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しばやんの日々

3度目の高山と円空仏を訪ねて丹生川から平湯温泉へ ~~ 岐阜・長野方面旅行一日目

毎年真夏の暑い時期は、大阪を抜け出して涼しいところに旅行している。今年は、平湯温泉と濁河温泉に宿をとって、7月30日から二泊三日で高山から上高地などを車で巡ってきた。今回は旅行の初日のことを書こう。 高山は8年前と4年前に訪れたことがあるので、高山陣屋や高山屋台会館、櫻山八幡宮、日下部民芸館、吉島家住宅など誰でも行くようなコースはすでに訪問済みだ。今回は、高山でまだ見ていない所を訪問する旅程を組んだ。 ...

濁河温泉から寝覚ノ床、妻籠宿・馬籠宿へ~~岐阜・長野方面旅行三日目

早朝目が覚めて朝風呂に入り、食事までまだ時間があったので夫婦で散歩に出かける。ホテルのすぐ近くに「濁河三滝」と言われる3つの滝があるらしいのでそれを目指して歩く。 天気は良いのだが肝心の御岳山は頂上あたりが雲で隠れて見えないのが残念だ。 宿から5分ばかり歩くと落差20mの「緋の滝」という滝が見えてくる。御覧のようになかなか綺麗な滝だ。そこからさらに5分程度歩くと道路わきから落差15mの「白糸の滝」が見えて...

飛騨古川から禅昌寺を訪ねて下呂温泉へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行2

旅行は二日目の朝を迎えたが、前日から降り出した雨が朝も降り続いていた。 雨に打たれながら露店風呂にゆったり浸かりつつ雲行きや周りの山々を見ても、当面天候が回復しそうな様子ではない。 天気がよければ新穂高ロープウェイに乗って山頂から素晴らしい眺めを見て、帰りに北アルプス展望園地や北アルプス大橋をドライブで巡るつもりだったのだが、予定を変更して飛騨古川に向かい、そこでゆっくりすることにした。 飛騨古川は...

飛騨地方を舞台にした悪代官と義民の物語

江戸時代に飛騨地方で、「大原騒動」という大きな百姓一揆があったということを知った。Wikipediaによると「大原騒動」とは、江戸時代に飛騨国の代官(のちに郡代に昇進)であった大原紹正(つぎまさ)・正純父子のもとで、明和8年(1771)から天明8年(1788)までの18年間、断続的に続いた百姓一揆とある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E9%A8%92%E5%8B%95 普通に考えれば、たとえ貧しい生活であったとしてもなんとか...

「大原騒動」の史跡や飛騨の国宝や渓谷などを訪ねて白骨温泉へ

前回「大原騒動」のことを書いたが、記事の中で紹介した映画『莟し花』をYoutubeで見て感動し、岐阜方面の旅行の最初に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)を訪れる旅程を組んだ。 安永2年(1773)に、大原代官の強引な検地に反対する数千人とも1万人とも言われる飛騨の百姓たちがこの神社に集まったのだが、大原代官は郡上藩などの鉄砲隊の力を借りて、武器を所持していなかった集会参加者に銃火を浴びせて多くの犠牲者...

白骨温泉から奈良井宿、阿寺渓谷を散策のあと苗木城址を訪ねて

白骨温泉で清々しい朝を迎えて、小鳥の囀りを聞きながら白濁した源泉かけ流しの温泉に浸かったあと、時間があったので宿の近くを20分程度散策した。旅館から県道300号線に出てしばらく歩くと江戸時代に湯治客の有志が建てたと言われている三十三観音がある。さらに進むと「竜神の滝」と呼ばれる滝があり、そこから遊歩道が整備されている。原生林の緑に囲まれた道を少しばかり歩くと、湯川が石灰岩を侵食してできた「隧通し(すいと...

苗木藩の廃仏毀釈と、その史跡を訪ねて

前回の記事で、苗木藩では徹底した廃仏毀釈が行われて、藩内の15ヶ寺全てが明治の初期に廃寺となったことを書いた。 今までこのブログで廃仏毀釈のことを何度か書いてきたが、苗木藩の廃仏毀釈は相当激しいものであったことを多くの人が指摘している。なぜ苗木藩のような小さな藩で、徹底した廃仏毀釈が行われたのだろうか。まずそのことについて考えることとしたい。12代藩主の遠山友禄(ともよし)は慶応3年(1867)6月まで幕府若年...

