隠れ切支丹の里
171号線の中河原交差点から忍頂寺福井線に入り、履正社茨木グラウンドから山道に入る。サニータウンを抜け大岩郵便局を過ぎると暫く樹木のトンネルのようなところを走る。そこを過ぎると、棚田が広がるのどかな田園風景になり、しばらく行くと「キリシタン遺物資料館」の案内標識がある。案内通り左折するとその資料館(茨木市大字千提寺262)がある。思ったよりも小さい資料館だった。 キリスト教がフランシスコザビエルによって天...
石清水八幡宮と松花堂弁当
徒然草の第52段に「仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、或る時思い立ちて、ただひとりかちよりまうでけり。」ではじまる有名な文章があるが、最近になってこの石清水八幡宮が以前は仏教を中心とする施設であったことを知った。 石清水八幡は貞観2年(860年)僧行教によって寺院として創建され、後に神仏習合で神社と共存するのだが、「男山四十八坊」と言われるように男山全体は以前は圧倒的にお寺...
大山崎美術館と宝積寺
前回石清水八幡宮と松花堂庭園に行ったことを書いたが、その日は時間があったのでそれから大山崎美術館とすぐ近くの宝積寺に立ち寄った。 大山崎美術館の建物はもともとは1911年に実業家加賀正太郎が個人の別荘として建てたものだそうだが、バブルの頃にある不動産会社がこの建物を壊してマンションを開発する計画が持ち上がったらしい。地元住民からこの大正期の立派な建築物を壊すことに強い反対運動が起こる中、アサヒビールが...
虎なら無量寺の「龍虎図」、串本の昼は萬口の鰹茶漬け
年賀状を準備する季節になってきた。といっても、15年ほど前からずっとパソコンで年賀状を作っているのでポイントはどの図柄を選ぶかなのだが、虎の絵なら今年見てきた無量寺にある長沢芦雪の「龍虎図」が素晴らしかったのでこの虎の顔を拡大して年賀状に使うことにした。 今年の9月に南紀方面の旅行を計画していた時に、無量寺というお寺が串本にあることを知って旅程に組み入れたのだが、実際に訪れてみると小さいお寺ではあるが...
紀伊大島の樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、海金剛など
前回串本で無量寺に行って萬口の鰹茶漬けに感激したことを書いたが、串本の旅行の当初の目的はそこからくしもと大橋を渡って紀伊大島に行き、樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、トルコ記念館、海金剛を見ることがメインだった。 実はこの場所をずっと前から見たいと思ってきたのだが、その理由は10年前にインターネットで次の文章を読んで感激してしまったからである。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html親...
日本の歴史を変えた紀伊大島の人々
前回はエルトゥールル号事件のことを書いたが、その事件の4年前の1886年10月24日に、やはり紀伊大島で日本の歴史を変えるきっかけとなったノルマントン号の遭難事件が起こったことも書いておきたい。この事件を最初に発見したのは紀伊大島樫野崎灯台の灯台守と記録にあるので、遭難場所はエルトゥールル号の遭難場所にかなり近かったはずである。記録によると発見した灯台守の連絡により百四十人余りの漁師がただちに海に乗り出し...
厳島神社と「雛めぐり」
昨年の春、桜の咲くころに宮島に旅行した。鮮やかな朱色の鳥居や厳島神社の建物が青い海の色に映えて、あちこちで咲く桜の花がまた美しくて絵になる景色がいっぱいで、何枚も写真を撮った。 平清盛が厳島神社に平家納経を奉納したことからわかるように、この宮島も明治になる前は神仏習合の地であり、大聖院という寺院が宮島全体の僧を束ね、厳島神社の祭祀をつかさどってきた経緯にある。ところが明治初期の廃仏毀釈で7つの寺院...
祖谷のかずら橋
ずっと前から、徳島県祖谷(いや)地方に行ってみたいと思っていた。どうせ行くのなら、桜の咲きそうな季節にと思い、3/27から2日間家内と祖谷地方から金毘羅さんを巡るドライブ旅行に行ってきた。 早朝に吹田の自宅を出て11時ごろ大歩危近辺にあるもみじ亭で「祖谷そば」を食べ、大歩危の「まんなか」という旅館から出航する大歩危峡遊覧船に乗って吉野川の激流が2億年もの時を経て大自然が作り出した渓谷美を楽しむ。大歩危あたり...
