世界遺産の越中五箇山の合掌造り集落を訪ねて~~富山・岐阜・愛知方面旅行1
毎年真夏の時期には避暑をかねて旅行することにしているのだが、今年は7/29~7/31の3日間、富山から岐阜方面に行って来た。 初日の7/29は越中五箇山の合掌造り集落を見てから、福地温泉に行く旅程だ。 自宅を早朝に出て、11時頃に五箇山ICを出て五箇山観光の拠点である上梨地区の駐車場に到着した。 「合掌造り」といえば白川郷が圧倒的に有名だが、五箇山の相倉地区や菅沼地区の合掌造り集落も世界遺産に認定されており、五箇...
飛騨古川から禅昌寺を訪ねて下呂温泉へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行2
旅行は二日目の朝を迎えたが、前日から降り出した雨が朝も降り続いていた。 雨に打たれながら露店風呂にゆったり浸かりつつ雲行きや周りの山々を見ても、当面天候が回復しそうな様子ではない。 天気がよければ新穂高ロープウェイに乗って山頂から素晴らしい眺めを見て、帰りに北アルプス展望園地や北アルプス大橋をドライブで巡るつもりだったのだが、予定を変更して飛騨古川に向かい、そこでゆっくりすることにした。 飛騨古川は...
下呂温泉から国宝犬山城へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行3
旅行もいよいよ三日目の最終日になった。 下呂温泉の朝風呂に入ったのち、天気が良かったので近くを散歩することにした。ホテルの部屋から竪穴式住居のようなものが見えるのがずっと気になっていたので、ホテルから縄文橋を渡り「ふるさと歴史館」の近くに出かけることにした。ここまで来て初めて知ったが、この辺りは今から5800年ほど前の縄文時代前期と1800年ほど前の弥生時代の集落遺跡が発見されて「峰一合(みねいちご)遺跡」...
前期倭寇は元寇の復讐だったのか~~倭寇1
中学や高校時代に日本史の室町時代の授業で「倭寇」を学んだ。その時はなぜ、日本人がこの時期に急に海賊行為を始め、その活動が大規模になったのかが良くわからなかった。 対馬や壱岐の歴史を振り返ると、平安時代の寛仁三年(1019)に「刀伊の入寇」という事件がある。この事件を調べると市販の山川の日本史教科書では「とつぜん刀伊(女真人)が、対馬・壱岐・筑前をおそった。…これは大宰府とその周辺の土豪の力によってしりぞけら...
「高麗史」を読めば朝鮮半島の倭寇をエスカレートさせた原因がよくわかる~~倭寇2
『高麗史』を読んでいると、14世紀の半ばから倭寇の話が驚くほど頻繁に記述されている。Wikipediaによると高麗末期に500回前後の記述があるとのことだが、その内高麗人が加わっていたことが明記されているのは3件だけなのだそうだ。そのことから、前期の倭寇の主体は日本人だったと考えられている。前回の記事で書いた通り、中国の正史である『明史』には明が興こった (1368年) 頃に、「地方の有力者で明に服さぬ者たちが日本に亡...
中国の史料では後期倭寇は中国人が中心だが、奴隷売買に関与はあったか~~倭寇3
以前このブログで、「400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと」という記事を書いた。この記事は、ブラジルの日系人のための新聞である「ニッケイ新聞」に連載された記事の紹介から書き起こしている。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-116.html その記事とは16世紀の中頃から1600年頃までの間の50年間に大量の日本人が南米に奴隷として渡ったことを当時の記録などを引用しながら書かれた記事...