日本百名城の一つである岩村城を訪ねた後、国宝・永保寺に立ち寄る

苗木藩の廃仏毀釈の史跡を見た後、岩村城跡(県史跡)に向かう。 岩村城は鎌倉時代中期頃に、砦あるいは城館のようなものが平坦部に築かれ、戦国時代に入って本格的な城山が築かれたとされる。この城の本丸は標高717mの城山山頂にあり、諸藩の居城の中では最も高い場所にあるのだそうだ。この城の付近でよく霧が発生するために、別名「霧が城」とも呼ばれている。また岩村城は、高取城(奈良県高市郡高取町)、備中松山城(岡山県高梁市...

郡上八幡の歴史と文化と古い街並みを楽しんで

毎年7月には避暑と歴史散策をかねて車で旅行することにしているのだが、今年は白川郷と長良川温泉に宿をとり、郡上(ぐじょう)八幡から白川郷、岐阜市、関ヶ原古戦場などを周遊してきた。梅雨が明けていなかったので雨が心配だったが、なんとか予定していた場所を観光することが出来た。ある読者から、カーナビで登録できるように電話番号や時間の目安も書いて欲しいとの要望があったので、今回の旅行からなるべくその要望に応える...

郡上一揆と白山信仰のゆかりの地を訪ね、白川郷の合掌造りの民宿で泊まる

前回の記事で郡上八幡城の歴史について、「金森頼錦(よりかね)の藩主の時代に、農民の困窮甚だしく宝暦義民の一揆がおこり、そのために金森家は改易され、代わって丹後国宮津城主の青山幸道が城主となり、その後の藩政は安定した」と書いた。「宝暦義民の一揆」とは「郡上藩宝暦騒動」とも「郡上一揆」とも呼ばれているが、この一揆が原因で、郡上藩主金森家が改易処分となっただけでなく、幕府高官も大量処分されたという大事件で...

湖底に沈んだ「飛騨の白川郷」と呼ばれた合掌造り集落の話

白川郷の民宿「十右エ門」を8時半ごろ出て、御母衣(みぼろ)ダムの近くの「御母衣ダムサイトパーク」(05769-5-2012)に向かう。白川郷からは17kmで27分程度かかる。今は御母衣湖の湖底に沈んでしまったのだが、以前は「飛騨の白川郷」と呼ばれ、合掌造りの家々が数多く建っていた「岐阜県大野郡荘川村」というのどかな集落が、庄川のさらに上流に存在していたという。沈む前の荘川村の写真が次のURLにいくつか紹介されている。http:/...

「さくら道」を走って、織田信長が天下布武を宣言した岐阜に向かう

前回は荘川桜のことを書いたが、この荘川桜の移植に興味を持ち、その一部始終をカメラに収めた佐藤良二という人がいた。佐藤氏は当時国鉄バスの名古屋から金沢を結ぶ「名金線」の運転手だったのだが、移植2年後の春に再び彼が荘川桜を見に来ると、お花見の最中に老婆が立ち上がり、桜の太い枝を抱えて突然声を上げて泣き出したのだそうだ。この出来事は佐藤氏の心に強く焼き付いて、彼は自分の走る沿線266kmを桜並木で結ぶことを決...

日吉神社、大垣城、南宮大社から関ヶ原古戦場に向かう

旅行の3日目は、長良川沿いの「ホテル石金」のチェックアウトを済ませて、最初に岐阜県安八郡神戸(あんぱちぐんごうど)町にある日吉神社(0584-27-3628)に向かった。ホテルからは18kmくらいの距離で40分もかからない。このブログで、今まで何度か明治初期に仏教施設が徹底的に破壊された「廃仏毀釈」のことを書いてきた。明治までは「神仏習合」があたりまえで、多くの有名な神社に仏像・仏具や仏塔が存在していたのだが、明治維新...