祖谷の平家屋敷と平家落人伝説
前回はかずら橋のことを書いたが、祖谷(いや)は平家落人伝説でも有名な場所でもある。 屋島の戦いで敗れた平国盛率いる残党がこの祖谷に住んだと言われているのだ。Wikipediaによると、平家の落人が住み着いたと言われている地が全国で132ヶ所もあるらしい。脚色された信憑性の薄いものもかなりあるそうだが、祖谷地区には何軒も平家の末裔の住んでいた武家屋敷が残されており、平家の赤旗なども残されている。平家の末裔が住んで...
明治初期までは寺院だった「こんぴらさん」
前回は先週行った徳島・香川方面旅行の1日目のことを書いた。その日は祖谷のホテルで一泊し、2日目は「こんぴらさん」に向かう旅程だ。 「こんぴらさん」へは今まで一度も行ったことがなかったのだが、急にここに行きたくなったのは昨年来廃仏毀釈に興味を覚えて調べているうちに、廃仏毀釈が起こるまではここは象頭山金光院松尾寺という真言宗の寺院であったことを知ったからである。上の絵図は江戸時代の「金毘羅参詣名所図会」...
「こんぴら」信仰と金刀比羅宮の絵馬堂
「こんぴらさん」の長い石段を785段登ったところに、金刀比羅宮の御本宮があり、三穂津姫社があり、その隣に絵馬堂がある。「絵馬堂」には大手や中小の船会社が航海の安全を祈念したり、大漁を祈願する絵馬が所狭しと吊るされている。これは「こんぴらさん」が海の神様だと信じられているからである。船だけでなく飛行機や日本人で最初の宇宙飛行士となった秋山豊寛氏の絵馬まで並べられている。海の神様が、空まで面倒を見てくれ...
数奇な運命をたどって岡山県西大寺に残された「こんぴらさん」の仏像
先月の徳島県祖谷(いや)地方から「こんぴらさん」を巡る旅行の下調べをしていた時に、「こんぴらさん」の2体の仏像が海を渡って、「裸祭り」で名高い岡山県の西大寺観音院に安置されていることを次のサイトで知り興味を持った。http://www.geocities.jp/rekisi_neko/konpira.html どういう事情で、「こんぴらさん」の仏像が西大寺観音院に行ったのだろうか。 西大寺観音院の公式ホームページには「…明治維新のころ神国日本は古来...
天平彫刻の宝庫、東大寺三月堂の解体修理
東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建当時の建物の多くが失われたが、奈良時代の建物としては転害門(てがいもん)と本坊経庫などの校倉(あぜくら)と三月堂(法華堂)が残されている。そして三月堂(法華堂)は東大寺大仏殿が建立された時代よりも前に建てられた東大寺最古の建物で、創建は天平12年(740)から19年(747)の間と言われている。東大寺は何度か行っているのだ...
円山応挙ゆかりの金剛寺と近隣の古刹巡り
GW中はどこへ行っても渋滞するので、高速道路は使わず近場で行けるところがないかいろいろ探したところ、京都府亀岡市に円山応挙ゆかりの寺があると知り、急に行きたくなって車でその近くの古刹と一緒に巡ってきた。 私は円山応挙の絵が大好きで、昨年の秋には和歌山県串本の無量寺、冬には兵庫県香住の大乗寺に行って円山応挙とその弟子の描いた襖絵などを鑑賞してきたことをこのブログにも書いた。 私のプロフィールで使ってい...
高知城と龍河洞、龍馬歴史館を訪ねて~~高知旅行1日目
四万十川上流の高知県高岡郡四万十町にある親戚宅を訪ねることになり、自分の車を使って家内と二泊三日で5月15日から四国を旅行してきた。 四国には10年ほど前にバス旅行で行ったのだが、1泊旅行だったので足摺岬と中村と桂浜を駆け足で巡っただけだった。今年に入って祖谷と金毘羅さんを巡ったことはこのブログでも書いたが、高知県内を車で走るのは初めてだ。5月15日、車で吹田の自宅を早朝に出て11時半ごろに高知城近辺に到着...
