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しばやんの日々

一乗谷遺跡、永平寺から越前竹人形の里へ~~越前カニ旅行一日目その1

毎年カニのシーズンに旅行していることは何度かこのブログに書いた。今年は越前のカニを求めて芦原温泉に宿泊することとし、福井県の名所旧跡などを巡る計画をたてて、11/27~28にかけて旅行をしてきた。27日の朝に自宅を出て、最初に訪れたのが「一乗谷朝倉氏遺跡」。パンフレットによると、「朝倉氏は現在の兵庫県養父市八鹿町の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代、1467年...

千古の家、丸岡城、東尋坊から芦原温泉へ~~越前カニ旅行1日目その2

越前竹人形の里で素晴らしい竹人形を見た後、「千古の家」と呼ばれる坪川家住宅を見学に行く。パンフレットには「坪川家の先祖坪川但馬丞貞純は北面の武士で、源三位頼政(げんさんみよりまさ)の後裔といわれている。今を去るおよそ700年前、故あって、この地に定住した。…建てられたのは中世末期であるとされ、全国的にも貴重な民家の一つとされ…、昭和41年に国の重要文化財に指定され」たと記されている。 「北面の武士(ほくめん...

芦原温泉からみくに龍翔館、三国港、旧岸名家、養浩館庭園を訪ねて~越前旅行2日目

旅行の二日目は朝から雨だった。 芦原温泉の朝風呂に入り食事をゆっくり済ませたが雨はやまず、雨が止む事を祈りつつ旅程の順番を変更し、まずは「みくに龍翔館」に向かう。上の画像が「みくに龍翔館」なのだが、一度見たら二度と忘れないようなユニークなデザインだ。この五層八角形の建物が明治12年から大正3年まで三国に「龍翔小学校」として存在し、「みくに龍翔館」はその小学校の外観を模して昭和56年に建てられた郷土資料館...

東大寺二月堂に向け毎年「お水送り」神事を行う若狭神宮寺を訪ねて~~若狭カニ旅行1

東大寺の有名な「お水取り」は修二会(しゅにえ)と呼ばれ、天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁(ろうべん)僧上の高弟、実忠和尚によってはじめられた春を迎える法会で、本尊の十一面観音の前で、11人の僧侶(練行衆)たちが、全ての人の罪を背負って懺悔をし、全ての人に代わって祈る法会である。この行事は過去一度も途絶えることなく続けられて今年は1260回目の「お水取り」が行われたことになる。この「お水取り」という行事の前に「...

国宝の明通寺本堂・三重塔から紅葉名所・萬徳寺などの古刹を訪ねて~~若狭カニ旅行2

前回は「お水送り」の神事を行う若狭神宮寺のことを中心に書いたが、今回はほかのお寺のことを書くことにする。小浜には歴史のある素晴らしいお寺がいくつもあり、とても一日では巡りきれないくらいだ。 福井県の建築物で国宝あるいは重要文化財に指定されているものは26棟あるのだが、このうち小浜市に7棟が存在する。うち2棟は国宝で、福井県の国宝はこの2棟しかない。また彫刻では46躯のうち24躯が小浜市に存在しその大半が仏像...

越前和紙で栄えた地域の歴史と文化と伝統の味を楽しむ~~越前の歴史散策1

越前市は品質、種類、量ともに全国一位の和紙生産地として知られているが、この地における和紙作りには1500年という長い歴史があるのだという。そして、和紙生産の中心地である5つの集落(新在家町、定友町、岩本町、大滝町、不老町)を昔から五箇(ごか)と呼び、その大滝町にこの地に紙の製造法を伝えたとされる川上御前(かわかみごぜん)が祀られている神社がある。この神社には立派な社殿があるだけでなく神仏習合の行事が今も行...

継体天皇ゆかりの足羽山から紅葉名所の大安禅寺へ ~~越前の歴史散策2

昼食のあと福井市の足羽山(あすわやま)に向かう。前回の記事で越前和紙の歴史は、第26代の継体天皇が男大迹王(おおとのおう)として越前を治めていたころから始まることを書いたが、足羽山には継体天皇にまつわる神社などがある。『日本書紀 巻十七』には継体天皇の出自に関して次のように記されている。文中の男大迹天皇(おおどのすめらみこと)は継体天皇のことである。「男大迹天皇――またの名は彦太尊(ひこふとのみこと)――は、応...

瀧谷寺から越前海岸の景勝地と北前船で栄えた河野浦を訪ねて~~越前の歴史散策3

翌朝、お世話になった三国の民宿をチェックアウトし、近くの東尋坊に向かう。東尋坊を構成する岩は、輝石安山岩の柱状節理で、最も高いところで約25mの垂直の崖があるという。これほどの規模のものは世界的にも珍しく、国の天然記念物に指定されている。朝早くここを訪れたのは初めてだが、商店などの営業が始まる前は観光客もわずかで、静かに景観を楽しむには良い時間帯である。東尋坊の景観を楽しんだ後に、瀧谷寺(たきだんじ:...

日露戦争・旅順港閉塞作戦に協力した右近家から敦賀に向かう……越前の歴史散策4

河野浦の北前船主の館・右近家の旧本宅の庭園に、なぜか砲弾が置かれている。ガイドさんの説明によると、右近権左衛門が所有していた「福井丸」が日露戦争の旅順港閉塞作戦の二回目の作戦で使用され、その船を指揮していた広瀬武夫少佐がその船で戦死したことと関係があるという。旅順港閉塞作戦のことは司馬遼太郎の『坂の上の雲』でその話を読んだ記憶があるが、北前船主の館・右近家でその話が出て来るとは思わなかった。右近家...