廃仏毀釈などを強引に推し進めて、古美術品を精力的に蒐集した役人は誰だ
前回の記事で奈良の最初の県令であった公家出身の四條隆平(しじょうたかとし)という人物の廃仏政策で、興福寺が多大な被害を受け、内山永久寺という大寺が破壊されたことを書いた。県令というのは大名に代わって地方行政を任された明治政府の役人である。この四條隆平が奈良の県令の地位にあったのは、明治4年11月から明治6年11月とわずか2年のことなのだが、この県令による廃仏政策で興福寺の門跡寺院であった一乗院、大乗院が廃...
津山城址と千光寺の桜を楽しむ
毎年桜の時期になると、桜の美しいところを訪ねてブログの記事を書きたくなるのだが、ずっと以前にポスターで見た岡山県の津山城址の桜が素晴らしかったのが気になっていた。たまたま4月に広島方面に行く予定があったので津山市に途中で立ち寄ることにし、津山城址の満開の桜をこの目で見て、あわせて津山市の名所旧跡などを訪ねることにした。 津山城は、織田信長の小姓・森蘭丸(もりらんまる)の末弟の森忠政(もりただまさ)が、慶...
開国・維新後のわが国の近代化の礎を築いた津山の洋学者たち
千光寺の枝垂れ桜を楽しんだ後、西新町の出雲街道沿いにある津山洋学資料館に向かう。 以前の洋学資料館は出雲街道沿いをもっと東に進んだ場所に赤レンガの建物があったそうだが、平成22年3月に現在の場所に移転したばかりなのだそうだ。ここには『解体新書』『本草綱目』などの古書や、木製の人骨模型や、さまざまな道具や文書などわが国の洋学の貴重な史料が多数展示されている。駐車場もあるので出雲街道沿いの町並み保存地区近...
津山の文化財を訪ねた後、尾道の桜を楽しむ
津山の「樹庵」の食事を終えて、午後は津山の文化財を巡る計画を立てていた。 最初に訪れたのは、美作一の宮の「中山神社」。ご祭神は鏡作(かがみつくり)命・大己貴(おおなむち)命・吉備津彦(きびつひこ)命である。 現地の案内板によると、こう書かれている。 「中山神社は、慶雲四年(707)の創建と伝えられる美作国の一宮です。『延喜式』にも載せられた式内社で、『今昔物語』には『今昔(いまはむかし)、美作国ニ中参(中山)・高野...
韓国皇帝が伊藤博文を「韓国の慈父」と呼んだ経緯~~~伊藤博文暗殺その1
わが国の初代首相であった伊藤博文は、明治42年(1909)10月26日にハルビン駅頭で、韓国の独立運動を進めていた安重根によって射殺されたというのが定説になっている。韓国では、安重根は抗日戦争の英雄と評価され、1970年にはソウルに「安重根義士記念館」が建設されるなど、まるで韓国の国民的英雄扱いだ。しかし、伊藤博文を暗殺した犯人は安重根でないという説が、随分昔からある。そもそもこの時に伊藤博文の随行員として事件現...
伊藤博文を撃ったのは本当は誰なのか~~~伊藤博文暗殺その2
韓国最大の発行部数を誇る「朝鮮日報」という新聞の日本語サイトに、今年の3月24日付で「安重根の公判記録を隠した日本」という記事が出たようだ。この記事は多くの人が注目して、2ちゃんねるやさまざまなブログなどで紹介されている。 今回のテーマに関わる部分なので、記事の肝心な部分を引用しておく。記事の全文は、次のURLで読むことが出来る。http://asia-news.doorblog.jp/archives/24925872.html 「今月26日に没後103周年...