桂浜、坂本竜馬記念館を訪ねて~~高知旅行2日目その1
ホテルを早目に出て、朝一番で桂浜に向かう。 桂浜には10年程前に一度バス旅行で訪れているのだが、短い時間の滞在であったので、今回はゆっくり散策して、前回行かなかった「坂本龍馬記念館」も見てみたい。 桂浜の上竜頭岬の高台に有名な坂本龍馬像がある。この像は宿毛市出身の彫刻家本山白雲の制作によるもので、本体の高さが5.3mで、台座の高さと合わせると13.4mにもなる大きなものだ。この像の経緯を調べると非常に興味深い...
四国霊場第37番札所岩本寺と高岡神社~~高知旅行2日目その2
坂本龍馬記念館から高知県高岡郡四万十町にある親戚宅に向かう。 「四万十町」という町は平成18年3月に高岡郡窪川町、幡多郡大正町・十和村が市町村合併によってできた町であるが、平成17年に中村市と幡多郡西土佐村が合併してできた「四万十市」とは異なる。大雑把な言い方をすると、四万十町は四万十川の上流地域を含み、四万十市は中・下流地域を含むのだが、四万十市の中に中村四万十町があったりしてややこしい。ついでに言う...
四万十川上流を進み松葉川温泉へ~~高知旅行2日目その3
岩本寺と高岡神社を見た後、四万十川上流を走る。 四万十川は全長が196kmで四国では最も長い川である。また柿田川、長良川とともに日本の三大清流と呼ばれ、日本の秘境100選にも選ばれている。また、「日本最後の清流」等と呼ばれることも多い。こんなに有名な「四万十川」という名前は昔から変わらないとばかり思っていたが、この名前がこの川の正式名称になったのは意外と最近であることを知って驚いた。 例えば宝永4年(1708)の...
高知からの帰路は讃岐うどん目当てに屋島と栗林公園へ~~四国旅行3日目
松葉川温泉で朝食後、窪川あたりで大変お世話になった親戚と別れて、高松に向かう。 予定では昼前に高松に着いて昼食はもちろん讃岐うどんだ。 讃岐うどんは有名な店が多すぎて行くところを迷ったが、昼頃に到着する計算になるのでどこに行っても混む時間帯に入ってしまう。駐車場のない店や狭い店舗は待ち時間がもったいないので、観光地に近くて駐車場の大きいうどん屋を選ぶしかない。高松の観光は初めてなので、まず屋島にい...
東大寺大仏のはなし
東大寺大仏殿(金堂)の本尊である盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)は、一般に「奈良の大仏」「東大寺大仏」などと親しまれている。聖武天皇の発願で天平17年(745)に国中連公麻呂らによって大仏の制作が開始され、天平勝宝4年(752)に開眼供養会が行われたのだが、現存する像は中世・近世にかなり補修がなされており、当初の部分は台座、腹、指の一部などが残っているに過ぎないそうだ。「週刊朝日百科:日本の歴史54」には東京芸大グル...
3度目の高山と円空仏を訪ねて丹生川から平湯温泉へ ~~ 岐阜・長野方面旅行一日目
毎年真夏の暑い時期は、大阪を抜け出して涼しいところに旅行している。今年は、平湯温泉と濁河温泉に宿をとって、7月30日から二泊三日で高山から上高地などを車で巡ってきた。今回は旅行の初日のことを書こう。 高山は8年前と4年前に訪れたことがあるので、高山陣屋や高山屋台会館、櫻山八幡宮、日下部民芸館、吉島家住宅など誰でも行くようなコースはすでに訪問済みだ。今回は、高山でまだ見ていない所を訪問する旅程を組んだ。 ...
平湯温泉から上高地を散策して濁河温泉へ ~~ 岐阜・長野方面旅行二日目
旅行の二日目は、平湯温泉から上高地を往復し、濁河(にごりご)温泉に行く旅程だ。 実は10年ほど前に上高地行ったのだが、天気が悪かったうえにバス旅行で2時間程度の自由時間しかなく、小雨の降る中を大正池から河童橋までを歩いただけで、肝心の山はほとんど見ることができなかった。 上高地へはマイカーが利用できないのでバスで行くしかないが、平湯温泉なら宿から歩いてすぐに平湯バスターミナルに行けるし、そこから上高地行...
