回の記事で、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説を紹介し、当時コミンテルンが立てていた戦略は、日本を支那とアメリカ・イギリス、ドイツをイギリス・フランスと戦わせて、最後に漁夫の利を占めることであったことを書いた。このコミンテルン大会の後でわが国と中国で起こった事件を調べてみると、不可解でかつ重大な出来事が相次いでいることに気が付く。 先に中国側の出来事から見て行こう。まず、...
アメリカのルーズベルト政権に垣間見えるコミンテルンの影
前々回の記事で昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリンの演説で「砕氷船のテーゼ」と呼ばれる部分を紹介した。再掲すると、 「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと...
「ハル・ノート」は、アメリカが日米開戦に持ち込むための挑発だったのか
前回の記事で、わが国に日米開戦を決断させたとされる「ハル・ノート」を書いたのは、後にソ連のスパイであったことが判明した米国財務省次官のハリー・ホワイトであったことを書いた。また当時のルーズベルト政権の内部や周りには、ハリー・ホワイトだけでなく数多くのソ連スパイや工作人、協力者が存在したことが、戦後アメリカが解読に成功したソ連の情報文書(『ヴェノナ文書』)で判明しているのだ。この『ヴェノナ文書』だけで...
日本軍が真珠湾に向かっていることを知りながら手を出させなかったアメリカ側の事情
このブログで日中戦争からハル・ノートまでの流れをいろいろ書いてきたが、アメリカが絡む問題で、一つ書いておきたいことがある。アメリカで1935年に成立した「中立法」という法律があるのだが、この時代を読み解くにあたっては、この法律を理解しておくべきであることを最近になってようやく分かってきた。この法律を調べると、米大統領が、戦争状態にある国が存在していることまたは内乱状態にある国が存在していることを宣言し...
真珠湾攻撃のあとでわが国が対米宣戦布告をしたのは故意か過失か
前回は、ルーズベルトが真珠湾に向かっていることをわかっていながら、なぜハワイにいたキンメル太平洋艦隊司令長官にその情報を知らせなかったかという問題について、ルーズベルトは、中立法の束縛を解いて第二次世界大戦に参戦するために、日本軍に最初の一発を撃たせようと考えていたのではないかということを書いた。この説は、日本軍による真珠湾攻撃が「騙し討ちだ」とする「通説」の内容とは全く異なるのだが、ルーズベルト...
太平洋戦争緒戦の日本軍の強さは米英軍の予想をはるかに超えていた
前回まで2回に分けて日米開戦の経緯について書いた。 真珠湾攻撃のことはあまり書かなかったが、アメリカ側は、戦艦8隻の内5隻が沈没され3隻が損傷により航行不能となったほか、航空機188機が破壊されて、戦死者が2345名など米軍の被害はかなり大きかった。一方日本軍の損害は、航空機29機、戦死者55名と少なく、日本軍の奇襲は大成功に終わっている。アメリカは目論見通りに挑発によって日本軍に真珠湾を奇襲させたのだが、ここま...
「大東亜共栄圏」の思想が広められた背景を考える
昭和前期の「日本史」を学んだ際に、資源の乏しいわが国がアメリカにより経済封鎖されながら、「大東亜共栄圏」とか「東亜諸民族の解放」というスローガンを掲げて、植民地となっていたアジア諸国を解放するために戦おうとしたことにずっと違和感を覚えていた。資源のないわが国には、他国の為に貴重な資源と富を費やして戦うほどの余裕があるはずがないと考えていたからだ。いつの時代でもどこの国でも、戦争を始めるには国民を納...
昭和天皇の『終戦の詔書』の後も戦争が続き、さらに多くの犠牲者が出たこと
昭和20年8月14日にわが国はポツダム宣言を受諾し、翌8月15日に昭和天皇が「終戦の詔書」をラジオを通じて発表され、全日本軍は一斉に戦いを止めて連合国に降伏した。この8月15日が『終戦の日』で、この日に戦争が終わったものと子供の頃から思っていたのだが、樺太や千島や朝鮮半島ではその後もソ連軍と激しい戦いが続き、多くの犠牲者が出たことを知ったのは比較的最近のことである。 日本人の多くがそのことを知らないのは当然の...
ソ連の『北海道・北方領土占領計画書』を読む
前回の記事でソ連によるシベリア抑留のことを書いた。シベリア抑留を体験された斉藤六郎氏が国を相手の補償要求裁判をされて「全国抑留者補償協議会(全抑協)」という会を立ち上げられ、その裏付けのためにモスクワに何度も足を運ばれてモスクワの公文書館に保存されていた極秘文書のコピーを大量に持ち帰られたのだそうだが、その資料の中にはわが国にとっても、かなり貴重なものが含まれているという。 以前は山形県の「シベリア...
盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか
以前このブログで、昭和12年(1937)7月7日深夜に起こった「盧溝橋事件」のことを書いたことがある。 教科書などの多くは、一方的にわが国が中国に侵略したかのような書き方になっているのだが、日中戦争が泥沼化していった契機となった「盧溝橋事件」を仕掛けたのは、中国共産党であったことが今では明らかとなっている。中国共産党の周恩来(1898-1976)が、昭和24年(1949)10月1日(中華人民共和国成立した日)に「あの時(盧溝橋事件...
第一次大戦以降、中国の排日運動を背後から操ったのはどこの国だったのか~~その1
最近出版された西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封7』(徳間書店)を読んでいる。このシリーズは、戦後占領軍によって焚書処分された本の解説をしているものだが、「GHQ焚書図書」については少しだけ説明が必要だ。GHQ(占領軍)が昭和20年9月から占領期間中に、わが国の新聞、雑誌、映画、ラジオの放送内容、あらゆる出版物や一部私信までも「検閲」をしていたことは良く知られているが、それとは別に、当時本屋の書棚や図書館などに並べ...
米英が仕掛けた中国の排日運動はそれからどうなったのか~~中国排日その2
前回の記事で西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封7』に解説されている、長野朗氏の『支那三十年』という本の一部を紹介した。この当時長野氏は北京の中国人の家に下宿しておられて、中国の排日運動をつぶさに見てこられたのだが、この著書の中で、中国の排日運動は、当初アメリカやイギリスが、対中貿易拡大のために日本企業が築き上げた中国市場における商圏を奪い取る目的で、中国人を煽動しはじめたということを、かなり具体的に書い...
中国の排日が我が国を激しく挑発するに至った経緯~~中国排日3
前回まで、長野朗氏の『支那三十年』というGHQ焚書処分された書物の内容の一部を紹介してきた。 長野氏はこの著書で、中国の排日は中国大陸で最大の交易国であった日本の商圏を奪い取る目的で英米が最初に「排日思想」を中国人に植え付けたものであり、事実アメリカは日本を追い落として中国の最大の交易国となり目的を達したことや、その後中国では二十年もの間行われてきた「排日教育」が徐々に中国人に浸透して民族主義と結びつ...
中国全土に及んだ「排日」がいかに広められ、誰が利用したのか~~中国排日4
前回の記事で昭和11年(1936)の8~9月ごろになって、抗日テロが至る所に起こった経緯について書かれた長野朗氏の『民族戦』の文章を紹介した。今回はその続きである。 長野氏の著書によると、この年の11月に起こった『綏遠問題』によって、中国の抗日運動がピークに達したのだという。この『綏遠問題』とは何か。 長野氏の文章と西尾氏の解説を参考にまとめることにする。 「綏遠」というのは内蒙古にある省の名前で、そこに徳王と...
当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか~~中国排日5
前回まで4回に分けて、GHQに焚書処分された長野朗氏の2つの著書の文章を当時の新聞記事とあわせて紹介したが、戦前の日本人の文章や新聞記事は信用できないという人も少なくないだろう。そこで、今回はアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ氏が1938年(昭和13年)11月に著した、”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』:芙蓉書房出版)という書物を紹介することにしたい。この本の...
蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか~~中国排日6
前回の記事で、1938年にアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが著した”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)という本の中から、中国が「排日」に至った背景から「通州事件」に至る部分を紹介した。この「通州事件」は誰が考えても重大事件であり、このように日本人が大量に虐殺されるような事件がなければわが国が戦争に巻き込まれることはなかったと私は考える。この事件に...
プロパガンダでわが国に罪を擦り付け、世界を「反日」に誘導した中国~~中国排日7
前々回から紹介している”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)の著者であるフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズはサンフランシスコの新聞社の記者であった頃に東洋からアメリカのチャイナタウンに向かう暗黒街の麻薬ルートの情報を追及していたことがあり、彼によると蒋介石はかつて阿片の最大の取引をしていた実績がある人物だったという。1937年から翌年にかけて、その蒋介石が「排日」活動でアメリ...
「南京大虐殺」の真実を追う~~中国排日8
前回まで3回にわたり、米人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ”が著した”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)の内容の一部を紹介してきた。この著書は1938年11月にアメリカで刊行され、とりわけ1936年12月に蒋介石が中国共産党に拉致監禁された西安事件から1938年10月の日本軍による広東攻略までの背景や中国の戦争宣伝についてかなり具体的に描かれている。 私がこのブログで紹介し...
