聖徳太子の時代にわが国は統一国家であったのか~~大和朝廷の統一1
学生時代に、遅くとも4世紀の半ばまでには大和朝廷によってわが国が統一されたことを学んだ記憶があるが、最近の教科書もおおむね同様な結論になっているようだ。たとえば『もういちど読む山川日本史』の本文では「大和朝廷」という言葉は使わずに「ヤマト政権」という表記をし、「ヤマト政権」が国内統一を行なった時期については本文には明確な表現がないのだが、巻末の年表で西暦300年と400年の間に、「この頃大和王権、統一進...
唐の時代の正史では倭国と日本国とは別の国である~~大和朝廷の統一2
学生時代に歴史を学んだ時に、「倭国」と「日本国」とは同じ国のことだと教えられてずっと鵜呑みにしてきたのだが、最近になって中国の正史である『旧唐書(ぐとうしょ)』*東夷伝では「倭国」と「日本国」とが別々に書かれている事を知った。それぞれの位置関係を記した部分を中心に、現代語で内容を紹介したい。*『旧唐書』:中国五代十国時代の後晋出帝の時に編纂された歴史書。完成は開運2年(945) 先ず「倭国」である。原文と読...
『日本書紀』は、わが国が統一国家でなかった時代を記述している~~大和朝廷の統一3
前回の記事で中国の正史である『旧唐書』に「倭国」と「日本国」とは別の国として書かれていることを紹介した。そこには「倭国」は昔の倭の奴国であり、代々中国に使節を送っていた国であることが明記されている。『後漢書』には倭奴国が使節を派遣した際に光武帝が金印を授けたとの記録があり、その金印が江戸時代に福岡市東区の志賀島で発見されている。『隋書』には阿蘇山のことが書かれている。普通に考えれば、「倭国」は九州...
仏教伝来についての教科書の記述が書きかえられるのはいつか~~大和朝廷4
前回の記事で、『日本書紀』の「書」という文字は、日本列島の中に「日本国」とは別の有力な国家が存在していたことを意味しているという中小路駿逸氏の論文を紹介した。この論文を読むと、「4世紀中ごろまでに大和朝廷によってわが国の統一がされた」という日本史の常識に、誰しも大きな疑問を持つことになるだろう。前回記事の最後に、『日本書紀』の敏達天皇13年(584)に仏法が播磨から大和に伝わった記録があることを書いたが、...
法隆寺再建論争を追う
古代史の話題が続いて恐縮だが、今回は「法隆寺再建論争」のことを書くことにしたい。学生時代に法隆寺は世界最古の木造建築物だと学んだ記憶があるが、その法隆寺が再建されたものなのか、建立された当時のままなのかという議論が明治時代からはじまっていて、若草伽藍の発掘が終わって再建論が確定したかと思いきや、未だに議論が続いているようなのだ。では再建論と非再建論は何を根拠としているのだろうか。論争のことを書く前...
シーボルトと日本の開国
ドイツ人のシーボルトが長崎出島のオランダ商館医として来日したのは文政6年(1823)、27歳の時であった。彼は、来日した翌年に鳴滝塾を開設し、日本各地から集まってきた医者や学者たちに講義をし、高野長英、二宮敬作、伊藤玄朴ら、多くの弟子を育て、文政9年(1826)にはオランダ商館長の江戸参府に随行し、将軍徳川家斉に謁見したほか、最上徳内や高橋景保ら多くの学者と交流したという。そのシーボルトが文政11年(1828年)9月、所...