濁河温泉から寝覚ノ床、妻籠宿・馬籠宿へ~~岐阜・長野方面旅行三日目
早朝目が覚めて朝風呂に入り、食事までまだ時間があったので夫婦で散歩に出かける。ホテルのすぐ近くに「濁河三滝」と言われる3つの滝があるらしいのでそれを目指して歩く。 天気は良いのだが肝心の御岳山は頂上あたりが雲で隠れて見えないのが残念だ。 宿から5分ばかり歩くと落差20mの「緋の滝」という滝が見えてくる。御覧のようになかなか綺麗な滝だ。そこからさらに5分程度歩くと道路わきから落差15mの「白糸の滝」が見えて...
全焼したはずの坂本龍馬ゆかりの宿「寺田屋」~~平成の「寺田屋騒動」
9月5日の「龍馬伝」は第36回「寺田屋騒動」だった。 京都に生まれ育ったものの、寺田屋は遠かったので行ったことがなかった。こういう番組を見てしまうと急に行きたくなって、たまたま10日が振替休日だったので、平日の方が観光客が少ないかと考えて出かけてきたが、朝10時のオープンを待つ人が随分大勢並んでいたのに驚いた。観光バスのツアーで来ておられる人も少なからずいたようだ。 中に入ると龍馬やお龍、お登勢の写真から、...
京都伏見歴史散歩~~御香宮から大倉記念館
前回は寺田屋に行ったことを書いたが、寺田屋の近くには見逃せない観光スポットがいくつかある。 寺田屋が開くのが10時なので、この日は寺田屋を行く前に2か所ばかり観光をしてきた。今回は、私が見学してきた寺田屋近辺の観光地のことを書こう。 最初に訪れたのは御香宮(ごこうのみや)神社である。 平安時代の貞観4年(862)に、この神社の境内から「香」の良い水がわき出たので、清和天皇から「御香宮」との名前を賜ったが、それ...
「一休寺」と、自然野菜の手作り農園料理「杉・五兵衛」
前回は、御香宮神社と大倉記念館のことを書いたが、この日はそれから寺田屋を見た後、「一休さん」で有名な「一休寺」に向かった。とんち話で有名な「一休さん」はテレビアニメにもなって日本人なら誰でも知っていると思うのだが、その「一休さん」こと一休宗純禅師が晩年を過ごした「一休寺」というお寺が京都府京田辺市にあることを知ったのはつい最近のことである。友人からも勧められていて、ずっと前から行ってみたいと思って...
日本三景「天橋立」の楽しみ方~~~二年前の「天橋立」カニ旅行 その①
日本三景の一つである「天橋立」は今まで社内旅行などで何度か行く機会があった。 観光バスが案内してくれるのは北側の傘松公園か南側の天橋立ビューランドのいずれかで、電車で行く場合は天橋立ビューランドで見ることが多かった。 行く季節は秋から冬が多く、景色を楽しんだ後は日本海のカニを堪能することが多い。上の画像は天橋立ビューランドから見た景色であるが、ここから見る天橋立は龍が天に登る姿にたとえられ「飛龍観」...
伊勢神宮より古い神社と伊根の舟屋を訪ねて~~二年前の天橋立カニ旅行②
宮津温泉の茶六別館で朝食を済ませて、天橋立をゆっくり眺めながら、傘松公園の近くの「元伊勢籠神社*(もといせこのじんじゃ)」に行く。(*「籠神社」とも言う。)「元伊勢」という字が冠されるのは、天照大御神や豊受大神を伊勢神宮の内宮・外宮に鎮座する前にこの場所で祀っていたという伝承をもつことを意味するそうだが、第十代崇神天皇の御代に日本国中に疫病が大流行したらしく、それがきっかけとなって何度も遷宮を繰り返し、...
丹波に秋の味覚を求めて~~丹波栗の歴史と生産農家の危機
17日の日曜日は朝から秋らしい爽やかな天気で、秋の味覚を求めにちょっと車を走らせた。 摂丹街道(R423)を北に走ると、大阪府と京都府の境界線あたりから地元の農産物などが安く買えるところがいくつかある。 途中で朝市もあれば、農家が獲れたばかりの農産物を庭先で売っていたり、飲食店を経営しているところが野菜や果物を店先に並べていたりする。私が良くいくところはそういう場所だ。この近辺までくれば、店によって若干の価...