カリフォルニア州の排日運動が、日露戦争後に急拡大した背景を考える~~米国排日1
昭和21年の3月から4月にかけて、当時の松平慶民宮内大臣・木下道雄侍従次長らが、戦争に至った遠因・近因、経過および終戦の事情について、昭和天皇から5回にわたって聞き書きをした貴重な記録がある。その冒頭は昭和天皇の次のようなお言葉となっている。「大東亜戦争の遠因この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然存...
日露戦争後のアメリカにおける日本人差別の実態~~米国排日2
アメリカの排日は、日露戦争後にアメリカのマスコミが人種差別を国民に煽って急激に広がっていったことを前回の記事で縷々述べてきたが、日露戦争時にはアメリカはわが国では親日国だと見做されていたはずだ。なぜアメリカが、日露戦争後にわが国に対する方針を変えることになったのだろうか。前回紹介した西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封6』に高木陸郎氏の「米国の支那進出運動とその将来」という論文がある。ここにはこう書かれて...
米人弁護士が書いた日露戦争後のカリフォルニアの排日運動~~米国排日3
前回まで二回にわけて、日露戦争以降のアメリカの排日活動の経緯や実態について書いてきたが、アメリカの知識人はこの時期のカリフォルニアで燃え上がった排日の原因をどう分析しているのだろうか。ちょっと気になったのでネットで探していると、カレイ・マックウィリアムスの『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』という本があることを知り早速取り寄せた。著者は1905年生まれで南カリフォルニア大学で法律を学んだ後、弁...
日露戦争以降、わが国は米国黒人の希望の星であった~~米国排日4
前回は日露戦争以降のアメリカで日本人排斥が急速に広まった経緯について、米人弁護士のカレイ・マックウィリアムスの著書の一部を紹介したが、当時の事を黒人の立場から書かれた書物を紹介することにしたい。レジナルド・カーニー氏が『20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本観1900-1945』という本を書いている。日露戦争でわが国が勝利した時に、黒人社会がわが国に対してどういう印象を持ったかについて述べている部分をしばらく...
パリ講和会議で人種差別撤廃案を提出した日本とその後の黒人暴動など~~米国排日5
1918年11月11日、ドイツは連合国に降伏し第一次世界大戦は終結した。翌年1月に開かれたパリ平和会議において世界の主要国の首脳が集まり、戦後処理および国際連盟を含め新たな国際体制構築について話し合われた。2月13日国際連盟委員会において、わが国の全権の牧野伸顕は連盟規約第21条の「宗教に関する規定」に次の条項を加えることを提案した。いわゆる「人種的差別撤廃提案」だが、Wikipediaの記述等を参考にパリ講和会議にお...
関東大震災のあと日本支援に立ち上がった米国黒人たち~~米国排日6
レジナルド・カーニー氏の『20世紀の日本人』によると、米国黒人たちが自分たちと日本人を同一視する見方が一般的になったのは1920年代らしい。その当時西海岸において行われた調査で『フィラデルフィア・トリビューン』はこのように書いていた。 「黒人たちは、日本人を心から尊敬している。同じ『抑圧された民族』であるにもかかわらず、『自分たちのために、一生懸命努力する』日本人の態度は、見習うべきものである、と」(『20...
日本軍の真珠湾攻撃で快哉を叫んだ米国黒人が少なからずいた~~米国排日7
そして1941年12月8日の真珠湾攻撃で日米の戦いが始まった。 米国の黒人たちは、この日本人との戦いをどう捉えていたのであろうか。今まで何度紹介したレジナルド・カーニー氏の著書『20世紀の日本人』にはこう書かれている。 「…日本が真珠湾に奇襲をかけた時、黒人の意見はいくつかに割れた。母国であるアメリカが攻撃を受けたのだから、ひとまず人種問題は置いといて、とにかく戦わねばならない。いやずっと求め続けてきた黒人の...
なぜ日系人だけが強制収容所に送られたのか~~米国排日8
「カリフォルニア州の排日運動が、日露戦争後に急拡大した背景を考える~~米国排日1」でアメリカの新聞王と呼ばれるウィリアム・.ハーストが1914年(大正3)から排日キャンペーンを開始したことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-260.html ハーストが米国大衆に危機感を煽って新聞が売れることを狙ったのか、権力がマスコミを使って反日に世論を誘導したかどちらかはよくわからないが、ハースト系のメディ...
