白骨温泉から奈良井宿、阿寺渓谷を散策のあと苗木城址を訪ねて
白骨温泉で清々しい朝を迎えて、小鳥の囀りを聞きながら白濁した源泉かけ流しの温泉に浸かったあと、時間があったので宿の近くを20分程度散策した。旅館から県道300号線に出てしばらく歩くと江戸時代に湯治客の有志が建てたと言われている三十三観音がある。さらに進むと「竜神の滝」と呼ばれる滝があり、そこから遊歩道が整備されている。原生林の緑に囲まれた道を少しばかり歩くと、湯川が石灰岩を侵食してできた「隧通し(すいと...
苗木藩の廃仏毀釈と、その史跡を訪ねて
前回の記事で、苗木藩では徹底した廃仏毀釈が行われて、藩内の15ヶ寺全てが明治の初期に廃寺となったことを書いた。 今までこのブログで廃仏毀釈のことを何度か書いてきたが、苗木藩の廃仏毀釈は相当激しいものであったことを多くの人が指摘している。なぜ苗木藩のような小さな藩で、徹底した廃仏毀釈が行われたのだろうか。まずそのことについて考えることとしたい。12代藩主の遠山友禄(ともよし)は慶応3年(1867)6月まで幕府若年...
日本百名城の一つである岩村城を訪ねた後、国宝・永保寺に立ち寄る
苗木藩の廃仏毀釈の史跡を見た後、岩村城跡(県史跡)に向かう。 岩村城は鎌倉時代中期頃に、砦あるいは城館のようなものが平坦部に築かれ、戦国時代に入って本格的な城山が築かれたとされる。この城の本丸は標高717mの城山山頂にあり、諸藩の居城の中では最も高い場所にあるのだそうだ。この城の付近でよく霧が発生するために、別名「霧が城」とも呼ばれている。また岩村城は、高取城(奈良県高市郡高取町)、備中松山城(岡山県高梁市...
GHQ情報部長が、日米は戦うべきではなかったと述べた理由
以前このブログで、三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』という書物が英訳されて、当時GHQ(連合国総司令部)の情報部長であったウィロビーの眼に止まったことが、米国で「ゾルゲ捜査」を始めるきっかけとなったことを書いた。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html マッカーサーはこのウィロビー将軍のことを、「在任中に出会った最も優れた知性派の将校であり、陸軍広しといえども将軍に続く人物を...
終戦後大量の日本兵がソ連の捕虜とされ、帰還が遅れた背景を考える
昭和20年(1945)8月14日の御前会議でポツダム宣言の受諾が決定され、わが国政府はこれを連合国に通知し、翌15日の正午に昭和天皇自らの肉声による『終戦の詔書』が全国に放送された。わが国が敗戦した当時、国外にいた軍人・軍属がおよび民間人はそれぞれ約330万人で、合わせて660万人と見られているのだそうだが、帰還事業は米国から約200隻の船舶の貸与を受けるなど米国の援助を得て急速に進み、敗戦の翌年までに約500万人が海外...