丹波篠山の重要文化財・天然記念物を訪ねて~~磯宮八幡宮と大国寺
24日の日曜日も天気が良かったのでまた田舎道をドライブしたくなった。 先週は亀岡だったが今度は丹波篠山を目指すこととして、事前に丹波篠山の国指定の重要文化財がどこにあるかを調べてみたところ全部で16あり、その内の6つは大国寺という天台宗の寺院にあることがわかったので、まずはその寺を目指すことにした。 吹田から一般道を走り池田から川西、猪名川につながる川西篠山線(県道12)を北上していく。 途中で磯宮八幡神社と...
世界遺産の吉野山金峯山寺と特別公開中の秘仏・蔵王権現像
奈良県にある吉野山は古来桜の名所として有名で、三年前の桜の時期にバス旅行で行った時はものすごい人だった。吉野に来たほとんどの観光客が最初に訪れる世界遺産の金峯山寺(きんぷせんじ)は、明治7年に修験道が禁止されて一時的に廃寺となり、国宝の蔵王堂などは強制的に神社にされてしまったことは以前このブログにも書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-85.html上の画像は江戸時代後期に描かれた「吉野山...
吉野山の世界遺産を訪ねて~~金峯山寺から吉水神社、水分神社、金峯神社
前回は吉野山の金峯山寺のことを書いた。 「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたのは平成16年(2004)だが、この時に世界遺産に登録されたのは、①吉野・大峯②熊野③高野山のそれぞれの霊場とそれらの参詣道で、吉野山における世界遺産の構成資産は、金峯山寺だけでなく、吉水神社(よしみずじんじゃ)、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)、金峯神社(きんぷじんじゃ)の寺社の他に大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)および...
素晴らしい紅葉の古刹を訪ねて~~隠れた紅葉の名所・大門寺
毎年紅葉の見頃の時期を迎えると、あまり観光客の多い有名な場所はなるべく避けて、静かに紅葉を楽しめる場所を探すことが多いのだが、21日に訪れた茨木市の大門寺の紅葉は素晴らしかった。今年もいくつかの紅葉を楽しんできたのだが、なかでも大門寺の紅葉が一番気にいった。大門寺は今年の新緑の頃にいくつかの古刹とともに訪れて、以前このブログに書いたことがある。小さなお寺ではあるが、参道も境内の紅葉は本当に美しく、別...
一乗谷遺跡、永平寺から越前竹人形の里へ~~越前カニ旅行一日目その1
毎年カニのシーズンに旅行していることは何度かこのブログに書いた。今年は越前のカニを求めて芦原温泉に宿泊することとし、福井県の名所旧跡などを巡る計画をたてて、11/27~28にかけて旅行をしてきた。27日の朝に自宅を出て、最初に訪れたのが「一乗谷朝倉氏遺跡」。パンフレットによると、「朝倉氏は現在の兵庫県養父市八鹿町の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代、1467年...
千古の家、丸岡城、東尋坊から芦原温泉へ~~越前カニ旅行1日目その2
越前竹人形の里で素晴らしい竹人形を見た後、「千古の家」と呼ばれる坪川家住宅を見学に行く。パンフレットには「坪川家の先祖坪川但馬丞貞純は北面の武士で、源三位頼政(げんさんみよりまさ)の後裔といわれている。今を去るおよそ700年前、故あって、この地に定住した。…建てられたのは中世末期であるとされ、全国的にも貴重な民家の一つとされ…、昭和41年に国の重要文化財に指定され」たと記されている。 「北面の武士(ほくめん...
芦原温泉からみくに龍翔館、三国港、旧岸名家、養浩館庭園を訪ねて~越前旅行2日目
旅行の二日目は朝から雨だった。 芦原温泉の朝風呂に入り食事をゆっくり済ませたが雨はやまず、雨が止む事を祈りつつ旅程の順番を変更し、まずは「みくに龍翔館」に向かう。上の画像が「みくに龍翔館」なのだが、一度見たら二度と忘れないようなユニークなデザインだ。この五層八角形の建物が明治12年から大正3年まで三国に「龍翔小学校」として存在し、「みくに龍翔館」はその小学校の外観を模して昭和56年に建てられた郷土資料館...