強制収容所の日系人が米軍を志願した理由は何だったのか~~米国排日9
前回の記事で、日系人強制収容所の写真が沢山掲載されているサイトを紹介した。http://www.theatlantic.com/infocus/2011/08/world-war-ii-internment-of-japanese-americans/100132/ 上記サイトの中に若い男性が順番に並んでいる写真が掲載されている。英文の解説を読むと、この写真は1944年2月22日に撮影されたもので、コロラド州グラナダ強制収容所(通称:アマチ強制収容所)に送られた日系人のうち米軍入隊を希望した男性が、入...
なぜわが国にだけ原爆が落とされたのか~~米国排日10
以前このブログで、わが国のメディアや出版物で原爆を批判することをGHQが許さなかったことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-186.html たとえば朝日新聞は鳩山一郎の「原子爆弾の使用や無辜(むこ)の國民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の國際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬ」という談話を載せたために2日間の業務停止処分を受けているが、鳩山一郎の言っていることは誰が考えても正...
ルーズベルトはなぜ黄色人種の中国を連合国陣営に残そうとしたのか~~米国排日11
「米国排日」シリーズの最初の記事で『昭和天皇独白録』の冒頭の文章を紹介した。 「大東亜戦争の遠因この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然存在し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。…かゝる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がつた時に、これを抑えることは容易な業ではない。」(...
「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか
前回の記事でルーズベルト米大統領が、蒋介石の中国を連合国陣営に戦略的に残したことを書いた。以前にも蒋介石に関する記事は「中国排日」シリーズで何度か書いたが、この男がどういう人物であったかを知るうえで欠かせない事件の顛末を書き記しておきたい。1938年(昭和13年)6月に黄河の堤防が決壊し、津波のように流れ出した大量の水が周囲の都市や田畑を襲い多くの人々が死亡する大災害が起こったのだが、この災害は自然災害で...
中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる
西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封3』に、中国兵の陳登元氏が自らの戦争体験を綴った『敗走千里』という本の解説がある。この本はGHQによって焚書処分にされてしまったために、戦後はほとんど日本人の目に触れる事がなかったのだが、最近になってこの解説を読んで、中国の戦争の仕方が日本人の戦争の常識とは随分かけはなれたものであることを知って、驚いてしまった。 今回は『敗走千里』の文章や西尾氏の解説を引用しながら、中国軍...
陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か
前回の記事で、中国軍には前線の後方にいて自軍の兵士を監視し、命令無しに勝手に戦場から逃げたり降伏するような行動があれば自軍兵士に攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った「督戦隊(とくせんたい)」というものがあり、味方である督戦隊に殺された中国兵士が日中戦争ではかなりいたことを書いた。 「軍隊」と言っても、中国の兵士は無理やり集められていたことから、戦意の乏しい者が少なくなかった。しかしながら...
蒋介石に外国の干渉を導くことを進言したドイツの軍事顧問団
以前このブログで、フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが著した”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)という本の内容を紹介したことがある。中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実 [ フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ ]その本の中で、蒋介石にはドイツの軍事顧問団がついていて、その顧問団が蒋介石に対して、日本に対しては単独では勝てないので外国に干渉させるように仕向けることをアドバ...
GHQ情報部長が、日米は戦うべきではなかったと述べた理由
以前このブログで、三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』という書物が英訳されて、当時GHQ(連合国総司令部)の情報部長であったウィロビーの眼に止まったことが、米国で「ゾルゲ捜査」を始めるきっかけとなったことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html マッカーサーはこのウィロビー将軍のことを、「在任中に出会った最も優れた知性派の将校であり、陸軍広しといえども将軍に続く人物を...
終戦後大量の日本兵がソ連の捕虜とされ、帰還が遅れた背景を考える
昭和20年(1945)8月14日の御前会議でポツダム宣言の受諾が決定され、わが国政府はこれを連合国に通知し、翌15日の正午に昭和天皇自らの肉声による『終戦の詔書』が全国に放送された。わが国が敗戦した当時、国外にいた軍人・軍属がおよび民間人はそれぞれ約330万人で、合わせて660万人と見られているのだそうだが、帰還事業は米国から約200隻の船舶の貸与を受けるなど米国の援助を得て急速に進み、敗戦の翌年までに約500万人が海外...
アメリカまでのびていたゾルゲ諜報組織の「赤い糸」
前回、前々回の記事で紹介した『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』に1964年9月5日付の『ニューヨークタイムズ』紙のこのような記事が紹介されている。「モスクワ発9月8日―――ソ連は第二次世界大戦中、東京にあるドイツ大使館情報宣伝課に勤めていたリヒアルト・ゾルゲが、ソ連スパイ団を巧妙に指揮していたことを認めた。共産党機関紙『プラウダ』が、ゾルゲが提供した情報の結果、ソ連軍は1941年秋におけるドイツ軍のモスク...
