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しばやんの日々

三方五湖観光後昼食は「淡水」の鰻。続けて紅葉名所・鶏足寺を訪ねて~若狭カニ旅行3

旅行の2日目は、民宿をチェックアウトしてから、まだ走ったことのない「三方五湖レンイボーライン」を走ることにした。この道はカメラマンの須藤英一氏が選んだ『日本百名道』のうちの一つになっている道だ。http://blog.goo.ne.jp/adriveki/c/fce0a5a016f7afe0083accd5751a96a7 11.24kmの有料道路だが、カーブが多く、運転しながら景色を楽しむわけにもいかないので、3つある駐車場で車を停めて景色を楽しむことしかできなかった...

唐崎神社から日吉大社、日吉東照宮を訪ねて

前回は慶応4年(明治元年1868)3月に神祇官から神仏分離令が出された直後に、神祇官の樹下茂国らによって日吉大社の仏像仏具など数千点が破壊され焼却されたことを書いた。この日吉大社には行ったことがなかったので、滋賀県大津坂本から比叡山延暦寺に向かう日帰り旅行を企画して先日行ってきたのだが、結構見るべきところがあったので、今回はそのレポートをしたい。車などで行かれる方のために、私が訪れた場所の住所・電話番号な...

慈眼堂、滋賀院門跡から明智光秀の墓のある西教寺を訪ねて考えたこと

日吉東照宮からケーブルの坂本駅方面に抜けて右折し、坂を下って県道47号線を超えると、すぐ近くに滋賀院門跡につながる小道がある。しばらくこの小道を歩くと、木々に囲まれて、スギ苔と石畳の美しい空間に辿りつく。石灯籠が導く先には、天台宗の僧で徳川家康の政治顧問であった南光坊天海の坐像のある廟所で、三代将軍徳川家光が作らせたという延暦寺慈眼堂(滋賀県文化財:大津市坂本4-6)という建物がある。慈眼堂の向かって左...

世界遺産の比叡山延暦寺の諸堂を巡って

滋賀県大津市坂本の観光の途中で明智家の菩提寺である西教寺(さいきょうじ)に立ち寄り、光秀の墓の案内文に違和感を覚えたので、しばらく脱線して「明智光秀=天海説」について思うところを書いてきたが、再び滋賀の旅のレポートを続けることにしよう。西教寺をあとにして、湖西道路を北に進み、雄琴IC口を左折し、仰木郵便局前から奥比叡ドライブウェイに入る。ちょっと割高な有料道路だが、よく整備されていて走りやすく、秋の紅...

石山寺の桜と、湖東三山の百済寺、金剛輪寺を訪ねて

毎年桜の咲くころになると、桜の名所やその近辺の社寺を訪ねるブログの記事を書いてきた。今までは旅行記事の直前に連載記事を終えるように調整ができていたのだが、先月来書き始めた鎖国のテーマが意外と長くなりそうなので、しばらくは重たいテーマから離れて、滋賀県の湖東の桜を訪ねる小旅行のレポートをさせていただくことにする。車で行かれる方のために、今回もカーナビで登録できるよう、私が訪れた場所の住所と電話番号を...

湖東三山・西明寺から多賀大社、国友鉄砲の里を訪ね、長浜の茅葺の宿に泊まる

あびこ屋で昼食を終えてから、次の目的地である西明寺(さいみょうじ:滋賀県犬神郡甲良町池寺26:0749-38-4008)に向かう。金剛輪寺からは8分程度で到着する。この寺は平安時代の承和(じょうわ)元年(834)に三修上人が、仁妙天皇の勅願により開創されたと伝えられ、平安時代から室町時代にかけて、修行・祈願の道場として栄え、山内には17の諸堂と300の僧坊があったという。しかしながら、元亀2年(1571)に織田信長はこの寺にも「焼き...

「観音の里」長浜の桜と文化を楽しんだあと、徳源院や龍潭寺、井伊神社を訪ねて

鶯の鳴き声で目が覚めて、清々しい朝を迎えた。昨日の夕刻から降り出した雨も上がり、今日は存分に桜が楽しめそうだ。長治庵の朝食を終えて、最初に向かったのは渡岸寺観音堂(長浜市高月町渡岸寺50:0749-85-2632)だ。「渡岸寺(どうがんじ)」というと誰でも寺の名前だと思ってしまうところだが「渡岸寺」は地名であって、寺の名前は向源寺(こうげんじ)だという。もしかすると、その「渡岸寺」という名の寺が以前は存在したのかもし...

国宝・新羅善神堂近辺の散策の後、大津市歴史博物館で比叡山ゆかりの古仏を楽しむ

都道府県格付研究所のホームページで「国宝・重要文化財総数ランキング」が公開されている。第1位が東京都で2729件、第2位が京都府で2144件、第3位が奈良県で1311件までは誰でも納得するところだが、4位が滋賀県で813件もあることを意外に感じるのは私ばかりでないだろう。http://grading.jpn.org/y2308a05.html#map次に「国宝・重文の建造物数ランキング」を見てみると、第1位が京都府で292件、第2位が奈良県で261件、滋賀県は第3...

