Welcome to my blog

しばやんの日々

明治時代に参政権を剥奪された僧侶たち

私が京都のお寺に生まれたことは何度かこのブログに書いたが、子供のころに何の理由もなく「くそ坊主」とか「洟垂れ小僧」などと罵られていやな思いをするようなことが何度かあった。このようなことは私に限らずお寺で生まれた人は少なからず経験したとは思うのだが、私が時々このブログで紹介する「廃仏毀釈百年」という本の著者である佐伯恵達氏も宮崎県のお寺の息子で、著書の中で「毎日のようにののしられ…、学校に行っても、...

東大寺二月堂のお水取り

例年3月1日から14日まで行われる東大寺の二月堂の「お水取り」だが、一回り大きい松明が欄干に並ぶ12日の「お松明」や最終日は毎年凄い人らしい。今年は平城遷都1300年に当たり、バスツアーでの観光客も多く例年以上の人出が予想されている。「お水取り」は修二会(しゅにえ)と呼ばれ、天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁(ろうべん)僧上の高弟、実忠和尚によってはじめられた春を迎える法会で、本尊の十一面観音の前で、11人の...

醤油の歴史と本物の醤油の見分け方

醤油のルーツは古代中国から伝わったと言われているが、 いつの時代に伝わったかは良く分からない。 大宝律令には宮内庁の大膳職に属する「醤院(ひしおつかさ)」で大豆を原料とする「醤(ひしお)」が作られていたと書かれているそうだ。当時の「醤」は今の醤油と味噌の中間のようなものだったそうだ。 今の醤油はいつごろ生まれたかと言うと諸説があるようだが、湯浅で聞いた話では、鎌倉時代の中頃に紀州の禅寺「興国寺」の開祖「...

「お彼岸」で先祖を祀るのは仏教以前の風習か

もうすぐ春分の日だが、この日を挟んで前後三日ずつの一週間を「春のお彼岸」といい、今年の春の「彼岸の入り」は3月18日で、「彼岸の明け」は3月24日だ。 同様に秋分の日を挟んだ一週間を「秋のお彼岸」と言い、今年の秋の「彼岸の入り」は9月20日で「彼岸の明け」は9月26日となる。 「彼岸」とは向こう岸を意味する言葉だが、仏教では煩悩を脱した悟りの境地に達した事を言い、煩悩や迷いに満ちた現世の事を、こちら...

「おはぎ」と「ぼたもち」の違い

最近いろんなお店で、「おはぎ」が沢山店頭に並べられている。今日は「お彼岸の中日」で、彼岸の時期に「おはぎ」を食べるのは日本古来の伝統である。私の京都の実家はお寺で、春や秋の「お彼岸」の法要には毎年沢山の檀家の方々が集まり、昔は集まった皆さんのお昼の食事を、婦人会の方々が手分けして作って振る舞われておられたことを良く覚えている。そしてこの時期に必ず用意されるのが粒あんで丸く作られた「おはぎ」なのだが...

県名と県庁所在地とが同じ県と違う県の意味?と歴史

はじめて日本の地理を学んだときに、県名と県庁所在地名をセットで覚えた。その時に多くの人は、例えば奈良県・奈良市や岡山県・岡山市というように県庁所在地の名称がそのまま県名になっていることか多いので、三重県・津市のような例外の18都道府県だけしっかり覚えれば良いということに気が付いて、例外の県だけをしっかり学習する。 県名は明治4年の廃藩置県で決まったものだが、何故このような例外が生じたかについてはあまり...

祖谷のかずら橋

ずっと前から、徳島県祖谷(いや)地方に行ってみたいと思っていた。どうせ行くのなら、桜の咲きそうな季節にと思い、3/27から2日間家内と祖谷地方から金毘羅さんを巡るドライブ旅行に行ってきた。 早朝に吹田の自宅を出て11時ごろ大歩危近辺にあるもみじ亭で「祖谷そば」を食べ、大歩危の「まんなか」という旅館から出航する大歩危峡遊覧船に乗って吉野川の激流が2億年もの時を経て大自然が作り出した渓谷美を楽しむ。大歩危あたり...