1300年以上の古い歴史を持つ神峰山寺と本山寺を訪ねて
昨年の秋に「素晴らしい紅葉の古刹を訪ねて」という記事を書いて、大阪の茨木市の山奥にある大門寺という寺を紹介した。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-111.htmlこの大門寺を開いたのは桓武天皇の異母兄である開成皇子(かいじょうおうじ724-781)だが、開成皇子は天皇家の直系男子でありながら、正史である「続日本紀」には全く現れず、「元亨釈書」(日本最初の仏教通史:元享2年[1322]成立)、「本朝高僧伝」(元禄...
龍野公園と龍野城の桜を楽しむ
しばらく地震の記事ばかり書いていたら、ブログ仲間から桜の写真を催促されてしまった。 桜の時期になると毎年どこかへ桜を見に行くのだが、ブログを書き始めてからどこに行くか随分迷うようになったし、どこの写真を撮るにしてもアングルなどに随分こだわるようになった。 有名なところはどこへ行っても人が多いのでゆっくり景色を楽しめず、余程早くいかないと人や車や電線など余計なものが写ってしまう。マイクを使ってイベント...
能勢町の古刹と天然記念物「野間の大ケヤキ」を訪ねて
ゴールデンウィークの道路渋滞を避けて、一般道を通って大阪の北端にある能勢町に行って来た。能勢町はとてものどかな雰囲気で、美しい山並みと田園風景に結構癒される場所である。 大阪の都心や住宅地で滅多に見られなくなった「鯉のぼり」も、この時期にここまで来るといくつも泳いでいる。昔懐かしい茅葺の家も点在している。茅葺屋根の民家の庭に「鯉のぼり」が泳いでいるのを見ると、数十年前にタイムトリップしたような気分...
淡路島の東山寺に残された石清水八幡宮護国寺の仏像を訪ねて~~淡路島文化探訪の旅1
淡路島の文化財を調べていると「東山寺(とうさんじ)」というお寺に平安時代の仏像13体が国の重要文化財に指定されているのが目にとまった。この13体の仏像の由来を調べると、明治の廃仏毀釈の時に京都の石清水八幡宮護国寺(いわしみずはちまんぐうごこくじ)から淡路島のこの地に遷されたという記事を見つけて興味を覚え、この目で見たくなった。 6月になって淡路島の鱧料理が旬を迎えたので、この東山寺や淡路島の面白そうなとこ...
「国生み神話」ゆかりの神社を訪ねて、昼は鱧料理のフルコース~淡路島文化探訪の旅2
淡路島は「国生み神話」の舞台でもある。 高校時代に日本神話を学んだときは、史実でもない作り話にほとんど関心を持たなかったが、この歳になって実際に「古事記」や「日本書記」を読んでみると、結構面白いのだ。 「国生み神話」は「古事記」と「日本書紀」とは微妙に異なるところがあるが、たとえば「古事記」にはこのように書かれている。 「そこで天の神様方の仰せで、伊耶那岐の命(いざなきのみこと)・伊耶那美の命(いざなみ...
淡路人形浄瑠璃と高田屋嘉兵衛と淡路特産玉葱の「七宝大甘」~~淡路島文化探訪の旅3
お昼に鱧料理を堪能し、再び淡路島のドライブを続ける。つぎに紹介したいのは淡路島の伝統芸能である人形浄瑠璃だ。大阪の文楽や徳島の阿波人形などのルーツだと言われており、昭和51年(1976)に国の重要無形民俗文化財に指定されている。 淡路島人形浄瑠璃の歴史は南淡路市のHPに簡記されている。http://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/index/page/dbb2afd6c95a4c8fc86b63d694339cda/ が、もう少し詳しく知りたい人は、次のサイ...
奈良の白毫寺と消えた多宝塔の行方
奈良は国宝や重要文化財の宝庫である。 平成16年のデータでは奈良県の国宝数は205で、東京、京都に次いで多く、全国の国宝の19%が奈良県にあることになる。また奈良県の国指定重要文化財の数は1377で、全国の11%だ。www.bunka.go.jp/1hogo/excel/kokuho0430.xls しかし上のデータには美術館や博物館などが所蔵する美術品や書跡、古書などの数字がかなり含まれている。大きな博物館や美術館が多い東京や京都の数字が多いのは当然の...