三井寺の国宝・重要文化財観賞の後、非公開の寺・安養寺を訪ねて

大津市歴史博物館の企画展を楽しんだ後、すぐ近くにある円満院を訪れた。円満院は寛和3年(987)に村上天皇の皇子である悟円法親王によって創建され、以来皇族が入寺する門跡寺院となり、戦前までは三井寺(園城寺[おんじょうじ])三門跡の1つであったのだが、戦後になって三井寺から独立したのだそうだ。安土桃山時代の建築物である宸殿(しんでん)は、明正天皇の御殿を下賜されて正保4年(1647)に御所からここに移築されたもので、国の...

近江八幡の歴史と文化を楽しんで

しばらく重たい話題が続いたので、気分転換がしたくなって滋賀県の湖東地区の文化財を訪ねる旅行をしてきた。最初に訪れたのは西国三十三カ所の第三十一番観音霊場の長命寺(近江八幡市長命寺町157、☎0748-33-0031)である。聖徳太子開基と伝えられている古い寺で、近江守護佐々木氏の崇敬と庇護を受けて栄えたのだが、永正13年(1516)に佐々木氏と伊庭氏の対立による兵火により伽藍が全焼し、現存する堂宇は室町時代から近世初期にか...

誰が安土城を焼失させたのか~~安土城跡と近隣散策記

近江八幡の中心地の観光を終えて安土城跡(近江八幡市安土町下豊浦)に向かう。安土城は、織田信長が天下統一の拠点として、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据えて安土山に築城させた城である。上の画像は大阪城天守所蔵の「安土城図」で、現在は四方とも干拓されて陸地になっているが、当時は琵琶湖の内湖に囲まれていたことがわかる。安土城の天守が完成したのは天正7年(1579)のことだが、その3年後の天正10年(1582)の6月2日に本...

白壁と蔵に囲まれた五箇荘の近江商人屋敷めぐり

今回の旅行の計画を練っている時に、現在のわが国の一流企業で近江商人にルーツがある企業が随分多いのに興味を覚えた。近江商人とは近江に本拠地をおく他国稼ぎ商人のことである。Wikipediaに近江商人の流れを汲んでいる主な企業名が出ている。【流通業】大丸、高島屋、白木屋、藤崎、山形屋、西武グループ、セゾングループ【商社】伊藤忠商事、住友財閥、双日、トーメン、兼松、ヤンマー【繊維関係】日清紡、東洋紡、ワコール、...

藤の咲く季節に、日野町の歴史と文化を楽しんで

先日、滋賀県蒲生郡日野町に行ってきた。日野町にはいろいろ行きたいところがあって、どうせ行くのならこの季節にと決めていた。桜や紅葉の時期も候補に考えていたが、この町には樹齢300年の有名な藤の咲く寺がある。その藤が見頃を迎えたので最初にその寺に向かうことにした。その寺の名前は、正法寺(滋賀県蒲生郡日野町鎌掛(かいがけ)2145 ☎0748-52-4422)で、「藤の寺」とも呼ばれている。正法寺は奈良時代に行基が開基したとさ...

蒲生氏郷が生んだ日野商人の豊かさ

前回の記事で、馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)の春の例祭で八百年以上の歴史ある日野祭のことを書いた。この祭りで引き出される曳山や神輿が豪華絢爛で、これらは日野商人達の財力によって贅の限りをつくして作られたものだという。またこの神社の拝殿は日野商人中井源左衛門が享和三年(1803)に寄進したものであり、本殿も「氏子」の寄進により建造されたとある。また日野町松尾ある正明寺(しょうみょうじ)に行くと、...

滋賀県に残された神仏習合の景観などを楽しんで~~邇々杵神社、赤後寺他

以前このブログで、神社の境内の中に塔が残されている事例をいくつか紹介した。奈良時代には仏教を広めるために日本古来の神道との融合策がとられ、神社に神宮寺が併設されたり、寺に鎮守社が建てられたりしたのだが、そのような神仏習合が平安時代になると仏が仮に神の姿で現れるという本地垂迹思想が広がり、神社に神の本地である仏を祀る本地堂を建てたり、神宮寺に仏教の祖である釈迦の舎利(遺骨)を祀る塔が建てられたりして、...

現存する唯一の忍術屋敷を訪ねて~~甲賀歴史散策その1

滋賀県の甲賀と言えば「忍びの里」を思い浮かべる程度だったのだが、調べてみるとこの地域には貴重な文化財や伝統文化が残されているのに興味を覚えて、週末に日帰りで甲賀市の名所旧跡を巡って来た。最初に訪れたのは『甲賀流忍術屋敷』(甲賀市甲南町竜法師2331 ☏0748-86-2179)で、この住居は甲賀忍者であった望月出雲守の旧宅であり、現存する唯一の忍術屋敷だという。外見は一般的な平屋の日本建築で元禄時代に建てられた住居...

甲賀の総社・油日神社、平安仏の宝庫・櫟野寺などを訪ねて~~甲賀歴史散策その2

甲賀流忍術屋敷を楽しんだのち、油日(あぶらひ)神社(甲賀市甲賀町油日1042 ☏ 0748-88-2106)に向かう。この神社は、平安時代に編纂された『日本三代実録』に、陽成天皇の元慶元年(877)に従五位下の神階を授けられたとの記録が残されている古社で、神社の東に聳える油日岳をご神体とし、油の神様として崇敬を集めてきたばかりではなく、「甲賀の総社」として甲賀武士の結束の中心であったという。両脇に石垣が積まれた参道を進むと...