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しばやんの日々

明治政府にとって「徴兵制」のハードルは高かった

教科書などでは、明治4年(1871)の「廃藩置県」について、明治政府は薩長土三藩から御親兵を募り中央集権を固めたうえで、藩を廃して県と呼び、知藩事(旧藩主)を失職させて東京への移住を命じ、各県には知藩事に代わって新たに県令を中央政府から派遣したことが記されている。この廃藩置県を断行するということは、国の防衛のありかたを根本的に見直さざるを得なくなるのだが、その点については明治政府内で様々な議論があったよう...

完成したばかりの巡洋艦『畝傍』が日本に向かう処女航海で行方不明となったこと

明治十九年(1886年)にフランスで建造された日本海軍軍艦の畝傍(うねび)は、当時としては最新式の巡洋艦で、十月に竣工したのち日本に向かうのだが、その途中で行方不明となってしまった。平田晋策著『新戦艦高千穂』という本を読むと、この畝傍という軍艦がいかに期待されていたかがよくわかる。「明治十九年。その頃の日本海軍は、実に貧弱な海軍だった。第一線に立って戦闘の出来る軍艦は、三千七百トンの海防艦『扶桑』(一代目)...