伊勢神宮より古い神社と伊根の舟屋を訪ねて~~二年前の天橋立カニ旅行②
宮津温泉の茶六別館で朝食を済ませて、天橋立をゆっくり眺めながら、傘松公園の近くの「元伊勢籠神社*(もといせこのじんじゃ)」に行く。(*「籠神社」とも言う。)「元伊勢」という字が冠されるのは、天照大御神や豊受大神を伊勢神宮の内宮・外宮に鎮座する前にこの場所で祀っていたという伝承をもつことを意味するそうだが、第十代崇神天皇の御代に日本国中に疫病が大流行したらしく、それがきっかけとなって何度も遷宮を繰り返し、...
坂本龍馬の妻・お龍のその後の生き方
高知市の坂本龍馬記念館に、妻・お龍の若い頃の写真と晩年の写真が拡大されて展示されていた。この写真はネットでも容易に見つけることが出来る。この若い頃の写真は、龍馬の京都での定宿で暗殺現場ともなった「近江屋」の主人(井口新助)のご子孫の家で、昭和54年に見つかった写真を複写したものだそうだ。ちょっと痩せているが、今でも充分「美人」で通用する女性と思われる。この写真は、傍らの洋風の椅子、背後の壁などから、明...
お龍は何故坂本家を飛び出したのか、お龍の言い分
前回は龍馬が亡くなってからのお龍の人生を辿ってみた。お龍が坂本家からも海援隊メンバーからも嫌われていたことから、お龍の人生があのような淋しいものになったのはお龍の性格に問題があったのだとは思うが、お龍自身が坂本家についてどう語っているかも知りたくなった。ネットで「わが夫坂本龍馬」(一坂太郎著:朝日選書)という本を取り寄せて読んでみた。この本には、安岡秀峰が晩年のお龍から聴取した回顧談をまとめた「反魂...
龍馬の二番目の姉・栄はなぜ「龍馬伝」に出てこなかったのか
今年の五月に高知方面を旅行したときに、龍河洞の帰りに「龍馬歴史館」を訪ねて、坂本龍馬の一生の出来事を蝋人形で再現させた展示物を見てきた。その中で、「龍馬脱藩・姉栄の自殺」という展示があった。 姉の栄が刃物で自殺をしようとする人形で、解説にはこう書いてあった。 「…兄の権平は龍馬の不穏な空気を怪しみ、万一過激な行動を取ったら家を危うくする恐れがあると心配して龍馬から刀を取り上げ『龍馬が何を言ってきても...
丹波に秋の味覚を求めて~~丹波栗の歴史と生産農家の危機
17日の日曜日は朝から秋らしい爽やかな天気で、秋の味覚を求めにちょっと車を走らせた。 摂丹街道(R423)を北に走ると、大阪府と京都府の境界線あたりから地元の農産物などが安く買えるところがいくつかある。 途中で朝市もあれば、農家が獲れたばかりの農産物を庭先で売っていたり、飲食店を経営しているところが野菜や果物を店先に並べていたりする。私が良くいくところはそういう場所だ。この近辺までくれば、店によって若干の価...
丹波篠山の重要文化財・天然記念物を訪ねて~~磯宮八幡宮と大国寺
24日の日曜日も天気が良かったのでまた田舎道をドライブしたくなった。 先週は亀岡だったが今度は丹波篠山を目指すこととして、事前に丹波篠山の国指定の重要文化財がどこにあるかを調べてみたところ全部で16あり、その内の6つは大国寺という天台宗の寺院にあることがわかったので、まずはその寺を目指すことにした。 吹田から一般道を走り池田から川西、猪名川につながる川西篠山線(県道12)を北上していく。 途中で磯宮八幡神社と...
坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その3
以前、龍馬を暗殺したのは誰かについて2度にわたりこのブログで書いた。そこでは、この事件の黒幕がいたかどうかについては諸説があるが、暗殺の実行犯については京都見廻組で、龍馬を斬ったのは今井信郎だというのが定説になっていることを書いた。しかし今井の言うことを全く信用しなかった土佐藩の谷干城(たにたてき:第二代学習院院長、初代農商務大臣)もいる。どちらが正しいのだろうか。明治33年(1900)に今井信郎は甲斐新聞...