国宝の新薬師寺本堂で12体の国宝仏像に囲まれて
前回は白毫寺のことを書いたが、白毫寺から田園風景の残る静かな住宅地のなかの細い道を歩いて15分もすれば新薬師寺の南門に到着する。門をくぐると国宝の本堂が見えてくる。この建物は天平時代の建築で、新薬師寺創建当初の建物なのだそうだ。この本堂の中に、国宝の仏像が12体も安置されているのだ。 古刹の一つの建物の中で、これだけ多くの国宝の仏像を間近に参拝できる場所はかなり少ないと思われる。 以前このブログで「東大...
東大寺戒壇院と、天平美術の最高傑作である国宝「四天王立像」
新薬師寺の国宝仏像を鑑賞した後、続けて天平時代の国宝仏像が見たくなった。 東大寺の戒壇院には有名な国宝の「四天王立像」がある。この仏像は今までテレビや写真でしか見たことがなかったのだが、ずっと以前からこの仏像を自分の目で見たいと思っていたので、新薬師寺を見た後に奈良公園を抜けて東大寺戒壇院に向かった。上の画像が東大寺戒壇院だ。戒壇院は誰でも知っている東大寺大仏殿から300m程度西側にあるのだが、ここに...
奈良西大寺から秋篠寺を訪ねて
東大寺戒壇院の四天王立像を見た後に、近鉄奈良駅から西大寺駅まで乗って、そこから歩いてすぐの「西大寺」に向かった。上の画像は「東門」だ。 西大寺の創建は、奈良時代の天平宝字8年(764)に称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のために七尺の金銅四天王像の造立を発願されたことから始まるのだが、造営当初の境内の広さは東西十一町、南北七町、面積三十一町(約48ヘクタール)と広大で、ここに薬師、弥勒の両金堂をはじめ東西両塔、四...
世界遺産の越中五箇山の合掌造り集落を訪ねて~~富山・岐阜・愛知方面旅行1
毎年真夏の時期には避暑をかねて旅行することにしているのだが、今年は7/29~7/31の3日間、富山から岐阜方面に行って来た。 初日の7/29は越中五箇山の合掌造り集落を見てから、福地温泉に行く旅程だ。 自宅を早朝に出て、11時頃に五箇山ICを出て五箇山観光の拠点である上梨地区の駐車場に到着した。 「合掌造り」といえば白川郷が圧倒的に有名だが、五箇山の相倉地区や菅沼地区の合掌造り集落も世界遺産に認定されており、五箇...
飛騨古川から禅昌寺を訪ねて下呂温泉へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行2
旅行は二日目の朝を迎えたが、前日から降り出した雨が朝も降り続いていた。 雨に打たれながら露店風呂にゆったり浸かりつつ雲行きや周りの山々を見ても、当面天候が回復しそうな様子ではない。 天気がよければ新穂高ロープウェイに乗って山頂から素晴らしい眺めを見て、帰りに北アルプス展望園地や北アルプス大橋をドライブで巡るつもりだったのだが、予定を変更して飛騨古川に向かい、そこでゆっくりすることにした。 飛騨古川は...
下呂温泉から国宝犬山城へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行3
旅行もいよいよ三日目の最終日になった。 下呂温泉の朝風呂に入ったのち、天気が良かったので近くを散歩することにした。ホテルの部屋から竪穴式住居のようなものが見えるのがずっと気になっていたので、ホテルから縄文橋を渡り「ふるさと歴史館」の近くに出かけることにした。ここまで来て初めて知ったが、この辺りは今から5800年ほど前の縄文時代前期と1800年ほど前の弥生時代の集落遺跡が発見されて「峰一合(みねいちご)遺跡」...
東大寺の大仏よりもはるかに大きかった方広寺大仏とその悲しき歴史
ネットで古い写真を探していると、明治13年(1880)に撮影された京都名所の写真集に遭遇した。http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/satsuei/page7/KM_08_01_001_1.html 国際日本文化研究センターのサイトにいけば誰でもこの写真集を見ることが出来るのだが、そこに写っている写真は私も何度か行ったことがあるようなお寺や神社のものが大半だ。写真を見てどこを撮影したものかはある程度見当がついたのだが、この写真だけは少なから...