「明治天皇すり替え説」を追う
2年以上前にこのブログで「明治の皇室と仏教」という記事を書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-125.html内容を簡単に振り返ると、明治政府は明治4年9月24日の「皇霊を宮中に遷祀する詔」により、上古以来、宮中に祀られていた仏堂・仏具・経典等、また天皇・皇后の念持仏など一切を天皇家の菩提寺である京都の泉涌寺に遷し、その代わりとして神棚が宮中に置かれて、宮中より仏教色を一掃することになった。そ...
戦国時代の祇園祭を見た宣教師の記録を読む
以前何度かこのブログで紹介したが、戦国時代の日本にイエズス会の宣教師として来日したルイス・フロイスが当時のわが国の記録を詳細に残しており、中公文庫の『フロイス日本史』でその日本語訳を読むことができる。フロイスのこの著書の第1分冊に、今年ももうすぐ山鉾巡行が行われる京都『祇園祭』の記録を見つけたので紹介したい。イエズス会が我が国に派遣したポルトガル人宣教師ガスパル・ヴィレラについての1562年の記録の一...
安土城を絶賛した宣教師の記録を読む
安土城は天正4年(1576)に織田信長によって琵琶湖東岸の安土山に築城された山城で、わが国で最初に大型の天守閣を持った城なのだが、建造後わずか6年後の天正10年(1582)に天守閣が焼失し、その後天正13年(1585)に廃城となっている。 下の図は大阪城天守閣所蔵の「安土城図」で、当時は琵琶湖に接していたのだが、昭和期に周囲が干拓されて今では湖岸から離れた位置に城址が残っている。 前回の記事で紹介した『フロイス日本史』の第...
信州の諏訪大社を訪ねて~~諏訪から南信州方面旅行1日目
長野県中部の諏訪湖の近くにある「諏訪大社」に是非行ってみたいと思って、諏訪から南信州を巡る二泊三日の旅程を組んで先日行ってきた。しばらく、この旅行のレポートを書くことにする。 旅行に行く前に事前に下調べをしたのだが、恥ずかしながら「諏訪大社」に「上社前宮」「上社本宮」「下社春宮」「下社秋宮」の4宮もあることを、これまで知らなかった。諏訪湖の南に上社の2宮があり、諏訪湖の北に下社の2宮があるのだが、大阪...
御柱祭の木落し坂から名所を訪ねて昼神温泉へ~~諏訪から南信州方面旅行2日目
ホテルの朝食前に諏訪湖畔の散歩に出た。雲がかかって山の景色は見ることができなかったが、国の重要文化財である「片倉館」は見ておきたかった。 「片倉館」は諏訪に製糸業を起こした片倉財閥の2代目、片倉兼太郎氏が昭和3年(1928)に造った温泉施設で、レンガ造りのお城のような立派な建物だ。この建物は片倉財閥の創立50周年を記念して建てられて今も大衆浴場として営業しており、中には大理石の彫刻などが多数あるらしいのだが...
昼神温泉から平成の宮大工が建てた寺などを訪ねて~~諏訪から南信州方面旅行3日目
旅館の朝風呂につかってから、昼神温泉の「朝市」に出かける。 観光地で「朝市」を行なっているところは少なくないが、昼神温泉の朝市の規模は思ったよりも大きかったし、朝の6時だというのになかなかの賑わいだった。昼神温泉の朝市は朝の4月~10月は6時から8時まで、11月~3月は6時半から8時までの短い時間なのだが、毎日欠かさず開催されているというのがすごい。地元の農産物やその加工食品などをたくさん並べておられて、浴衣...
源義経が奥州平泉で自害したというのは真実なのか
源義経は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟で幼名を牛若丸と呼ばれ、父の源義朝が敗死した後に鞍馬寺に預けられ、その後奥州藤原氏の当主藤原秀衡の庇護をうける。兄の頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦で活躍し、平氏を滅ぼした最大の功労者であるのだが、その後頼朝と対立して朝敵とされ、再び義経は藤原秀衡を頼って奥州平泉に赴いた。しかし、義経を匿っていた秀衡は文治3年(1187)10月2...