GHQの中にもソ連の工作があったのではないか
ウィロビーの回顧録を読み進むと、わが国の「公職追放」に関するニューズウィーク紙(1947年1月27日付)の「日本の公職追放の裏側――米国軍人の対立」という論文の一部が引用されている。そこにはこう書かれている。「公職追放を財界へも及ぼしたため、日本の財界人は5千人から2万5千人がその職を追われ、その上三親等までその職に就けないから、犠牲者は約25万名にのぼる。これによって日本の全経済機構の知能が取り除かれてしまった...
アメリカがGHQの中の左翼主義者の一掃をはかった事情
ウィロビーの回顧録を読み進んでいくと、1947年4月23日付でウィロビーが纏めさせたマッカーサー最高司令官に宛てた『総司令部への左翼主義者の浸透状況』というマル秘レポートが掲載されている。一部を紹介させていただく。まず、どの程度ソ連に近い人物がGHQにいたのだろうか。このレポートにはこう書かれている。 「総司令部の各部局に在職している外国分子を統計的に分析してみると、ソ連またはソ連衛星国の背景をもった職員の...
朝鮮戦争の緒戦で北朝鮮軍が韓国領の9割以上を制圧できたのはなぜか
1950年6月25日の午前4時に朝鮮半島の38度線で、突如北朝鮮による砲撃が開始され、10万を超える北朝鮮軍が38度線を突破した。米駐韓国大使のジョン・ムチオは、ワシントンの国務省に宛てて次のような報告をしている。 「1950年6月25日ソウル発 韓国軍事顧問団の資料によって、一部確認された韓国陸軍からの報告によれば、北朝鮮は今朝、韓国の領土に対し数ヵ所にわたって侵略を開始した。攻撃はほぼ午前4時に開始され、甕津(オング...
朝鮮戦争で、国連軍を勝たせないようにしたのは誰なのか
仁川上陸作戦で北朝鮮軍の補給路を断ち攻勢に出た国連軍を指揮するマッカーサーに対し、米統合参謀本部は北進攻撃の許可と詳細な指令を1950年9月28日に出し、いよいよ38度線を超える北進攻撃が開始された。しばらくウィロビーの回顧録を引用する。 「連合国軍による38度線を突破しての北進攻撃は、まず韓国軍の二個師団によって開始された。1950年9月30日、これらの部隊は東海岸沿いの道路を一挙に北上、10月3日には38度線を突破し...
スターリンが朝鮮戦争に米国を誘導したことを示す極秘文書が発見されている
前回は、トルーマン政権が朝鮮戦争で国連軍を勝たせないようにしたのではないかということを書いたのだが、その後スターリンの極秘文書の中から、スターリンがアメリカを朝鮮戦争に誘導したと記述している書簡が発見されているので紹介したい。 韓国の新聞である『中央日報』が2008年6月に報じた記事を、その日本語版のホームページで誰でも読むことができる。ちょっと長いが、全文を引用させていただく。 韓国の新聞なので「朝鮮...
『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか
前回まで、わが国が連合軍に占領されていた時期から朝鮮戦争までの歴史を追ってみた。ウィロビー回想録の文章を引用しながら当時の雑誌などの記事をいくつか紹介してきたが、これらを読んでいくと、今までわが国の教科書やマスコミなどで広められてきた現代史の知識はかなり一面的なもので、一番重要なソ連の関与には全く言及していないことに気づくことになる。以前このブログで1928年のコミンテルン第6回大会で採択された決議内...
尾崎秀実の手記を読めば、第二次世界大戦の真相が見えてくる
前回および前々回の記事で、1928年以降アメリカだけでなくわが国においても、政府や軍部の中枢部にソ連の影響が大きかったのではないかということを述べてきた。 今回はゾルゲ事件の首謀者の一人として昭和16年10月に逮捕された尾崎秀実が昭和17年(1942)3月か4月頃に獄中で執筆した手記を紹介したい。 尾崎秀実を取り調べた宮下弘氏の著書によると、尾崎は10月15日の早朝に逮捕され、正午から取り調べが始まり、先に逮捕されていた...
ゾルゲ、尾崎らが一斉検挙に至った経緯について
前回の記事で尾崎秀実自身がソ連のスパイ活動をしていたことを記述した獄中手記の文章を紹介した。この尾崎秀実を自白させたのは特高第一課係長であった宮下弘と言う人物だが、特高はその前に、アメリカ共産党員の宮城与徳を自白させてゾルゲや尾崎がスパイ活動をしているとの供述を引き出している。ところが、当時この宮城与徳という人物については捜査線上になく、北林トモというアメリカ共産党員の取調べで浮上してきたという。...