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しばやんの日々

坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~ その1

先日友人と飲んでいたら、たまたま坂本龍馬の暗殺に誰が関わったかが話題になった。友人は私の知らない話をいろいろ披露してくれて少し興味を覚えたので、龍馬の暗殺事件についてちょっと調べてみた。坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋の二階で暗殺されたのは慶応三年(1867)11月15日だが、誰が殺したかについては当時から諸説がある。 当初は新撰組が疑われていたが、後に京都見廻組の佐々木只三郎外数名であるとし、龍馬を斬った...

坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~その2

前回は、坂本龍馬暗殺の実行犯が京都見廻組の可能性が高いことと、黒幕がいるとする諸説の中で薩摩藩黒幕説について書いた。今回は別の黒幕説を書こう。龍馬の出身である土佐藩にも、黒幕とされている人物がいる。良く名前が出てくるのは後藤象二郎だ。大政奉還のアイデアは龍馬のものであることは今では多くの人が知っているが、当時土佐藩参政であった後藤象二郎は、龍馬が発案した策をそのまま受け入れて、藩主山内容堂の承認を...

坂本龍馬の妻・お龍のその後の生き方

高知市の坂本龍馬記念館に、妻・お龍の若い頃の写真と晩年の写真が拡大されて展示されていた。この写真はネットでも容易に見つけることが出来る。この若い頃の写真は、龍馬の京都での定宿で暗殺現場ともなった「近江屋」の主人(井口新助)のご子孫の家で、昭和54年に見つかった写真を複写したものだそうだ。ちょっと痩せているが、今でも充分「美人」で通用する女性と思われる。この写真は、傍らの洋風の椅子、背後の壁などから、明...

お龍は何故坂本家を飛び出したのか、お龍の言い分

前回は龍馬が亡くなってからのお龍の人生を辿ってみた。お龍が坂本家からも海援隊メンバーからも嫌われていたことから、お龍の人生があのような淋しいものになったのはお龍の性格に問題があったのだとは思うが、お龍自身が坂本家についてどう語っているかも知りたくなった。ネットで「わが夫坂本龍馬」(一坂太郎著:朝日選書)という本を取り寄せて読んでみた。この本には、安岡秀峰が晩年のお龍から聴取した回顧談をまとめた「反魂...

龍馬の二番目の姉・栄はなぜ「龍馬伝」に出てこなかったのか

今年の五月に高知方面を旅行したときに、龍河洞の帰りに「龍馬歴史館」を訪ねて、坂本龍馬の一生の出来事を蝋人形で再現させた展示物を見てきた。その中で、「龍馬脱藩・姉栄の自殺」という展示があった。 姉の栄が刃物で自殺をしようとする人形で、解説にはこう書いてあった。 「…兄の権平は龍馬の不穏な空気を怪しみ、万一過激な行動を取ったら家を危うくする恐れがあると心配して龍馬から刀を取り上げ『龍馬が何を言ってきても...

坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その3

以前、龍馬を暗殺したのは誰かについて2度にわたりこのブログで書いた。そこでは、この事件の黒幕がいたかどうかについては諸説があるが、暗殺の実行犯については京都見廻組で、龍馬を斬ったのは今井信郎だというのが定説になっていることを書いた。しかし今井の言うことを全く信用しなかった土佐藩の谷干城(たにたてき:第二代学習院院長、初代農商務大臣)もいる。どちらが正しいのだろうか。明治33年(1900)に今井信郎は甲斐新聞...

坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その4

前回の記事で、龍馬を斬った人物とされる今井信郎の証言をもとに甲斐新聞の結城礼一郎記者が明治33年(1900)に「近畿評論第17号」に寄稿した記事の一部を紹介した。(下の画像は暗殺現場となった「近江屋」)前回記事では、今井信郎の他に京都見廻組の誰が加わり、誰からの指示で斬ったのかという部分を紹介できなかったが、「近畿評論第17号」で結城はこう書いている。 「それで11月15日の晩、今夜はぜひというので、桑名藩の渡辺吉...