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しばやんの日々

鞆の浦周辺の古い街並みを楽しむ

岡山の古社寺を楽しんだ後、宿泊先である鞆の浦(とものうら)に向かう。鞆の浦は広島県福山市の沼隈半島の南端にあり、その周辺の港町を鞆町という。 鞆の浦についてWikipediaにはこう書かれている。 「瀬戸内海の海流は満潮時に豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に流れ込み瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、逆に干潮時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転す...

幕末の動乱期にわが国が独立を維持できた背景を考える~~GHQが封印した歴史 3

嘉永6年(1853)6月に、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航し強硬な態度で幕府に開国を迫り、翌年にその圧力に屈して日米和親条約を締結し、寛永16年(1639)以降200年以上続いた鎖国体制は終りを告げた。その後、和親条約により下田に駐在したハリスの強い要求に応じて、江戸幕府は安政5年(1858)に日米修好通商条約に調印した。この幕府の決定が反対派の公家・大名や志士達を憤激させた。大老の井伊直弼...

ハワイ国王を援けられなかった明治の日本~~GHQが封印した歴史4

ハワイの先住民族はポリネシア系に属し日本と同じモンゴロイドで、宗教も多神教であったそうだ。人々が島々で平和な暮らしをしていたのだが、1778年にイギリス人の探検家ジェームス・クックに発見され、それから欧米人との接触により急速に変貌していった。それまでハワイ先住民は小さな部族に分かれていたが、ハワイ島のカメハメハがイギリスから武器や軍事顧問などの援助を受けて、マウイ島、オアフ島などの周辺の島々を征服して...

アメリカ人が王朝を転覆させたハワイ王国の悲劇と日本~~GHQが封印した歴史5

前回は、アメリカ人の武力による圧力で署名させられた憲法により、国政に対する権限のほとんどを奪われたカラカウア王が、失意と孤独の内に1891年1月に病死し、その志を継いだ妹のリリウオカラニ女王が即位したところまでのことを書いた。 今回は、その後ハワイがいかなる方法でアメリカに奪われたかを記すことにする。リリウオカラニ女王は、アメリカ人を中心とする共和制派との対決姿勢を強め、純粋なハワイ人の王朝を回復する...

アメリカはいかにしてスペインからフィリピンを手に入れたか~GHQが封印した歴史6

前回まで2度に分けてアメリカによるハワイ王朝打倒の話を書いたが、ハワイ以降のアメリカによる19世紀末の太平洋進出を理論的に正当化した人物として、A.T.マハンという人物がいる。彼は『海上権力史論』という著書の中で、欧米史においてシーパワーがいかに重要であったかを論証したのだが、そのA.T.マハンが、1897年の米上院外交委員会の報告書で次のように記している。 「現下のハワイ紛争は、めざめつつある東洋文明の力と西洋...