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しばやんの日々

隠れ切支丹の里

171号線の中河原交差点から忍頂寺福井線に入り、履正社茨木グラウンドから山道に入る。サニータウンを抜け大岩郵便局を過ぎると暫く樹木のトンネルのようなところを走る。そこを過ぎると、棚田が広がるのどかな田園風景になり、しばらく行くと「キリシタン遺物資料館」の案内標識がある。案内通り左折するとその資料館(茨木市大字千提寺262)がある。思ったよりも小さい資料館だった。 キリスト教がフランシスコザビエルによって天...

石清水八幡宮と松花堂弁当

徒然草の第52段に「仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、或る時思い立ちて、ただひとりかちよりまうでけり。」ではじまる有名な文章があるが、最近になってこの石清水八幡宮が以前は仏教を中心とする施設であったことを知った。 石清水八幡は貞観2年(860年)僧行教によって寺院として創建され、後に神仏習合で神社と共存するのだが、「男山四十八坊」と言われるように男山全体は以前は圧倒的にお寺...

大山崎美術館と宝積寺

前回石清水八幡宮と松花堂庭園に行ったことを書いたが、その日は時間があったのでそれから大山崎美術館とすぐ近くの宝積寺に立ち寄った。 大山崎美術館の建物はもともとは1911年に実業家加賀正太郎が個人の別荘として建てたものだそうだが、バブルの頃にある不動産会社がこの建物を壊してマンションを開発する計画が持ち上がったらしい。地元住民からこの大正期の立派な建築物を壊すことに強い反対運動が起こる中、アサヒビールが...

虎なら無量寺の「龍虎図」、串本の昼は萬口の鰹茶漬け

年賀状を準備する季節になってきた。といっても、15年ほど前からずっとパソコンで年賀状を作っているのでポイントはどの図柄を選ぶかなのだが、虎の絵なら今年見てきた無量寺にある長沢芦雪の「龍虎図」が素晴らしかったのでこの虎の顔を拡大して年賀状に使うことにした。 今年の9月に南紀方面の旅行を計画していた時に、無量寺というお寺が串本にあることを知って旅程に組み入れたのだが、実際に訪れてみると小さいお寺ではあるが...

紀伊大島の樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、海金剛など

前回串本で無量寺に行って萬口の鰹茶漬けに感激したことを書いたが、串本の旅行の当初の目的はそこからくしもと大橋を渡って紀伊大島に行き、樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、トルコ記念館、海金剛を見ることがメインだった。 実はこの場所をずっと前から見たいと思ってきたのだが、その理由は10年前にインターネットで次の文章を読んで感激してしまったからである。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html親...

日本の歴史を変えた紀伊大島の人々

前回はエルトゥールル号事件のことを書いたが、その事件の4年前の1886年10月24日に、やはり紀伊大島で日本の歴史を変えるきっかけとなったノルマントン号の遭難事件が起こったことも書いておきたい。この事件を最初に発見したのは紀伊大島樫野崎灯台の灯台守と記録にあるので、遭難場所はエルトゥールル号の遭難場所にかなり近かったはずである。記録によると発見した灯台守の連絡により百四十人余りの漁師がただちに海に乗り出し...

かみがもばなし

以前、四条大橋が明治初期の廃仏毀釈で強制的に取り壊されたお寺の鐘や仏具を溶かして橋材に使われたことについて書いた。この時期にどれだけのお寺が取り壊されたかについては良く分からないが、京都でこれだけのお寺が無くなったのであれば、庶民の記録のようなものが何か出てこないのだろうかとネットでいろいろ探したことがある。 当時は神社と寺院が共存していたことをヒントに、有名な神社をいくつか調べていくと、「かみが...

悲しき阿修羅像

今年の春から秋にかけて東京と九州で開催された国宝阿修羅展は、それぞれ95万人、71万人という多数の入場者を集め大変な盛況だったそうだ。私も阿修羅像は大好きで、昨年の秋に正倉院展を見た後に、興福寺の国宝館の阿修羅像を鑑賞して帰った。その時は興福寺の歴史を良く知らなかったのだが、興福寺は明治時代の初期に廃仏毀釈によって建物を壊されたり仏像仏具が消滅するなど甚大な被害を受けていることを後で知った。 今の奈良...